742話 揺れる事無き正道
「お待ち下さい」
「……?」
しかし、町へと向けて足を踏み出した一行を静かな声が呼び止める。
その声にフリーディアが背後を振り返るとそこには、ブライトを真っ直ぐに見据えて立ち止まるマグヌスと、その傍らで密かに身構えるサキュドの姿があった。
先だっての打合せ通り、マグヌスはそのまま同行しようとするロンヴァルディアの護衛たちの存在を、先頭を歩くフリーディアへといち早く報せたのだ。
「今回は畏敬訪問。この町をご案内できるのは、賓客であらせられるブライト殿と、そちらの侍従の方だけです。護衛の皆さんはどうかご遠慮を」
「なに……?」
きっぱりと告げられらその言葉に、ブライトもまたピタリと足を止めると、表情を醜悪に歪めてマグヌスを振り返る。
「冗談では無い! この私に、護衛も無しで町を歩けと言うのかッ!?」
「護衛でしたら我等と、この町を守護する者達が居ります」
「馬鹿なッ!! お前達だと? 片割れなど幼子ではないかッ! そんな連中など信用できる訳が無いだろうッ!!」
「ご安心を。この町の中で、賓客であるブライト殿に対する警護は万全です」
ヒステリックに喚き立てるブライトに対し、マグヌスはただ淡々とした態度で言葉を紡いだ。
しかし、その傍ら。ブライト喚きに呼応して、彼等の護衛として付き従ってきた兵達の間に殺気に似た緊張感が高まり、それに対するようにマグヌスの傍らで身構えるサキュドが魔力を練り始める。
「そうね。警護は万全。ですが、護衛の方々も体を休める必要があるでしょう。こちらの衛兵に申し伝えておきますので、門で武装を解除した後、休憩できる場所を――」
「――武装解除だとッ……!? ふざけるなッ!!」
「っ……!!」
「…………」
突如として一触即発の空気となった場を治める為、フリーディアが言葉を紡ぎかけた瞬間。
その言葉を遮って、一人の男が怒声を上げる。
すると、護衛の兵士たちは堰を切ったかのように怒号を上げ始め、その圧力が一気にフリーディア達へと押し寄せた。
「俺達はブライト様の護衛だぞ! 武器も無しにどう守れって言うんだッ!!」
「魔族の町に入るのに丸腰だって!? 冗談じゃねぇ!!」
「…………」
「フフ……」
これだけの罵声と怒号を浴びれば、今にフリーディアはこの要求を呑むだろう……。ブライトは兵達を止める機会をうかがいながら、止む事の無い怒号の嵐に己が身をも晒し、黙り込むフリーディアを見下ろすとニンマリと唇を歪めた。
和平を結んだといっても、ブライトにとってファントは敵地。護衛も無しに足を踏み入れるなどあり得ない事だ。
ならば、交渉するしかない。今回の目的はあくまでも、あのカレンとかいう女が持ってきた情報の是非を確かめる為。もしも何か問題が生じたとしても、兵が市中に入ってさえしまえば、対処の方法などいくらでもある。
「…………。フン……その辺りにしておけ」
「っ……!!」
たっぷりと罵声の嵐を楽しんだ後、ブライトは小さく鼻を鳴らした後、手を挙げて口を開いた。
すると瞬時に、暴風のように叩きつけられていた暴言は止み、静寂が戻ってくる。
「私の護衛達も同行する。構わないな? フリーディア」
そして、ニンマリと頬を歪めたブライトは、自らの策の成就を確信しながら、立ち尽くすフリーディアに語りかける。
ただでさえ、大数による罵声や怒号は精神を揺るがせるもの。それが、武装した血気盛んな騎士から放たれるものであれば、いくら戦場を駆けるフリーディアといえどその恐怖は想像に難くない。
よく見れば、圧し潰されかねない恐怖に震えているではないか。
「あぁ……すまないなフリーディア。連中には私の方からよく言って聞かせておく。いくら常軌を逸した対応だとはいえ、怒鳴り付けるのはやり過ぎだ……とな?」
「……それがいつものやり口という訳ですか」
「え……?」
ほくそ笑んだブライトが告げると同時に、周囲の護衛が失笑を浮かべる中。
小さなため息と共に、フリーディアの凛とした声が響き渡る。
「常軌を逸しているのはどちらですか? 和平を結んだとはいえ、つい先日まで我々は刃を交えていた者同士。平和な暮しを営む住民を脅かしかねない者達を、何の対策もせずに懐の内へ呼び込むとでも?」
「なっ……!! 無礼だぞ!! その言い草……まるで我々が、悪しき企みをしていると言っているようではないか!!」
「いいえ? 和平を結んだのですもの。そのような企みなど存在しないと私も信じています。ならば猶更、道中の安全を守護する以外に使い道のない武具を、信用の為にお預かりしても問題無いですね?」
「馬鹿を言うなッ!! 信ずるというのであれば、私の護衛たちが同行しても問題ないだろうっ!?」
「その信用を、保障する為の措置です。……それとも、何の担保も無しに、共闘関係にある者達の背を斬れと命ずる国を信頼しろとでも?」
「っ……!!!!」
びしり。と。
ブライトとの舌戦の末、フリーディアが放った一言で、極限まで煮詰まっていたその場の空気が一気に凍り付いた。
今この瞬間。フリーディアはロンヴァルディアを、武器を取り上げねば町の中に招き入れられぬほど、信ずるに値しない国だと言い放ったのだ。
その言葉は、ブライトや周囲の護衛達に小さく無い衝撃と共に、噴出寸前だった不満を留める理性を揺るがせた。
「こ……のッ……!!!」
「言わせて……おけばッッ!!」
「裏切り者がッッ!!!」
「なっ……!? 待――」
「クフッ……」
歯ぎしりや押し殺した党に呟かれる声と共に、周囲から響く金属音。
そして、まるでそれを心待ちにしていたかの如く、ただ一人愉し気に唇を歪めたサキュドが紅の槍を現出させるべく掌を翳す。
刹那。
「フハハハハハハッッ!!! これは一本取られましたな、ブライト様?」
まるで周囲に全ての怒気を吹き飛ばすように、豪快な笑い声が辺りに響き渡った。
その笑い声を発したのは、ブライトの傍らで大きく身を反らし、腹を抱えて笑うクラウスだった。
「ンフフフッ……!! 仮にフリーディア様の言葉が真であるならば、武装した者達を招き入れられぬのは道理というもの」
「クラウス……!? 貴様……!!」
「ブライト様。問答は時間の無駄ではありませんかな? 命令があったにしろ無かったにしろ、この場で我等の潔白を証明するにはただ一つ。ファントの要求に応ずる他ありますまい」
「だがッ……!!」
「なに……護衛なら私が居ます。問題ありますまい」
「っ……!!!」
爆笑するクラウスにブライトが色めき立つが、柔らかな声色ながらも有無を言わさぬ迫力を孕んだクラウスの言葉に、ブライトは口を噤んで歯を食いしばる。
そもそも、無理を通そうとしていたのはロンヴァルディアなのだ。圧力を利用した交渉が失敗した今、ブライトには恥辱を呑んでクラウスの言葉に従う他に選択肢は無い。
「っ~~~!!! ……お前達の指示に従おう」
「……ご同意頂けたようで何より。では、今度こそ参りましょうか」
長い沈黙の後、絞り出すような声でブライトが護衛の武装解除に応ずると、フリーディアは冷静な声色でそれを受諾する。
そして、フワリと金色の髪を躍らせて身を翻すと、胸を張ってファントの町へと歩み出したのだった。




