737話 風の報せ
一方その頃。
ファントから遥か南方。魔導国家エルトニア。
魔導機械がひしめくこの地の一角。新設された特務部隊の管理官であるトーマスは、彼等に与えられた分室で、一通の報告書を手に眉を顰めていた。
そこへ、コツコツと戸を叩く音が来客を報せ、トーマスは報告書から顔を上げて扉へと視線を移す。
「特務小隊隊長……レオン・ヴァイオットだ」
「……。フゥ~……やれやら、相変わらずだねぇ。いいよ、入って」
「…………」
感情の籠らない静かな声で来訪を告げるレオンにトーマスは苦笑いを浮かべると、大きく長いため息を吐きながら入室を許可した。
しかし、その表情は何処か楽し気に緩められており、トーマス自身がレオンの事を好ましく思っている事が見て取れる。
そして間を置かずして、声と同じく感情を見せない仏教面を引っ提げ、ガチャリと扉を開けて入室してくるレオンに向けて口を開く。
「レオンく~ん? 優しい僕が相手なら構わないけれど、他の上官を相手にする時は、その態度止めた方がいいよ?」
「フン……」
「ハァ……全く……。そうやって愛想が悪いと得しないよ? あまり良い噂聞かないし」
「……どうでもいい」
「まっ……それもそっか。レオン君にとっては、仲間たちの事が一番だもんねぇ?」
「っ……!! …………」
まるでおちょくるかのように、トーマスは冷静沈着を貫くレオンに軽口を繰り返すと、レオンはギラリと目を光らせてトーマスを睨み付け、無言で抗議を発する。
しかし、トーマスはそんなレオンを柔らかな笑みを浮かべて眺めながら、優しい眼差しを向け続けていた。
「用件はそれだけか? 緊急の用件と聞いたんだが……?」
「いやいやまさか。流石の僕でも、レオンくんで遊ぶ為だけにわざわざ呼び出したりなんてしないよ」
「っ……!! チッ……」
レオンは苛立ちを言葉に込めて叩きつけると、扉へ向かって踵を返しかける。
しかし、即座に口を開いたトーマスがその背に向けて、にこやかな笑みで告げると、レオンは舌打ちに憎悪すら込めて足を止める。
「それがねぇ……ちょぉっと困った事になっているみたいなんだよねぇ……」
「アンタが俺達に仕事を回す時はいつもそうだろ」
「まぁね。でも、今回は少しだけ、いつもとは違うんだよね。わかる? コレ」
「…………」
足を止めたレオンに対し、トーマスは謎かけでもするかのように口火を切ると、それまで手に持っていた報告書をひらひらと泳がせた。
無論。
目を通した事の無い報告書の内容など、レオンが知るはずも無く。
鋭い眼光を湛えたまま黙り込んだレオンの表情が、それを物語っていた。
「……コレ。今朝届いたばかりの緊急通信なんだけどさ。僕達のお友達、ちょっとマズいみたいだね」
「俺達の……友達……?」
声のトーンこそは真面目なソレに変わったものの、未だに持って回った言い回しをするトーマスに、レオンは首を傾げて先を促した。
部隊の仲間の事ならば兎も角、トーマスとの共通の友人どころか、エルトニアの中でレオンの友人と呼べる者など存在しない。
だからこそ、心当たりの一切無い言い回しの意味を、レオンは首を傾げたまま考えるのだが……。
「なんか……御免よ……。読み上げようか……」
「…………」
瞬時に眉根を下げ、酷く申し訳なさそうな声色で話を変えたトーマスに、レオンは憮然とした表情と沈黙を以ってそれに応じた。
何故か、トーマスの目が憐憫に満ちているように感じるのは、きっと気のせいだろう。
「緊急。ファント現首領であるテミスが負傷。当該日時以降に姿を見た者は居らず、戦線及び日常生活への復帰が難しい程の重症であると予測される。……だって」
「なっ……!?」
だがその直後。
事も無げにトーマスの口から放たれた言葉に、レオンは思わず絶句して驚愕の表情を浮かべる。
――あのテミスが重症だと……?
レオンは以前、テミスが南方戦線に派兵された際に剣を交えている。
その時に感じた絶望的とも言える程に圧倒的な力の差は未だに記憶に焼き付いており、そのテミスが重症を負ったなどという事実は、俄かには信じ難かった。
「詳細はッ……!?」
「それが、わからないんだよねぇ……。現にミコト君がこうして手紙を送れるのだから、ファントが陥落した訳じゃないと思うんだけど……」
「……。そういう事か」
報告書を片手に、自らの頬をぶにぶにと揉みしだいて唸るトーマスに、レオンは静かに姿勢を正すと口を開いた。
トーマスが自分を呼び付けたのは、恐らく新たな任務の為だ。
おおかた、至急ファントへ赴いてミコトと合流し、詳しい状況を把握すると共に場合によってはミコトと共に脱出する……といった所だろう。
自らが呼び出された理由を察したレオンは、小さく笑みを浮かべてトーマスから発せられるであろう命令を待った。
理由はどうあれ、久々に親友と顔を合わす事ができるのだ……ファルトやシャルロッテの奴も喜ぶだろう。
しかし。トーマスから発せられた命令は、レオンが予測していたものでは無かった。
「レオン・ヴァイオット。極秘の単独任務だ。直ちにミコトの応援戦力としてファントへ向かい、報告の詳細を確認すると同時に、必要が認められれば友軍戦力に協力せよ」
「なん――」
「――悪いけれど、ファントの事は極秘なんだ。君たち全員を動かす訳にはいかない。ミコトの報告通り、テミスが斃れたというのなら、戦力的に見ても君が適任だ。……わかるね?」
だが、反論の言葉を発する前に、静かながらも有無を言わせぬ語気で、トーマスが言葉を並び立てる。
その内容は確かに正しく、レオンはただ歯を食いしばって黙り込む事しかできなかった。
「……任務了解」
そして、短い沈黙の後。
レオンはボソリと一言だけ言い残すと、トーマスに背を向けて部屋を後にしたのだった。




