745話 攻防は入り乱れて
感情の読めない表情で歩を進めるフリーディアに先導され、一行が病院へと辿り着くと、身体を病んだ者や傷を負った者の安息の地であるはずのこの場所の空気が、一瞬で固いものへとすり替わった。
薬品と思わしき物を積んだ押し車を押す看護師はその足を速め、直前まで仲間との談笑に花を咲かせていた、腕を吊った冒険者風の男も視線を逸らして立ち去って行く。
残されたのは、無表情で佇むフリーディアとクラウス。その後ろにはニマニマと嫌らしい笑みを浮かべるブライトに続き、顔色を蒼白に変えたサキュドとマグヌス……そして、一行の前に静かに佇むイルンジュだけだった。
「出迎えか? 案内せよ。瀕死のテミスの元まで」
「瀕死……? テミス様……がですか? はて……? そのような方はこちらには居られませんが……」
「フン……小細工はもう良い。お前達の企みは全て露見したのだ。テミスが身動きがとれぬほどの重症を負っている事もなッ!!」
「……何方かは存じ上げませんが、こちらでは静粛に願います。患者の方々に迷惑ですので。それと、策だか何だかは存じませんが、今、私の患者達の中にテミス様は居りません。どうぞ、お引き取りを」
黙したまま動かないフリーディアを追い越し、悠然と歩み出たブライトが高らかに宣言するが、イルンジュはそれに対して眉一つ動かす素振りは無く、ただ淡々と言葉を返す。
しかし、己の勝利を確信するブライトがここで退くはずも無く。苛立ちを露わに舌打ちを一つ打つと、ブライトは荒々しくイルンジュの右肩を掴んで声を荒げた。
「私は誇り高きロンヴァルディアが内政議会議長、ブライト・フォン・ローヴァングラムだぞッ!! この私を前に見苦しい真似をするなッ! 潔く負けを認め、早く私を奴の元まで案内せよ!」
「……解らない方ですね。そのような患者はこちらには居ないと言っているでしょう」
「っ……!!」
瞬間。
音も無く持ち上げられたイルンジュの手が、自らの肩を掴むブライトの腕を力強く掴んだ。すると、ブライトの顔が一瞬ピクリと歪んだ後、ブライトの手がビクビクと痙攣をしながらひとりでに開き、力を込めて掴んだはずの肩から手が引きはがされる。
「きさ……貴様ッ!! ク……クラウスッ!!! 何をしている!? コイツを――」
「――ホゥ……? 点結……いえ、経穴術ですか。お見事」
しかし、ブライトの叫びを遮ってクラウスが進み出ると、イルンジュと真正面から対峙して睨み合った。
「恐れ入ります。彼の配下……関係者の方とお見受けしますがそちらの彼……。かなり疲労が溜まっておられるご様子ですよ?」
「ホホホ……。この老骨の目が覚める程に鮮やかな経穴術にその診察眼。これ程までに腕の良い医術者にお会いしたのは初めてです」
「そういう貴方も……まるで、はじめから私が何をするつもりなのかお分かりであったご様子。一目で私の施術を見抜いた眼力といい……感服致します」
イルンジュとクラウス。互いに口元に微笑みを浮かべたまま、静かに互いの力量を称え合う姿はまさに強者同士のやり取りそのもので。
二人の間に流れる気迫の衝突にも似た緊張感に、ブライトを含めた一同は、ただ固唾を呑んで行く末を眺める事しかできなかった。
そして、静かな時間が流れた後。柔らかな微笑みを浮かべたまま、クラウスがゆっくりと口を開いた。
「ブライト様。こちらの御仁の言葉に嘘はありますまい……。それに、かなりの遣い手です。くれぐれも、ご無茶をなさらぬよう」
「っ……!! な……な……ならば……フリーディアッ!! 貴様ッ……悪あがきをするなッ!! この私を謀ったなッ!?」
「なっ――きゃぁっ!?」
クラウスがそう告げると、ブライトは再び気炎を上げると、怒りの咆哮を上げながら、矛先を傍らに居たフリーディアへと掴みかかる。
その動きに、一瞬反応の遅れたサキュドが、狂喜の笑みを浮かべて弾かれたようにその掌を翳す。
だが、その刹那。
全身の血液が沸騰したかのように高ぶるサキュドの全身を、氷のように冷たい感覚が刺し貫いた。
「――ッ!!!!!」
その感覚はまさしく殺意。
それが放たれているのは、咄嗟に動きを止めたサキュドが視線を向けた先、怒声と共に揉み合うブライトとフリーディアのさらに奥からだった。
そこには、つい先程まで柔和な微笑みを浮かべていた老執事・クラウスは居らず、まるで剃刀のように鋭利な目を標的に向ける、一人の戦士の姿があった。
「恥ずかしくは無いのかフリーディアッ!! 潔く己が非を認めろッ!! どうせ密かに先程の詰所とやらへ運んだのだろうッ!!」
「言いがかりもいい加減にしてくださいッ!! ここはファント! ロンヴァルディアでは無いのです! 駄々をこねれば何もかも貴方の思い通りになる地ではありませんッ!!」
「何が言いがかりなものかッ!! 言いがかりだというのならば、テミスを今すぐ我が前に連れて来たらどうだッ!!」
「ッ――!! 謝罪がしたいとの旨は何だったのですかッ!? その口ぶり、些かも謝意など感じ取る事はできませんよッッ!!!」
結果。
苛立ちを咆哮に込めて掴みかかるブライトと、それに抵抗しながら叫びをあげるフリーディアを挟んで、膠着状態が形成される。
一方で、フリーディアとブライトの口論も、まるで感情をぶつけ合う子供同士の言い争いのような様相を呈して居た。そんな、混沌とした状況が繰り広げられる中。
重厚な音を立てて病院の扉が開くと、コツコツと足音を響かせながら、一人の男が姿を現したのだった。




