733話 虚無と太陽
「幻覚……そうでしたか……」
フリーディアの呼び出しに応じ、全ての顛末を聞き終えたイルンジュが出した答えはいたく単純なものだった。
「貴女の感じた通り、今の彼女はただの抜け殻。恐らくは心が……魂がまだ眠っているのでしょう」
「っ……!! なんで……」
「わかりません。ですが、テミス様に施した治療の中には、苦痛を緩和させるために認識を歪ませる術式や、巷では劇薬と呼ばれている薬の投与も含まれます。いわば、酩酊状態にも似た精神状態で受ける心の傷は、通常のものよりはるかに大きい……」
しかし、その事実は単純であるが故に残酷で、フリーディア達には為す術がないという事実を突きつけていた。
「肉体は目覚めているのに、魂が目覚めていない……。そんな、奇跡のような状態なのです。ともすれば……テミス様ご自身が、目覚める事を拒まれているのかも――」
「――そんな事は無いわッッ!!!」
静かに、そして淡々と紡がれるイルンジュの言葉を遮って、フリーディアは堪らずに叫びをあげる。
あのテミスが目覚める事を拒んでいる……? あり得ないッ!! テミスはいつだって憎たらしい顔で皮肉ばっかり言う捻くれ者で……。しかも、自分で決心したことは絶対に貫き通す意地っ張りで……。そのくせ、危ない事や嫌な事を全部一人で抱え込んで、私達には手伝わせようともしない意地悪だけど……。
たったの一度だって、諦めたり逃げたりしたことは無かったッッッ!!!
「……そうよ。貴女はいつだって、そうやって窮地を引っくり返してきたんじゃない……。絶望的な戦況も、私たちじゃ到底かなわないような強敵だって……貴女はただの一度も折れる事無く、最後まで立ち向かっていったッ!! そうでしょうッ!?」
ぎしり。と。
フリーディアは難く拳を握り締めて俯いた後、突如叫びと共に身を閃かせると、ベッドの上に座ったまま呆けるテミスの肩を掴んで揺さぶった。
気に食わない事なんて山ほどあるけれど、テミスの強さはいつだって私の目標で、憧れだった。
そんな貴女が、こんな何でもない事で折れてしまうなんて認めないッッ!!!
「フ……フリーディア殿ッ!!」
「落ち着いてください。お気持ちはお察しいたしますが、相手は怪我人です」
「っ……!!!! でもッッッッ!!! そんな……こんな事ってッッ!!」
「…………」
「わかります。私とて、まさかあのテミス様が……。そう幾度となく考えました。ですが、いくら鬼神の如き強さを持っているとはいえ、テミス様もまた一人の少女であることは事実……。それは、テミス様の好敵手である貴女が一番理解できるのではないですか?」
「ぁ……」
だが間を置かずして、フリーディアの手はマグヌスとイルンジュの手によってテミスから引きはがされる。
だというのに。当のテミスは身体を強く揺さぶられたにもかかわらず、未だにぼんやりとその視線を虚ろに彷徨わせていて……。
そんな姿を前に紡がれるイルンジュの静かな言葉が、逃れようのない現実をフリーディアへと突き付けた。
「そう……よね……」
目を見開き、呻くように呟くと、フリーディアは緊張で強張った体から力を抜き、その場にぺたりと座り込んだ。
テミスは指揮官として立派な人間だ。
戦闘では常に最前線に立って指揮を執り、誰よりも勇猛果敢に戦ってきた。
それが敵にとってどれ程脅威であり、味方にとってどれ程心強いか。敵としても、味方としても戦った事のある私は、その事を誰よりもよく知っている。
しかし、白刃に身を晒して戦い続ける事が恐ろしくない者など居るはずが無い。けれど、敵からは恐れられ、味方から頼られる存在であるテミスは、それ故に弱さを隠し続ける事しかできなかったのだろう。
その結果が今、目の前にある。
「っ……!」
フリーディアは座り込んだまま小さく息を呑むと、一度だけ小さく頷いてから静かに立ち上がった。
そして、ゆっくりとした足取りでテミスの近くへ歩み寄ると、マグヌスとイルンジュが無言でそれを見つめる中、大きく息を吸い込んで口を開く。
「テミス。あの小屋で捕まえた人たちだけど、やっぱり女神教の信者だったわ。マリアンヌさんと一緒にこの町へ来て残らなかった人たちよ。彼等の話では、何とかマリアンヌさんを助け出そうと考えていたら、赤毛の女が声をかけて来たそうよ」
「フリーディア殿……」
「たぶん、貴女の腕を斬った子……あの子を助けに来た女じゃないかしら? それで、その赤毛の女の計画に乗って、この町に武器をばら撒いていたらしいわ。でも、随分と勝手な話よね? 逆恨みじゃない。色々あったけれど、マリアンヌさん自身が受け入れているのにね。だから、彼女たちが何者なのか、何を目的で武器をばら撒いたのか……そこはまだわからないわ……。これだけでも、貴女なら何か……わかるのかしら?」
フリーディアは、ぼんやりと宙を見続けるテミスへ向かって、流れるように状況を報告していく。
しかしそれでも、テミスが一切の反応を返す事は最後まで無く、小さな笑みを浮かべて付け加えた問いを最後に、静けさが病室の中を支配した。
「……。よしっ! 今日の分の報告終わり! これから毎日来るから、覚悟しておきなさいよ? イルンジュさん。テミスの事、よろしくお願いしますね?」
訪れた静けさを噛み締めるように数秒目を瞑った後、フリーディアはクルリと身を翻すと、強かな笑みを浮かべて歩き始める。
その背に向けて、困惑した表情を浮かべたマグヌスが、チラチラとテミスへ視線を向けながら問いを投げかける。
「フリーディア殿……? どちらへ……?」
「決まってるじゃない。詰所に戻るのよ。テミスの留守は、私たちで守らなきゃ。テミスが元に戻った時に、『全く……私が居なきゃなにもできんのか……』なんてため息吐かれたくないでしょ?」
そう答えてにっこりと笑ったフリーディアと、ただただ緩慢な瞳で中空を眺め続けるテミスの差を嘲るように、ファントの空には燦然と輝く太陽が浮かんでいたのだった。
本日の更新で第十四章が完結となります。
この後、数話の幕間を挟んだ後に第十五章がスタートします。
自らの『能力』との決別を決めたテミス、しかしその先に待ち受けていたのは努力と研究という名の高くそびえ立つ壁でした。
しかし、テミスは仲間達の力を借りてこの壁に毅然と立ち向かい、自らの『能力』と向き合い始めます。
ですがその傍ら、ファントには正体不明の敵の魔の手が忍び寄っていました。
自らの修業を進めると共に、水面下で蠢く敵を探るテミス達。そんな敵をあと一歩の所まで追い詰めるものの、テミスは深く傷付き、倒れてしまいました。
ファントを支える大黒柱とも言えるテミスが倒れ、人間領ロンヴァルディア・魔王領ヴァルミンツヘイムそして融和都市ファントを取り巻く激動の渦は、どう動くのでしょうか?
続きまして、ブックマークをしていただいております482名の方々、そして評価をしていただきました71名の方、ならびにセイギの味方の狂騒曲を読んでくださった皆様、いつも応援していただき、ありがとうございます。
さて、次章は第十五章です。
テミス達は正体不明の敵の不気味な企みから、辛くも融和都市ファントの平和を守り抜きました。
しかし、テミスはその半ばで倒れ、心を失ってしまいました。
これまでファントを守り、導いてきたテミスを失ったファント。そこに集うフリーディア達はどうするのか? そして、密かに蠢く敵の謀略はいかに……? テミスは無事、その心を取り戻す事ができるのでしょうか?
セイギの味方の狂騒曲第15章。是非ご期待ください!
2021/8/8 棗雪




