744話 執念の一矢
夕方。
演説騒ぎの後、フリーディア達は密かに着いていた護衛たちの手も借りて騒ぎを収めると、事前に立てた計画通りに町の案内を進めていた。
以降、道中でブライトが異論や不平を漏らす事は無く、ただむっつりと黙したまま、不機嫌極まる表情を引っ提げて同行している。
「さて。ここが最後にご案内する場所。ファントが誇る黒銀騎団の詰所です」
「……知っている」
胸を張って告げるフリーディアに、ブライトは建物から視線を逸らしてボソリと呟いた。
ブライトにとって、この建物は因縁の建物だ。以前訪れた際には、この身を溶かしてしまうかのような恥辱と辛酸を味合わされ、怒りと失意に塗れて後にした場所だ。
「まさか……またここへ来ることになるとはな……」
ジャリッ……。と。
呟きと共に、ブライトが一歩を踏み出すと、その足が敷地を越える前に、フリーディアがそれを留める。
「……申し訳ありませんが。今、ロンヴァルディアの皆様に、この建物の内をご案内する事はできません」
「なに……?」
「ここはファントの中枢とも呼ぶべき場所。ロンヴァルディアとていくら畏敬訪問といえど、議会場や軍の指令部まで案内しませんよね?」
「……。フ……。ならば、私はどうすればいい? 私がこの町を訪れた目的はテミスに謝罪を果たす事。わざわざ私の元を訪問させる訳にもいくまい」
柔らかな夕陽が照らし出す中で、間近に対峙したフリーディアとブライトの視線が交叉する。
しかし、その間に走るのは緊張。互いに言葉の裏を掠め取らんと企む、一つの戦場が出来上がっていた。
「問題ありません。言伝を預かっていますので」
「……聞こう」
不敵な笑みを浮かべて告げるフリーディアに、ブライトは口元に小さな笑みを浮かべて応ずる。
その胸中では、ここでフリーディアが何を語ろうとも返す言葉は決まっており、さながら獲物を嬲る捕食者のような気分で、ブライトはただ悠然とフリーディアを眺めていた。
その眼前で、フリーディアは一枚の羊皮紙を懐から取り出すと、大きく息を吸い込んで口を開く。
「では。っ……このファントの町は堪能されましたかな? ブライト殿。これがこの町の民の平和。貴国が奪わんとしていたものです。町を訪れる者が心を奪われ、町に住む民に笑顔が溢れる。それを良く噛み締め、貴国の参考とされる事こそ……あの場で愚弄した者達へ報いる事で、私への最大の詫びとしよう。……以上です」
「…………」
まるで、読み上げるかのように。一言一言を丁寧に読み上げるフリーディアの声が、夕日に染まる紅の空へと吸い込まれていく。
フリーディアが言葉を紡ぎ終えて尚、この場に口を開く者は居らず、奇妙な沈黙だけが場を支配していた。
無論。今のテミスがこんな文章を綴る事が出来るはずも無く、その内容も全て、フリーディア自身がテミスを慮って作り上げたものだ。
だが、ロンヴァルディアに知れ渡っているであろうテミスの人柄を鑑みても、ブライトを門前払いにする理由としての道理は通っている筈だ。
だが。
「フ……クク……ンクククッ……!!!」
ブライトは突如、腹を抱えて体を折り曲げると、不気味に喉を鳴らしながら全身を震わせる。
そして、暫くの間ブライトは声を殺して爆笑を続けると、勢いよくその身を起こして高らかに声をあげた。
「ハハハハハッ!! 確かにッ!! ああ、認めるとも。お前の目的は果たされたとッ!! 実に不愉快で虫唾の走る時間だった! まるで喜劇のような空論を聞かされ、それが正道であると……何度も何度も何度も何度も……ッッッ!!! お前の主張は、この目と耳にしかと刻み込まれたッ!!! ……だが」
ブライトは狂喜と怒りを綯い交ぜにした歪んだ表情を浮かべながら一気にまくし立てると、ゆらりと身体を傾がせてフリーディアの目を覗き込む。
同時に、笑みを模っていた口元をさらに吊り上げ、ねっとりと嫌らしい口調で言葉を続ける。
「だがぁ……私を豚と罵ったお前が、言伝などで溜飲を下ろすはずが無いッッッッ!!! あるんだろォ? フリーディア。奴が私の前にでられない……り・ゆ・う・がッ!!!」
「…………」
奴等の情報は本物だった。
狂喜乱舞する胸の奥底で、ブライトはそう確信していた。
私にはわかる。あれ程愉しそうに他者を嬲る奴が、その絶好の好機を逃す訳が無い。
だというのに、奴はこの私の前に姿を現さず、この町のどこかで息を潜め、その手で私を虐められぬ口惜しさで身を震わせているに違いないッッ!!
なればこそ。この目でその理由を暴き、臆病者だと嘲笑ってやろう。
「知っているぞ……? 怪我をしたのだろう? それも……大怪我だ……。なぁに、心配しなくても良いさ。こう見えて気が利く方でね、見舞いの品も持参しているのだ」
黙するクラウスと、固唾を呑んで状況を見守るサキュドとマグヌスの前で。ブライトは悦楽の笑みを満面に浮かべてフリーディアへと語りかける。
これぞまさに勝利。小さいながらもテミスの企てを暴いた、確実な勝利だ。
そう、ブライトは確信していた。
「……そうまで言われるのでしたら、病院をご覧になりますか? 患者の皆さんに迷惑をかける事は断じて許しませんが」
「っ……!!」
「応とも」
フリーディアが驚きに息を呑むサキュドとマグヌスを黙殺して静かに告げるが、ブライトはニンマリとした笑みを浮かべて、ゆっくりと満足気に頷いたのだった。




