770話 『強者』を求めて
戦争というものは酷く理不尽で、勝者の強烈な利己と無数の矛盾を孕んでいる。
それは魔王軍の軍団長として、人間との戦争を戦い抜く中で、ルギウスが至った一つの境地だった。
勝利は全てを塗り潰す。
ただ、勝利を為したというだけのたった一つの結果だけで。卑怯は知略となり、暴虐は勇猛へと塗り替えられ、いさおしとして後世へと語り継がれるのだ。
だが、負ければ……?
知略と称されるはずであった綿密な作戦は卑劣の一言で片付けられ、溢れんばかりの気高き勇気は野蛮と貶される。
故にルギウスは、いつの日からか戦争という存在そのものを蔑むようになった。
そこには、戦争という極めて忌むべき行為に手を染める自らの存在も含まれていた。
「……答えてくれるかな? 君達の作戦の目標と陣形……その詳細を」
ただひたすらに冷酷に。
アナンを縛り上げた鎖を片手に、ルギウスは静かな口調で問いかけた。
その瞳には、およそ感情と称されるものは浮かんでおらず、まるで深い海の底のように静かで昏い、のっぺりとした光だけが揺蕩っている。
「ハッ……誰が……ッ!!! アッ……グ……ァ……」
そんなルギウスの問いかけに、体中を簀巻きにされ、辛うじて顔だけが露出している状態のアナンが皮肉気な笑みと共に言葉を返した瞬間だった。
じゃらりと音を立てた鎖が、まるで意志を持っているかの如くアナンの身体を締め付け、アナンはぎしぎしと自らの全身の骨が軋む音を聴きながら、駆け巡る苦痛に固く歯を食いしばる。
「ず……随分とイイ趣味してるじゃねぇか……。随分な色男の癖に、こんなか弱い乙女を弄ぶなんてな……」
「別に。ただ君には、こういった方法が一番効きそうだからそうしているだけさ。……彼のようなタイプには、こういう方法は逆効果だからね」
苦痛の声を漏らしながらも、未だ皮肉気な笑みを絶やさぬアナンに、ルギウスは無感情に言葉を返しながら、少し離れた位置で横たわるコウヤへと視線を向けた。
誇りには誇りを以って、卑劣には卑劣を以って……天と地ほども異なる世界のやり方の中で、最も効率的な方法で応ずるのが、ルギウスの戦い方だった。
「そら。隠せば隠す程、君の苦しむ時間は長くなる」
「ぅ……あ……がッ……ぎッ……」
「君が仲間を始末してくれて助かったよ。お陰でこうして、増援の心配をせずにゆっくりと話ができる」
ぎしぎし、みしみし。と。
ルギウスがゆったりと言葉を紡ぐ度に、アナンを縛る鎖は不気味な音を立て、彼女の華奢な身体を締め上げる力を増していく。
唯一見えるアナンの顔はみるみるうちに赤く染まっていき、彼女の身を耐え難い苦痛が苛んでいるのは、誰が見ても明らかだった。
「グァ……ッ……わかッ……喋……喋る……から……」
「…………」
軋む鎖に人体が圧搾される不気味な音が暫くの間響き渡る。
そして、遂にアナンが息も絶え絶えに言葉を紡いだのは、鼻や口から流れ出た血が、ぽたぽたと鎖を汚し始めた頃だった。
既にアナンの身体を繭のように覆い尽くし、縛り付けている鎖はその体積を彼女の元々の体躯程の大きさに縮めており、その内部では彼女の身体がどのように形を変えて収まっているのかなど、既に拘束されている本人にすらもわからないだろう。
そんな彼女の言葉を受けて、ルギウスが表情を変えぬまま僅かに鎖を緩めると、アナンはひくひくと痙攣するかのように口角を吊り上げ、ゆっくりと語り始める。
「アタシみたいな小娘がノシ上がるには……こうするしか無かったんだよ」
「……?」
「アンタならわかるはずだ。この世界に居るのは二種類の人間……いや、生き物と言い換えても良い」
「くだらない話なら――」
「――待て……! 待ってくれ。どうせこの後アタシを待ってるのはロクな結末じゃないんだ。良いだろ? 少しくらい付き合ってくれても……さ」
「…………」
しかし、要領を得ないその内容にルギウスは鎖を持つ手に力を籠めかける。
だがその刹那。
一転して弱々しい声色で懇願するアナンの声に手を止めると、ルギウスは言葉を紡ぐ事無く、視線を投げかけて彼女に続きを促した。
「ありがとよ……。ええと……何処まで喋ったっけか……。ああそうだ。搾取する強者と、搾取される弱者の二種類しか居ないって所だな……」
「僕はそうは思わないけどね」
「そうかい……。でも考えてみな。家族も無い、金も無い、後ろ盾も、頼れる知り合いも友達すら居ない……ただあるのは戦う力だけ。ここはそんな小娘がマトモに生きられる世界なのか?」
「…………」
その独白に、ルギウスは言葉を返す事ができずに黙り込むと、胸の内が僅かに騒ぐのを感じながら小さく息を吐いた。
確かに、彼女の言葉が全て真実ならば不憫な話だ。それこそ、傭兵や兵士になる選択は頷ける。
だがしかし、彼女自身が仲間を切り刻んで越に浸るような下衆へと堕ちたのはまた別の話だ。
「でもな……この世界もおんなじだったよ。こんな外見だとよく舐められるんだわ。だからアタシは力を磨き、振るったのさ。面白おかしく生きる……強者の側になるためにさァッ!」
「っ……!!! グッ……!? ゴホッ……」
黙ったままルギウスが耳を傾ける中。ゆったりと語るアナンの口調が一転、激しいものへと変わった刹那。
とすり。と。
ルギウスの身体を背後から軽い衝撃が走り抜けると同時に、その衝撃はまるで剣で貫かれたかのような鋭い痛みへと変わる。
「な……に……?」
突然の事態に驚愕するルギウスの視界には、自らの体をそそり立った幾本もの闇が貫いている光景が映っていた。
そしてその視界の中で、ルギウスの身体を貫いた闇が形を失うと共に、ルギウスはぐらりと体を大きく傾がせる。
同時に、アナンを縛る鎖が手から離れ、ルギウスの魔術で創り出されていた鎖が、じゃらじゃらと音を立てて虚空へと消えていった。
だが、ルギウスは傷を負って大きく体勢を傾がせながらも、その傷口からだくだくと血を流しつつも辛うじて倒れる事無く踏み止まる。
「ハハッ! これがその力さ! こっちもボロボロだけどよ……まだまだ勝負はこれからだぜッ!! アンタのお望み通り、全力で潰し合おうじゃねぇかッッ!!」
その正面で。
虚空へと消え失せた鎖の繭から解き放たれたアナンが、無残な形にひしゃげた半身を引き摺りながら、目を剥いて叫びをあげたのだった。




