755話 傍らに居なくとも
紆余曲折を経た議論の結果。ファントはブライト達がイゼルに到着した日の夜までは警戒態勢を続け、夜が明けると同時に万全の状態を以って迎撃態勢を整えていた。
ファントを囲う防壁の外に立ち並ぶ者達の顔はそれぞれで、後方に立ち並ぶ兵達の顔にはちらほらと笑顔が見え隠れしている者の、最前線に布陣しているフリーディアやサキュド、レオン達の表情は優れなかった。
そんな、僅かに乖離した空気が漂う中時は過ぎ、さんさんと輝く太陽が天頂を過ぎた頃には、どこか間延びした雰囲気が漂い始めていた。
「っ……」
ジャリィッ……。と。
背後から弛緩した空気を感じながら、大きく前に自らの配置を置くフリーディアは苛立ち紛れに地面を踏みしめた。
時刻は既に昼を過ぎている。この時間から戦闘を始めれば、最悪の場合陽が沈んだ後、夜の闇の中で戦う羽目になるだろう。
しかし、闇夜の中での戦闘ならば、ファントの町という拠点を持ち、周囲の地の利にも明るいこちらが圧倒的に有利だ。
ならば、今日彼等が攻勢に出る事は無いのか? 何か予測していなかった問題でも起きた? それとも、到着から更に一日時間を置き、万全の態勢で襲撃をかけるつもりなのだろうか? もしくは、こちらが焦れて迎撃態勢を解くのを待っている……?
様々な可能性がフリーディアの中で浮かび、フリーディアは手甲に覆われた手を固く握り締め、食いしばった歯の隙間から絞り出すような声で呟きを漏らした。
「どうするっ……!?」
フリーディアには、騎士団という一個部隊を指揮する事には長けていても、こうして複数の部隊を運用し、都市を護る戦いでの指揮を執った経験は浅い。
故に。こうして迷い、適切な指揮を出さんと思い悩んでいる事自体が、まるで、これまで事も無げにこれをこなしていたテミスとの差を見せ付けられているかのようで。
フリーディアは苦悩の中に悔しさが混じるのを感じながらも、思考する事だけは辞めなかった。
「伝令ッ!」
「――っ! なにかしら?」
そこへ、後方から一人の兵士がフリーディアへと高らかに叫びながら駆け寄ると、ふり返って応ずる彼女の前で姿勢を正し、敬礼と共に口を開く。
「前線に展開中のルギウス様からの伝令です! 読み上げます。一度防衛戦力を別けて、休息を取らせた方が良いんじゃないかな? 以上ッ!!」
「っ……」
兵士はフリーディアへ伝令を伝え終わると、再び直立不動の姿勢へと戻って彼女の返答を待つ姿勢に入る。
それに対してフリーディアは、小さく息を呑んだ後、思案するかのように自らの手を口元へと当てた。
確かに。現状を鑑みるならば後方に配置した兵だけではなく、前線で待機し続ける私たちも一度休息を取るべきだ。
けれどそれは同時に防衛戦力の大幅な低下を意味し、敵に対して大きな隙を晒す事になる。
「…………。……そうね。マグヌスに伝令を。一度部隊を二つに分け、交代で休息時間を作ります。ですが同時に、休息時間の間は展開させた斥候の数を増やし、敵の監視を強めるように。と」
「ハッ……!! 了解しましたッ!」
短い沈黙の後、胸の中で判断を下したフリーディアが伝令の兵に命令を伝えると、姿勢を正して敬礼をした伝令の兵はどこか嬉しそうな声色で言葉を返し、即座に踵を返して駆け出していく。
その背を苦笑いと共に見送ると、フリーディアはドサリと音を立ててその場に腰を下ろし、大きく息を吸い込んで空を見上げた。
「こんな時……貴女なら……」
蒼空に向けてポツリと呟いてから、フリーディアはゆっくりと目を瞑ってテミスの姿を思い浮かべる。
もしも、自分があの伝令の兵で。ここで敵を待ち構える敵がテミスだったなら、彼女はどんな顔をしているのだろう?
すると皮肉にもフリーディアの脳裏には、本当は既に答えなど知っていると言わんばかりに、すぐその情景が浮かんできた。
「っ……!! テミスッ!!」
「…………」
伝令をいち早くテミスの元へと届けるために駆ける私。けれど、配置されたはずの場所にその姿は無く、私は慌てて彼女の姿を探して周囲に目を走らせるのだろう。
そして、暫くの間テミスの姿を探してから気付くのだ。
青々と茂る草原の中に、キラキラと陽光を反射して風になびく白銀の髪を。
刹那。私の脳裏に過るのは、既にテミスが敵に討たれていたという不吉な予感。
けれど、不安に顔を青くして駆け寄る私に、テミスはきっとあの憎たらしい微笑みを浮かべてこういうのだろう。
「いつまで経っても来ない敵を、律儀に立ち続けて待ってやる必要もあるまい? ……かしら?」
クスリ。と。
草原の中で一人、フリーディアは微笑みを浮かべると、テミスの口調を真似て声に出してみる。
確かに。こうして気を張り続けていては、ただ消耗し続ける一方だ。
ならばいっその事、この草原に身を投げ出して、休息しながら敵を待つというのも良いのかもしれない。
「……でも、流石に私は貴女みたいに寝転がるなんて大胆な事はできないわ? 後で、椅子でも持ってこようかしら?」
どこか緊張のほぐれた柔らかな呟きと共に、フリーディアは地面に腰掛けたまま上体を大きく後ろへと倒すと、後ろへ突き出した二本の腕でそれを支える。
同時に、二本の足を大きく前方へ投げ出すと、フリーディアは頬に当たる風を感じながら胸いっぱいに息を吸い込んだのだった。




