752話 意思を託して
事態が大きく動いたのは、フリーディアがテミスをファントの町へ連れ出してから三日後の事だった。
フリーディアの依頼を請け、ロンヴァルディアでのブライトの動きを監視していたフィーンから、ブライト達に動きアリとの急報が入ったのだ。
それに対し、フリーディア率いるファントは即時警戒態勢を敷いて戦いに備えた。
この時点でのファントが擁する総戦力は、黒銀騎団とその旗下に集う食客たちに白翼騎士団、そして急遽応援に駆け付けたルギウス率いる魔王軍第五軍団が一個中隊規模のみだった。
「これを……お願いしますね? イルンジュさん」
「……。確かに……承りました」
そんな情勢の中で、甲冑を身に着けたフリーディアはテミスの病室を訪れていた。
しかし、今日彼女の手に抱えられていたのは、いつもの『日課』の為の書類の束ではなく、大きく歪な形をした一つの包みと、その背に背負った身の丈を越える大きく長い巻き布だった。
フリーディアは両腕に抱えた包みを部屋の片隅に置くと、躊躇う事無くその包みを取り去る。
そこにあったのは、窓から差し込む陽光を受けて漆黒に輝くテミスの甲冑だった。
「……ですがフリーディアさん。貴女の持ち込まれた物は非常に大きな荷物です。有事の際は、投棄する事をご理解いただきたく思いますが……」
「絶対にダメよ」
「っ……!」
フリーディアは取り去った包みを畳んで懐にしまうと、今度は背中に背負っていた荷物を甲冑の傍らへ置きながらイルンジュに答える。
「この甲冑も……そしてこの大剣も……ブラックアダマンタイトで出来ている。そんな国宝に等しい強力な武具を、戦いを望む連中に渡してしまう訳にはいかないわ。それに……」
ゴトリ。と。
フリーディアはイルンジュに視線を向ける事無く言葉を紡ぎながら、テミスの大剣に巻かれていた巻き布を取り去ると、言葉を切ってイルンジュへと向き直った。
その鋭く細められた目にはテミスにも似た剣呑な光が宿っており、そんな視線で射竦められる形となったイルンジュは、僅かに息を呑んでピクリと肩を跳ねさせる。
だが、フリーディアはそれ以上身体を動かす事は無く、ただ不敵に口角を吊り上げてイルンジュを見つめて言葉を続けた。
「それにあなたなら、大した荷物にはなりませんよね? イルンジュさん」
「…………」
まるでテミスのように、不気味な笑みと共にフリーディアはそう告げると、黙り込んだイルンジュをそのまま見つめ続けた。
流れ者……以前テミスはイルンジュの事をそう称していた。確かにこのファントの町には、豊かで平和な町であるとの噂を聞きつけ、安寧な生活を求めた多くの者が足を運んでくる。
しかし、そんな彼等を阻むのが、この町に根付く滞在制度。
ファントの町を訪れた者は、全員等しくその目的と滞在希望日数を衛兵に伝え、滞在許可証の発行を受けなければならない。
無論、滞在許可証の更新に厳しい制限はない。だからこそ、流れ者がファントの住人として扱われる永住権を獲得するのは非常に難しく、流れ者がファントの住民となっている事自体が、イルンジュの特異性を表していた。
「テミスに拾われたか……呼び寄せられたか。それとも、彼女の元へ自ら集ったのか。そんな事に私は興味ありません。ですが……あまり私を甘く見ない事で……すっ!!」
「むっ――!?」
刹那。
フリーディアの手が鈍重に閃くと、その手から丸い輪のような物体がイルンジュへ向けて放たれた。
直後。それを易々と受け止めたイルンジュを見て、フリーディアは吊り上げていた口角をさらに歪め、まるで蝋燭が溶けたかのような不気味な表情を浮かべる。
「おかしいですね……? 私にはこの一式の装備……途方もなく重く感じるのですが……イルンジュさん。あなたはそれを事も無げに受け止めたどころか、軽々と片手で持ち続けている」
「……。フム……」
ブラックアダマンタイトはその性質上、手に持った者の魔力によってその重さを自在に変える。
故に、それで作られた武具は魔力を持つ者であれば、非常に固いだけでなく自在に操る事ができるのだ。
だがその性質故に、生来保有する魔力の少ない人間にこれを扱う事は難しく、ごく一部の選ばれた者しかブラックアダマンタイト製の武具は扱う事ができない。
だというのに。
イルンジュはこれをいとも容易く持ち上げている。
戦うために日々体を鍛え、剣を振るっているフリーディアですら持ち運ぶのがやっとであったというのに。
「畏まりました。もしもの際はテミス様共々……テミス様の武具をもお守りいたしましょう」
「……お願いします。では、私はこれで」
短い沈黙の後、イルンジュはフリーディアに向けて深々と頭を下げると、普段とは変わらぬ静かな声で彼女の依頼を請け負った。
それを確認すると同時に、フリーディアは冷淡な表情へと顔を戻すと、足早にテミスの病室から立ち去って行く。
「……あまりご無理をなさらぬよう」
その背中に向けて、イルンジュは届かぬと知りながら、ポツリと言葉を零したのだった。




