67話 自由の首輪
人気の無い魔王城の廊下を、規則的な軽い軍靴の音と激しい衣擦れの音が反響する。
「……行くのか? 供も付けずに」
「ああ……邪魔になる」
ふと、暗がりから若い男の声がして、薄闇に溶け込んでいる外套を羽織ったテミスは足を止めた。
「ククッ……それは、どちらが……かな?」
喉を鳴らしたギルティアが影から姿を現し、廊下の真ん中へと歩み出てくる。今更、魔王が何の用かは知らないが、あまり他の連中の気を逆撫でするような事は止して欲しい。
「さあ……な――っ!?」
ニヤリと笑みを浮かべたテミスが、ギルティアの横をすり抜けた瞬間。高い風切り音と共にギルティアの右腕が閃き、テミスを石壁へと押し付ける。
「ぐっ……ごほっ……失態を咎めて嬲るつもりか? 随分と意地が悪いな……」
「否」
まるで挑発するかのように笑みを漏らしたテミスに、興味深げに目を細めたギルティアが一言だけ返す。
「っ!」
同時に、カチャリッ。という留め金の音と共に、心地の良い重さがテミスの腰に伝わってくる。
「これ……は?」
音も無く身を翻したギルティアに、テミスが問いかけた。そのはだけられた外套の下には、細工の施された細剣が腰に留められていた。
「首輪代わりだ。持っていけ」
「くびっ……」
数歩の位置にはなれたギルティアは愉し気な笑みを浮かべると、近くの壁に背を預けて口を開く。
「軽魔銀の細剣に、私とドロシーが許容限度まで付与魔術を施した逸品だ。そこいらの魔剣など比にはならんぞ?」
「ならば余計に、そんな代物を受け取る訳にはいかないのだが……仮にも私は、依頼を失敗した身だぞ?」
叩き付けられた衝撃か、多少の痛みを発する背を恨みつつ、テミスはギルティアに言葉を返す。同時に、留められた留め金を外そうと腰をまさぐるが、その指先が隙間にかかる事は無かった。
「だから言ったであろう。首輪だと。何処へ行くかは知らんが、仮にも軍団長に野垂れ死なれては困るのでな。私の部隊の切り札の一つを……貸してやる」
「……なるほど。そういう事か」
「ああ。別に既製品でも良かったのだがな……手厚い付与は私からの見舞いだとでも思っておくと良い」
そう言うとギルティアはもたれ掛っていた壁から背を離して、ゆっくりとテミスの来た方向へと廊下を歩いていく。失敗した身で、魔王から見舞いの品を貸し与えられたなどと噂になっては、また面倒な事になりかねんな。
「なるべく早く……返すとしよう。恩に着る。同志ギルティア」
テミスは小さくなっていくギルティアの背にそれだけ投げかけると、外套を大きく翻して廊下の奥へと消えていくのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
3日後。テミスの姿は前線に程近い町、プルガルドの近くにあった。
「まさか、こうも早く頼る事になるとはな……」
皮肉気な笑みを浮かべながらぽつりとつぶやくと、テミスは手元の羊皮紙を広げて眺める。
そこには、ギルティアが第一軍団の通信兵に持たせて寄こした、ラズールの詳細な戦況があった。これを持ってきた兵曰く、数日おきにこれが届くらしいが、その様な事に割く戦力があるのならば、一兵でも多く戦力を投入すべきではないだろうか。
「現状は拮抗……白翼連中もまだ居るようだが、十三軍団の戦力を集中する事で押し留めている……か。なに? 次席指揮官の特にマグヌス・サキュド両名の奮戦の功績が大きく、生還の暁には報奨を考えられたし? 第三軍団長リョース・アヴール? あのお節介め!」
ブツブツと声にあげながらテミスは羊皮紙に目を通すと、小さく折りたたんで懐へとしまい込む。今の所、この魔剣とやらを抜くような羽目にはなっていないが、問題はこの先だろう。
「以前は散々な歓迎だったしな……」
テミスは空を見上げてボソリと呟くと、自嘲気味に頬を釣り上げた。一度は身分を偽り潜入し、二度目は真の姿で相対し、三度目は力無き少女として訪れる。いいかげんテプローの人々からは、どれが本物の私かと詰問されかねんな。
「やれやれ……しかし、部下が気張っているのに私がサボる訳にもいかんしな」
そう零してからテミスはふと、ラズールの方を眺めると、ふんわりとした笑みを浮かべて再び歩みを進めるのだった。
10/25 誤字修正しました
2020/11/23 誤字修正しました




