743話 主導者の矜持
魔族と人間が鎬を削る中、唯一人間が共に暮らす平和の町ファント。
動乱の末、穏やかな日々を過ごすこの町の平和は、今日は少しだけ騒がしいものとなっていた。
「以上が、鍛冶や薬品類、雑貨と日用品を扱う商店です」
「フフ……いやはや素晴らしい。どれを見ても良い品ばかり……しかも安価だ。このクラウス、いたく感服致しました」
その騒ぎの中心では、マグヌスとサキュドを連れたフリーディアが、柔らかな笑みを浮かべるクラウスと、眉根を寄せて不機嫌を露にするブライトを連れ、ファントの各所を案内して回っている。
無論。マグヌスとサキュドの他にも、周囲には白翼騎士団より選出された騎士達や、黒銀騎団の中でも比較的理性的な者達が、人混みに紛れて護衛兼監視の任務に就いていた。
「ありがとうございます。皆も喜びます。では次に――」
「――もう良い」
「……ブライト様」
「もう結構だと言ったのだ。何のつもりだフリーディア? 私にこんな物を見せつけて何がしたい?」
商業区画の一角。
主にファントの住民やこの町を訪れた冒険者達が利用する店が立ち並ぶ通りで、不意に立ち止まったブライトが、静かな声で怒りを燃やす。
その瞳には純然とした怒りの炎が舞い踊っており、今この時ばかりは、怒りに支配された彼の心中に、企みや策略など無いことが見て取れた。
「……別に何も。私はただ、このファントの町を案内しているだけです。市井に暮らす人々がどのような生活を営み、何を思って暮し、どんな表情で日々を過ごしているか……。この平和こそ、我々が皆さんに見ていただきたかったものです」
「ハッ……。下らん。やはり私の見立てに間違いは無かった。この町は富み過ぎている」
「…………」
しかし、穏やかな微笑みを浮かべ、誇らし気に告げたフリーディアの言葉を、ブライトは鼻で笑った後、一言の元に斬って捨てる。
そして、綺麗に整備された街並みや、豊富な商品を商う店々をぐるりと見渡すと言葉を続けた。
「この町は貴人の集まりなのか? 断じて否だ。なればこそ、分を弁えた暮しというものがあるはずだ」
「ですが――」
「――お前ならばわかるはずだフリーディア。正しき血統に生を受け、その血に相応しき知識を学び、たゆまぬ努力と研鑽によって民を導く者にこそ、あるいは勇猛果敢に兵を率いて敵と戦い、成果を上げた者こそ贅なる暮しは許されるもの。それがどうして、ただ生きるだけで何もしておらぬ連中が貪っている?」
往来の中心で、高らかに奏でられるブライトの演説に、道行く人々は眉を顰めて通り過ぎ、ある者は鋭い視線を向けて立ち止まる。
それでも尚、ブライトの言葉は留まる事を知らず、果てには身振り手振りを弄して、その声は朗々と辺りへと響き渡った。
「見よッッ!! 贅に溺れた悪しき目だッ! この身に過ぎたる暮らしが当たり前のものであると思い込んでいる罪人の目だッ!! お前達が血と涙の果てに勝ち取った平穏を、我が物顔で略奪する盗人の顔だッ!!!」
「…………」
「このようなものの何が平和か。連中が次に何を思うのかなど、至極簡単な事。今こうして享受している平穏が脅かされた時……もしくは、次なる贅を、更なる富を求めた時。その牙が真っ先に向くのはフリーディア。お前達だ」
しぃん……。と。
ブライトの演説が終わると、先程まであれほど騒がしかった通りは静寂に沈み、道行く人々は足を止めてフリーディア達に視線を向けている。
その中には、決して少なくない数の人々が、気まずげに視線を僅かに泳がせていた。
「…………。……それが、何だというのですか?」
「なに……?」
長い沈黙の後。
これまで黙したまま、ブライトの言葉を聞いていたフリーディアは、小さく息を吸い込んでから静かに口を開く。
私の答えは昔からただ一つ。信じる事だ。
確かに町の人々が血を流し、白刃に身を晒して戦う事など無いのだろう。けれどそれが、豊かな暮らしをしてはいけない理由にはならない。
力ある者が力無き者を護り平和を作る。そして力無き者たちが営む平和の中に、力ある者が招き入れられる。あくまでも、両者の間に貴賤は無い。あるのはただ、役割の違いだけ。なればこそ、力ある者こそが人々を信じなくてどうするのだろうか。
それこそが、私の答えだ。
……でも、あくまでもこれは私の思いであって願い。きっと、テミスのそれとは違うのだろう。
だから。
「我々はただ、己が身に降りかかる火の粉を振り払っただけ。その結果として人々が富んだだけです。それ以上でも、それ以下でも無い」
「っ……!?」
フリーディアは意識して意地の悪い笑みを形作ると、皮肉気な口調で|胸の中に思い浮かべた人物であればこんな時、どう答えるのかを考えながら言葉を紡いだ。
「我々に牙を剥く? 知った事か。それが悪逆ならば断ずるだけだ。そもそも、お前の言う民は足腰も立たぬ赤子では無いのだ。なにも一から十まで全てを管理し、世話をしてやる必要などあるまいよ。元より、お前達のように崇め奉られるという餌のために戦った訳では無いしな。……と、彼女ならば言うのでしょうね?」
そして、ブライトを含め、呆気にとられる人々を前にフリーディアは口上を終えると、にっこりと柔らかな笑みを浮かべて言葉を付け加える。
「私個人としては、皆で幸せに暮らす事ができれば、それでいいと思うのですけど」
「そんな――」
瞬間。
ブライトが反論を口にする前に、周囲に集まった人々の間から大雨のような拍手が打ち鳴らさた。同時に、湧き上がる歓声がフリーディア達を包み込み、ブライトの言葉を呑み込んだのだった。




