753話 猛犬の咢
翌日。ロンヴァルディア領イゼル・領主館。
以前、イゼルの町を治めていた冒険者将校であるカズトがテミスに討たれてからというもの、この領主館は白翼騎士団をはじめとする、対ファントの役を担う者たちが滞在する、一種の詰所のような役割となっていた。
以前の戦いが収束してから、漸く訪れた静けさを破る者達が今、このイゼル領主館を訪れていた。
「酷い光景だ。かつてここを治めていた者が如何な暮らしを送っていたかが目に浮かぶ」
「……然様で」
コツリ。と。
この寮主館で一番大きく豪奢な部屋に足音が響くと同時に、酷く不機嫌な表情を帯びたブライトが、クラウスを伴ってその姿を現す。
その視線は、豪奢ながらも僅かに埃を纏い、色のくすんだ家具や調度品の数々に向けられた後、部屋の隅に打ち捨てられていた、首輪や枷の数々に注がれていた。
「冒険者将校風情が……。全く……軍部の連中は何をやっているのだ」
「なまじ力が強い故、手綱を握りあぐねているのでしょうな」
「ハッ……これだから戦いしか能の無い猿共は……。いくら力が強くとも所詮はただの人間。国家という名の巨人には勝てぬのが通りだというのに」
傍らで控えるクラウスの答えを聞くと、ブライトは蔑むように鼻を鳴らし、部屋に据え付けられた大きな窓を開いた。
その瞬間。窓から吹き込んだ風が室内の埃を巻き上げ、同時に清純な空気を室内へと招き入れる。
「チィッ……ゴホッゴホッ……。ええい忌々しいッ!! 何故この私がこのような面倒を背負わねばならんッ!!」
そんな空気の循環の直撃を受けたブライトは激しく咳き込んだ後、恨みを込めて握り締めた拳を窓枠へと叩き付けた。
そこへ、開け放たれたままの大きな観音開きの扉から、昏い笑みを浮かべたカレンが笑い声とともに姿を現して口を開く。
「だから言ったじゃないのさ。アタシ達に任せて、アンタ等はロンヴァルディアでのんびりふんぞり返っていればいいってさ」
「黙れ。元よりお前達のような怪し気な者達に指揮など任せられる訳が無いだろう」
「ふぅん……? ま……確かに? 怪し気な連中から得た情報を確かめる為に、わざわざ敵地まで御身が赴いた訳ですから? でも……確かめてみて本当だったんだから、少しくらいは信用して欲しいけどねぇ……」
「フン……野良犬風情が……」
獰猛な笑みを浮かべたカレンは室内に足を踏み入れると、ブライトを煽り立てるように口上を紡ぎながらゆっくりと歩み寄る。
しかし、ブライトがその挑発に乗る事は無く、ただひたすらに蔑んだ眼差しをカレンへ向け、吐き捨てるように呟いただけだった。
「まぁ良いさ。アンタはともかく、お付きのジイさんも来てくれるってならお釣りが多すぎて困るくらいだ。それで……? 結局兵隊はどれくらい集まったんだ?」
「……どこまでも忌々しい。冒険者将校だけで約二個大隊規模。残りは私の私兵と雇った冒険者だ」
「ふぅん……? 『祝福持ち』を二個大隊……ねぇ。いったいそんな兵力、何処に隠し持っていたんだか」
「貴様には関係の無い事だ」
自らの頭の後ろで手を組んで問いかけたカレンに対し、ブライトはた努めて事務的に答えを返す。その答えに、ニンマリと嫌らしい笑みを浮かべたカレンが問いを重ねるが、ブライトはピシャリとその問いを叩き切る。
「いいか? 思い違うなよ? あくまでもお前に与えたのは最前線での指示を出す権限だけだ。私が用意した兵に囲まれているという事を肝に銘じておけ」
「へいへい。そんなに何度も言われなくてもわかってますよ。それにヘンな事をすれば、そこのジイさんが黙っちゃいないだろうしね」
「フッ……」
終始、軽薄な態度を崩さないカレンに、ブライトが苛立ちを込めて脅迫じみた忠告を突き付けるが、カレンはそれすらも軽い調子で躱すと、部屋の壁まで移動してドサリとその背を預けた。
「……とりあえず、アンタの所の私兵と寄せ集めの冒険者は要らないわ。アンタの護衛に回すなり、後方に立たせて数の足しにするなり好きにして」
「何だと……? 仮にも相手はあの悪名高き魔王軍第十三軍団……黒銀騎団なのだぞ? それにまず間違い無く、フリーディアの白翼騎士団も出て来るだろう」
「だからよ。あの町に行ったのに気付かなかった? 一兵卒どころか門番に至るまで尋常じゃ無い練度よ。雑兵なんか物の数にもならないわ」
「しかしッ――!!」
「――ブライト様。この場は、カレンの言い分が正しいかと。私の目から見ましても、彼等を前線へ送り出した所で、不要な犠牲を増やすだけでございます」
「っ……!! そ……そうか……。お前が言うのならばそうなのだろうな……。ならば認めよう」
投げやりな態度のまま話を進めるカレンにブライトが反意を示すが、横合いから静かに告げられたクラウスの言葉に、たちまち勢いを失って意見を翻す。
その滑稽ながらも物事の正誤を見極める殊勝な態度に、カレンは僅かに目を見開いた後、何処か楽し気に口角を歪めて口を開く。
「そういうコト。ひとまず、大筋はそんな所として……。早く階下に向かった方が良いと思うわよ?」
「なに……?」
そして、唐突に話の流れを切り替えたカレンに対し、ブライトは訝し気に首を傾げてみせた。いけ好かないこの女の事だから、てっきりこのまま話の流れに乗って、指揮権の拡張でも求めてくるかと思ったのだが……。
「今夜の寝床で大騒ぎ。みんなこの豪華なお屋敷に泊まると言って譲らないのよ。下手をすればファントと戦う前に、一戦おっぱじめそうな勢いで」
「っ……!! 早く言えッッ!!! クラウスッ!!」
「ハッ……」
カレンがクスクスと笑いながら報告をすると、ブライトはたちまち血相を変えて怒鳴り声をあげてクラウスの名を呼びその身を翻す。
それに音も無く即座にクラウスが続き、二人が揃って部屋から飛び出していくのを、一人部屋に残されたカレンは、楽し気に笑いながら見送っていたのだった。




