765話 気高き侵略者
剣戟の響く戦場には、怒号と悲鳴が飛び交っていた。
剣を、盾を、槍を手に集った彼等の胸の内に去来するのは、たった一つの単純な疑問だった。
――どうして、こんな事に。
この世界へ渡るとともに強力な力を賜った彼等にとって、戦いとは……戦争とはただの狩猟だった。
強力無比で圧倒的なその力を以て、相対する敵を殲滅する。
時には命を乞い、必死で逃げ惑う敵の背に、刃を突き立てる事すらもあった。
故に……総じて彼等は常に狩る側。圧倒的強者の位置から、まるで獣を狩るが如く敵を討つ救国の英雄だったのだ。
だというのに。
「うわぁぁぁぁぁっっ!! く……来るなァァッッ!!」
「クス……」
その無双たる怪力で巨大な戦斧を振り回し、その勇猛な姿故に猛将との誉れを受ける男は、幼子のように怯え切った悲鳴を上げながら、がむしゃらに戦斧で空を切っていた。
しかし、そんなルギウスはそんな滑稽な姿にさえ静かな笑みを浮かべた後、正確な剣閃を以って荒れ狂う戦斧の斬撃の合間を縫って彼の身体に傷を付ける。
そして、新たな悲鳴と共に血潮が舞う頃には、ルギウスの姿は既に無く、また新たな獲物の前で涼やかな笑みを浮かべていた。
「ハァッ……!! バハァーッ!! じょ……冗談じゃねぇッ……!!!」
ドズリ。と。
言葉と共に、太刀傷を受けた男の手から戦斧が零れ、鈍重な音を立てて地面へとめり込んだ。
そのくぐもった音を聞いて、男は胸の内を満たしていた暗黒のような無力感が、僅かに和らいだのを感じる。
そう。決して彼等が弱くなったわけでは無いのだ。この戦斧は、常人には持ち上げる事すら出来ぬほどの超重量を誇る特注品だ。
それを、棒切れを振り回すが如く操る事は、恐らくあの悪魔のように強い男にも不可能なはずで。
そんな何の役にも立たない自尊心が、辛うじて男の心をこの戦場に繋ぎ止めていた。
「っ……!!!」
「ぅ……ぁ……」
「痛い……何で……もう嫌だっ……」
ふと気づけば、男の周囲は絶望と苦痛に塗れたうめき声で染まっており、その事実が更に、挫けかけた男の心を凍り付かせていた。
俺達は、攻めていた筈ではなかったのか?
敵は人間の国たるロンヴァルディアの平穏を脅かす悪魔の都市ファント。だが諸悪の根源たる敵の首魁、テミスの不在は千載一遇の好機。だからこそ、俺達はファントの町を悪しき者の手から解放すべく、夜の闇に乗じて攻め込んだ筈だ。
なのに……なんだこの惨状は?
なるべく多くの敵をこの地で討ち取る為、部隊を広く展開していたとはいえど、数ではこちらが勝っていた筈なのだ。それも、一人一人が数多の戦場で輝かしい功績を築き上げている冒険者将校。負ける要素は一片たりとも無かったはずなのに……。
「っ~~!!! て……撤退ッ!! 撤退だッッッ!!」
ぶるり。と。
全身を悪寒が駆け抜けると同時に、男は半ば反射的に叫びをあげていた。
これ以上、戦ってはいけない。男が英雄として培ってきた戦いの経験が、常に兵達の前に立ち、この巨大な戦斧で敵を屠ってきた戦士としての直感が、男の身体を突き動かす。
「逃げるくらいはできるだろうッ!! 俺が時間を稼ぐッ!! 早くッ!! 動けない奴は引き摺っていけッ!!」
「わ……わかったッ!!」
「う……うぅ……すまん……」
「…………」
手から零れ落ちた戦斧を手に、再び立ち上がって吠えた男の姿が、周囲で泣き呻く事しかできなかった兵士達の心を再び立ち上がらせる。
間を置かずして、兵士たちは背筋を伸ばし、遠くで彼等の仲間を切り裂くルギウスの姿を見据える男の言葉通り、傷の深い仲間に手を貸しながら鈍重な動きで踵を返し始めた。
そんな彼等に、ルギウスは静かに振り返ると同時に、ゆらりと片手を持ち上げて掌を翳す。
「っ――!!! させるかァッッ!!」
刹那。
ルギウスの意図を察した男は叫びをあげて戦斧を振りかぶると、撤退を始めた仲間達とルギウスとの間に飛び込んで全力で振り下ろす。
その重厚な刃は、ルギウスが音も無く撃ち出した風の刃と激突し、衝撃が周囲に暴風となって吹き荒れる。
「お……おぉぉぉぉぉおオオオアアアァァァッッッ!!!」
ドズン。と。
響き渡る獣のような咆哮と共に、剛力を以って振り下ろされた戦斧が鈍い音を立てて地面を抉った。
それは、男の戦斧がルギウスの撃ち出した風の刃を切り裂いた事を意味しており、一時は挫けかけていた心を何とか繋ぎ止めていた男に、自身という名の勇気を漲らせる。
「退れッ!! 退れェッッ!! 奴の相手はこの俺が引き受けるッ!! まだ戦える奴は俺の援護をしろッ!!」
「……勿体ない」
地面へと食い込んだ戦斧を力強く持ち上げ、高らかと叫びをあげる男に、ルギウスはゆっくりと身体を向けて剣を構えると、悲し気な表情でボソリと呟いたのだった。




