741話 予定外の客人
ファントへブライトからの封書が届いてから五日後。
フリーディア達はファントの門の前に立ち、ブライトたちの一行が到着するのを待っていた。
「フリーディア殿……本当に……」
「シッ……余計な口を開かないッ! 今更言っても無駄よ!」
「…………」
眼前に広がる草原を見据えるフリーディアの傍らで、不安気に声をあげたマグヌスの脇腹を、鋭い声と共にサキュドがつついて黙らせた。
今回の一件。表敬訪問としては類を見ない程に異例の早さで話は進み、マグヌス達は何の準備にも携わらないままに訪問の日を迎えていた。
しかし、周囲を固める白翼騎士団の者たちや、テミス配下の兵士たちの殆どは真実を知らされておらず、今この場で言葉を交わす事など、マグヌス達にはできるはずも無い。
だが、マグヌス達の心を悩ませていたのは、それだけでは無かった。
「……来たわね」
遥か彼方に見えはじめた一団を見据えて、フリーディアがボソリと小さな呟きを漏らす。
ブライトの封書というファントの危機を目の当たりにしたあの日から、フリーディアは時折まるで人が変わったかの如く冷徹な態度をとるようになったのだ。
それこそが、テミスの留守を預かる者としての覚悟の表れなのか、それともただ、慣れない役責の重圧から異常をきたしているのか……。だがあくまでも、サキュドとマグヌスにとってフリーディアは上官の友人であり、彼等の間で判断する事は憚られていた。
「サキュドさん、マグヌスさん。手はず通りに準備を」
「ハッ……」
「……了解よ」
豆粒のように小さく見えていた一団が急速に町へと近付いてくると、フリーディアは凛とした声で指示を下す。
それに従い、サキュドはフリーディアの右後ろに、マグヌスはフリーディアの左後ろへと回り配置についた。
そして、間もなくして。
「フフフ……。出迎えご苦労」
「いえ。これも仕事ですので」
町の門の前で止まった馬車の中から、フリーディアとよく似た色の髪を陽光に光らせ、鷹揚な態度でブライトが姿を現した。
けれどそれに対してフリーディアは、あくまでも事務的な態度で応え、胸を張ってそれを出迎える。
「ム……? フゥン……?」
「……何か?」
「いや、な。私を出迎えるには、少しばかり寂しい出迎えだと思ったのだ。そちらの主も見当たらぬようであるしな」
「――っ!」
「……っ!」
馬車から身を乗り出した格好で周囲を見渡したブライトがそう言葉を付け加えると、フリーディアは自らの背後に控える二人が僅かに息を呑む気配を察知する。
しかし、フリーディアはゆっくりと右手を口元まで持ち上げ、クスクスという笑い声と共に目を不敵に細めて言葉を続けた。
「私の気遣いですよ? 今回はあくまでも畏敬訪問。彼女がこうして門の前で待ち構えて迎えてしまっては、醜聞がよろしくないと思いまして」
「なっ……っ……!! フッ……ハハハッ!! まぁ良い。所でフリーディア。お前に合わせようと思って連れて来た者が居る」
「っ……? 私に……ですか?」
「あぁ。そうとも」
皮肉気に告げられたフリーディアの言葉に、ブライトは一瞬だけその顔を怒気に歪ませるが、すぐにニンマリとした嫌らしい表情へと変えると、眉を顰めるフリーディアを見下ろして大きく頷いてみせる。
「行くぞ。私に続け」
「……はい」
「っ……!!!」
再度、ブライトは警戒の色を見せるフリーディアを確認した後、馬車の中へ声をかけてから地面へと足を下した。
直後。馬車の中から響いた声に、フリーディアは目を見開いて固く拳を握り締める。
……この声を、他ならぬ私が聞き違えるはずが無い。
馬車の出入り口に人影が現れるまでの刹那の間。
ファントの領主たれと律したフリーディアの心が激しく揺れ動く。
少ししゃがれた優しい声色。けれどその声には、どこか大樹のような力強さも秘めていて……。
驚きに体を硬直させるフリーディアが回想に浸る暇もなく、その眼前に一人の老人が姿を現した。
「っ……!」
「ム……」
瞬間。
フリーディアの背後で控える二人の纏う空気が、小さく息を漏らす音と共に警戒のそれへと切り替わる。
だが、驚愕に打ち震えるフリーディアがそれを察する事は無く、その視線は現れた老人へと一直線に注がれていた。
「爺……? どうしてここに……?」
「御久しゅうございます、フリーディア様。ご壮健そうで何よりでございます。ちと訳がありましてこの老骨、今は執事として、ブライト様にお仕えさせていただいているのです」
「そ……そう……。じ……コホン。クラウスも元気そうで何よりだわ? では、行きましょうか。案内は我々が務めます」
クラウスは素早い身のこなしで馬車から降りると、震える声で問いかけるフリーディアへ向けて深々と頭を下げる。
すると、クラウスのその行動で気を取り直したフリーディアは、小さな咳ばらいを一つした後、足早に二人の前へと歩み出た。
同時に、フリーディアの後ろから歩み出たサキュドとマグヌスがクラウスとブライトの背後に回り、畏敬訪問の体裁が整えられる。
「……まずはファント自慢の目抜き通り。町を横切る大通りからご案内しましょう」
フリーディアは大きく息を吸い込んだ後、胸の内でしっかりと気合を入れなおすと、事前に準備していた口上を述べ、ゆっくりとした足取りでファントの町へと足を踏み出したのだった。




