749話 伝説の記憶
「クラウスは私が幼い頃、身の回りのお世話や勉強を教えてくれた。この剣も、クラウスに習ったのよ」
カチャカチャ……と。
執務室の片隅から、マグヌスが飲み物を用意する音が響くのを聴きながら、フリーディアは静かに語り始めた。
「爺……クラウスは常に私の側に居てくれた。起こるとものすごく怖いけど、勉強が上手くできた時や剣の腕が上達した時……すっごく褒めてくれたわ……」
「っ……!」
恐らくは、当時の事を思い出しているのだろう。
普段の彼女とも、テミスの代わりを務めている時とも異なる、何処か幼い印象を受ける口ぶりで語るフリーディアの話に、彼女が言葉を切って尚、執務室に集まった一同は黙したまま耳を傾け続ける。
「先生であり師匠であり……親代わりでもあったわ。ほとんどお会いできないお父様やお母様に代わって、私が独り立ちするまで面倒を見てくれた」
「それで……アイツは一体何者なのよ……? どう見たって只者じゃないわ?」
「フフ……でしょうね……」
フリーディアが息を吐いた刹那。
穏やかな空気を切り裂くようにして、眉を顰めたサキュドが質問を投げかける。
しかし、フリーディアは気分を害するどころか、むしろどこか誇らし気な表情すら浮かべて笑むと、サキュドの問いに答えるべく口を開く。
「当り前よ。クラウスは先代の白翼騎士団の団長……。いえ……ただの王宮騎士団であったクラウスの騎士団が、『白翼騎士団』と呼ばれるようになったのは彼が所以なのだから」
「なっ……!!?」
その答えに、執務室で顔を突き合わせる面々は驚きに目を見開くと同時に、鋭く息を呑んだ。
確かに、白翼騎士団の逸話として伝わる噂話には、今フリーディアが率いている白翼騎士団の戦い方とは異なるものが混じっている。
曰く。魔族の大軍を前にたった一部隊を率いて駆け付けた白翼騎士団が、その白く輝く鎧に返り血一つすら受けずに退けた……だとか、戦場で孤立した友軍を救うために戦線を切り開いて突き進み、その退路を三日三晩死守し続けた……だとか。
どれも噂話らしく盛大で英雄的なものばかりで、誰もが語り継がれるうちに肥大化していったのだとばかり思っていたが……。
「……確かに。それならば合点がいくというものです。彼の御仁を前に受けたあの異様なまでの威圧感……。あれはまるで……」
「っ……。言い過ぎ……よ……」
「あぁ……」
マグヌスが淹れ終わったコーヒーを配膳しながら唸るように呟くと、問いを投げかけたサキュドが、唇を噛み締めてそれを否定する。
だが同時に、マグヌスが皆まで言わずとも、病院でクラウスと相対した者達の脳裏には嫌でも、血風に踊る長い白銀の髪が連想されていた。
「まさに生ける伝説……って感じですね……」
「えぇ。私はただ、クラウスが騎士を辞した時、率いていた騎士団の名前を継いだだけ。師匠のように強く、優しく、人々を守る騎士団にしたい……。そんな想いも込めて」
「確かに……そういう事なら、白翼騎士団の伝説がここまで広く知られ、畏敬の念と共に語り継がれているのも納得です」
「……? どういう事? 私はただ――」
「――何故、クラウスさんが騎士を辞めてまでフリーディアさんの側に付いたのかは分かりません。けれど、そんな実力も名声もある騎士団のトップが引退したのなら、残った騎士達は引く手あまたでしょうね? ……なら、方々に散った元騎士団員達がクラウスさんの武勇の語り手となり、その実力を以って真実を示したのならば……」
フリーディアの言葉に、ミコトは何度も頷いた後、何処か苦し気な表情を浮かべた彼女の言葉を遮って、優しく微笑みながら言葉を紡いだ。
伝説の男と共に肩を並べた生き証人が語る、血沸き肉躍るようないさおしの数々。それを聞いた彼等の新たな仲間達が更にそれを語り継ぎ……そうやって、白翼騎士団の伝説は勇戦の誉れと共に、人々の胸に深く刻まれていったのだろう。
「そう……ね……」
ミコトが語り終えた後の、何とも言えない沈黙の中。
フリーディアは微かに鼻をすすると、その大きな瞳一杯に涙を溜めて頷いた。
クラウスと共に戦った仲間達のお話は、私も大好きだった。誰よりも強く、誰よりも仲間を大切にし、己が身を盾として人々を護るクラウスは、私の憧れであり目指すべき姿だ。
だからこそ。越えなければならない。
「……簡単だけど、これが私とクラウスの関係よ。一応付け加えるなら、私は剣の稽古でクラウスから一本たりとも取れた事は無いわ」
「思い出話はもう良い。……それで?」
静かに、そして噛み締めるようにフリーディアが言葉を紡ぐと、それまで一切言葉を発する事無く話に耳を傾けていたレオンが視線をフリーディアへ向けてピシャリと問いかける。
しかし、その視線に言葉ほどの鋭さは無く。むしろ、フリーディア自身に問いかけるような気配を帯びていた。
「えぇ……。本当に大切なのはここから……。皆、心して聞いて……」
そんなレオンの問いに、フリーディアはゆっくりと頷いてから、執務室に集まった面々を見渡すと、自らに活を入れるかのように、大きく息を吸い込んで再び口を開くのだった。




