750話 数奇なる絆
「爺が私に話してくれたのは、ブライトの考え……。テミスの不在が確認できた今、このファントへ攻め込まんとする意志よ」
「……そうか」
重く、そして固くなった空気の中。
フリーディアはまるで全身に走る激痛を堪えるかのように歯を食いしばると、押し殺した声で言葉を紡いだ。
クラウスによれば、今回の侵攻計画はあくまでもブライトの独断。けれど、ロbbヴァルディアの旗下に無いファントに、そんな事は関係ない。
ブライトはロンヴァルディアの内政を司る議会の議長。そう名乗った彼がファントに弓を引くのであれば、それは即ちファントにとっては、ロンヴァルディアが再びファントを侵略するのと同義なのだ。
「クラウスは言ったわ。ブライトが集めているのは特別な兵……。軍部が内政との軋轢を防ぐために寄越した冒険者将校達」
「なっ……!!」
「フン……だから何だってのよ」
更にフリーディアから明かされた情報に、マグヌスは大きく息を呑み、サキュドは獰猛な笑みを浮かべて鼻を鳴らす。
その一方で、レオンはただピクリと眉を動かしただけで沈黙を貫いており、その傍らのミコトも、表情こそ不安気なものの言葉を発する事は無かった。
「今の時点で、彼の元に集まっている兵は五十人ほど……数の上では、幾万の軍勢をも退けたファントの敵では無いわ。でも……」
「個々の戦力で見るのならば、こちらが圧倒的に不利……か……」
「えぇ……」
現実を再確認するかの如く呟かれたレオンの言葉に、フリーディアはコクリと頷いてそれを肯定する。
これまでの戦いにおいて、テミスは特に強力な戦力である冒険者将校の前に自らの部隊を断たせることは少なかった。
極力そういった相手とは自らが戦い、テミス自身の手が及ばぬときには、ルギウスのような彼女に匹敵する戦力を持つ者を配置していた。
それは即ち。テミスの配下である黒銀騎団は無類の強さを誇る部隊ではあるものの、その戦力は個人で圧倒的な戦力を持つ冒険者には劣る……と、テミス自身が判断していた事を物語っている。
「……私とサキュドさんとレオンさん、ミコト君にライゼルとヴァイセ達。仮にここへルギウスさんを含めたとしても、恐らく私たちの戦力が十を越える事は無いわ」
「…………。で……でもッ!!!」
圧し掛かる事実に誰もが閉口し、苦い表情を浮かべた時だった。
そんな空気を吹き飛ばすような明るい声でミコトが声をあげる。
「でも! クラウスさんが居れば、きっと何とかなりますよッ!! ブライトさんを説得してくれるかもしれませんし、最悪戦う事になっても――」
「――残念だけど」
しかし。
そんな希望的観測を断ち切るかのように、フリーディアの固い言葉がミコトの発言を遮って冷たく響き渡る。
「クラウスはブライトの執事。そして私は、彼ほどの忠義者を知らない。……別れも既に済ませてあるわ。もしも戦う事になれば、彼の刃は間違い無くファントに向くでしょうね」
「そん……な……」
フリーディアがそう言い放つと、ミコトの声が絶望に塗れて掠れていく。
老いたりとはいえ師と弟子。しかも、その弟子が自らでも勝てなかったと宣言しているだけではなく、かつて自分達が敵わない強敵であったサキュドさえも、クラウスという男を危険視しているのだ。
相手はまさに伝説の騎士。テミスが健在であるならばまだしも、その不在が更に絶望に拍車をかけていた。
――勝てる訳が無い。
そんな思いが、ミコトの心を過った刹那。
「兵達は最後方に布陣。町へ絶対防衛線の守護にあたらせるべきだと思う」
「賛成だな……。前に出しても無駄死にさせるだけだ」
「私は前に出る。邪魔はさせないわよ」
「……ならば、私が後方の指揮を執りましょう。戦えぬ身とはいえ軍を纏め、命令する事くらいはできます」
「助かるわ……マグヌスさん。お願いします」
「えっ……?」
ミコトを除いた面々は、即座に来るべき戦いについて議論を始めていた。
少なく見積もっても、彼我の戦力差は五倍以上。何をどう考えたって、勝てる訳が無いのに……。
「どうして……」
「フッ……俺達にだって意地はある」
「クス……そうよね……」
恐怖に震え、目を見開いて問いかけるミコトに、傍らのレオンが言葉少なに答えると、小さな笑みを浮かべたフリーディアがそれを引き継ぐように口を開く。
「テミスはいつも、圧倒的な戦力差を相手にして戦って……そして勝ち抜いてきた」
「奴に出来た事だ。俺達に出来ないはずが無い」
「それに、考えてもみなさいよ。ここで私たちが音を上げてファントを陥とされたらテミスがどんな顔をするか」
「あ……」
「チッ……」
「正直に申し上げるのならば……考えたくも……ありませんな……」
「っ……」
フリーディアの言葉にレオンが小さく舌打ちをし、マグヌスが顔を覆って宙を仰ぐ。
恐らく、それぞれの脳裏を掠めた銀髪の少女が浮かべた表情は、どれも違ったものなのだろう。
けれど何故か。ここに集まった面々の思いは、『テミスのそんな表情だけは死んでも見たくない』という点で一致していて。
そんな奇妙な縁に気付いた時、ミコトはいつの間にか自らの胸の内にも、炎のような熱が揺らめいている事に気が付いた。
「やるしかない……という事ですか……」
恐れが消えた訳ではない。
けれど何故か、ミコトの中から先程まで自分を蝕んでいた絶望は消え失せている。
だからこそ。
ミコトはいつもテミスへ向けるような小さな苦笑を浮かべた後、対策を練る彼等の輪の中に加わっていったのだった。




