768話 虚勢の恐怖
ギャリンッ!! ガギィンッ!! と。
寒々しい人口の光の下でけたたましい音と共に剣が打ち合わされ、僅かに生じた火花が中空で消え失せる。
「ぐっ……チィィッ……!!」
数度の打ち合いを経て、僅かに体勢の崩れたアナンの頬を、ルギウスの放った斬撃が浅く切り裂くと、アナンは舌打ちと共に大きく跳び下がり、剣を構え直す。
だが。
「その程度かい?」
「なっ――!?」
アナンが剣を構え直した直後だった。
ルギウスは剣を大きく振り上げた格好で、飛び下がったアナンを猛追すると、その態勢が完全に整う前に高々と掲げた剣を振り下ろす。
「グッ……クソッ……!!」
再び、甲高い金属音が打ち鳴らされ、同時にぎしぎしと刀身の軋む音が周囲に響き渡る。
ルギウスが振り下ろした一撃を、アナンは辛うじて受け止めていた。
しかし、ウネウネと曲がりくねったその刃は、ルギウスの強撃を受け止め切れないと判断したアナンが咄嗟に刀身へと添えた腕にぞぶりと食い込んでいる。
「自らを強者だと語る割には、そう誇るほどの腕前にも思えないが?」
「ヘッ……コッチは遊んでやってるってのにアオるじゃねぇか」
「……すまないね。そこそこの腕前だとは思うが、知り合いと比べるとどうもね……」
「――っ!!」
剣を真横にして受け止めたアナンに対して、ルギウスは真上から自らの体重をも利用して剣を押し込みながら言葉を交わす。
確かに、剣術一つ取り上げても、そこいらの連中と比べれば相当の腕前だ。
小さな体躯から放たれる打ち込みとても迅くて重いし、多少力任せではあるものの、彼女の剣は確かに積み上げられた鍛練の跡を感じさせた。
だが同時に、それ以上に特筆する事は何も無いのだ。
多少素早く、威力があり技量を感じさせるだけで、あのテミスの振るう剣と比べてしまうと、どうあっても見劣りしてしまう。
この程度の実力では、ルギウスと同じ軍団長であるリョースの足元にも及ばないだろうし、仮にテミス自身と打ち合えば、今頃この奇妙な形の剣ごと切り捨てられているだろう。
「舐……めんなァッ!!」
「――っ!? ぐっ……」
地面に膝を付いたアナンへ覆い被さるようにして、ルギウスがさらに剣へ力を込めた時だった。
荒々しい咆哮をあげたアナンはそのまま転がるように地面に背を預けると同時に、巴投げのような格好でルギウスの腹へと蹴りを叩き込んだ。
同時に、蹴りを受けて身体が後ろへ流れたルギウスの剣を、アナンは自らの剣を横薙ぎに払った後、返す太刀でルギウスへと斬撃を浴びせた。
「ハハハハッ!! 痛いか? 痛いだろ? コイツの刃は見ての通り特別製でさァ……」
「っ……!!!」
「一度斬られればズタズタに引き裂かれた傷から、流れ出る血が止まる事は……無い」
じわり。と。
アナンの攻撃をかわし損ね、肩口に傷を負ったルギウスは、狂笑と共に剣を振るい言葉を紡ぐアナンを睨み付けながら、溢れ出て来る血の量に表情を曇らせた。
痛みは大したことは無い。甲冑の表面を滑った刃が、装甲の継ぎ目から浅く肉を切った程度だろう。
だが、単なる軽症で片付けるには、じわじわと鎧の下の衣服に広がる不快感が大きすぎた。
「……なぁに深刻な顔してんだ。テメェ等魔族だって、魔法だの何だの使って人間殺しまくってるだろうが」
「そうだね……。だから別に、卑怯だとか喚き立ててはいないだろう? ただ、厄介だと思っていただけさ」
「ハッ……流石軍団長サマなだけあって肝が座ってやがる。それだけで泣き喚いて命乞いしたヤツもいたってのによ」
ぎしり。と。
アナンは剣の柄を固く握り締めると、努めてその顔に嘲笑を浮かべながら、眼光鋭く自らを睨み付けるルギウスに視線を注ぎ続ける。
今、彼の頭の中ではこの剣に対して、魔法や呪術といったこの世界の理での色々な考えが巡っている事だろう。
だがその実。この剣はただの鉄の塊だし、アナン自身の能力も彼に与えた傷には関与していない。
全ては虚勢。このフランベルジュという名の、揺らめく炎ような波打った刃が、余分に傷を付けただけのハッタリだ。
――だが、これで……。
互いに剣を構えたまま睨み合い、戦況が膠着したのを確認して、アナンは心の中で一人ほくそ笑む。
確かにアタシは、純粋な剣の腕ではこのルギウスとか言う男には及ばないのだろう。
けれど、全くの無傷で勝利しなければならないというならば話は別だ。
呪いや魔法という虚ろの恐怖を乗せた刃は、敵の動きを十二分に阻害するはずだ。
「それで? アタシの剣が何処のどいつに劣る――ッ!!?」
「フゥゥゥゥゥッ……」
ともすれば、剣だけで勝てるかもしれない。
そんな余裕と共に、アナンが口を開いた瞬間だった。
自らが多少の傷を負う事など厭わぬ程に深く、強烈に踏み込んだルギウスの刃がアナンの眼前を空気を切り裂いて通り過ぎる。
反射的に上体を捻り、咄嗟に半歩退いていなければ、確実にその刃はアナンを捉えていた一撃だった。
「お前ッ――!!」
「――あまり僕を、舐めない事だ」
そんな、自らの身を一片たりとも顧みない攻撃に目を見開き、驚愕を露わにして問いかけようとしたアナンの言葉を制して。
振り下ろした剣を構え直しながら、ルギウスは静かな声で言い放ったのだった。




