730話 残された者達
「っ――……」
やはり……か……。
フリーディアの放った一撃が脳を揺らす刹那。
テミスは深く沈んだ心で、どこか他人事のようにそう呟いていた。
私が間違っていたのだ。
護るべきものなど……。護りたいものなど持つべきじゃなかった。
ゆっくりと暗転していく視界の中で、そんな後悔がテミスの心を緩やかに蝕んでいく。
平和であって欲しい願いなど、所詮血に濡れた私がいくら手を伸ばした所で届く訳も無い。
本当にそう願うのならば身を引き、町から離れるべきだったのだ。
そうすれば。戦火にこそ見舞われるだろうが、運が良ければある程度の平穏を享受できたはずだ。
少なくとも……。
天から地に叩きつけるような、最悪の事態にはならなかったはずだ。
「あぁ……」
暗転したテミスの瞼の裏に、穏やかなファントの街並みが浮かぶ。
しかしそれはすぐに、味方であったはずの兵達の手によって蹂躙され、崩れ落ちていく。
私が作り上げた平穏など偽りである……と。むざむざと突き付けられているようで。
悲しみと無力感だけが、虚ろとなったテミスの心の中に蓄積していく。
もう、何もかもが終わりだ。
戦えない私などに価値なんて無く、これから起こり得るであろう暴虐を止める術など無い。
「…………」
果たして、この場にいない町の防衛戦力だけで、どれ程の人々が襲い来る災難から逃れる事ができるだろうか?
アリーシャは? マーサは? そして……。
「すまない……御免なさい……どうか……無事……で……」
ぷつりと意識が途絶える刹那。
テミスは自らの嘆きと後悔を込めた祈りを呟いた後、完全にその意識を手放したのだった。
そして、テミスの意識が完全に断たれた直後。
マグヌスは昏倒し、ぐったりと自らの腕にその身を預けるテミスを抱えながら、剣を振り抜いた格好で硬直するフリーディアに向けて身構え、叫びをあげる。
「フリーディア殿ッ!! いったいどういうおつもりかッ!! このような状態のテミス様に手を上げるとは……ッッ!! 貴様の騎士道は……何処へ消えて失せたッ!!」
「…………」
マグヌスはぎりぎりと固く歯を食いしばると、意識の無いテミスを庇うように腕に抱え、フリーディアと相対する。
今や戦えぬ身となった私であろうとも、時間稼ぎくらいはできる。
せめて、サキュドの元まで。
例えこの身が果てようとも、主の身柄だけは仲間の元へと送り届ける。
燃えるように猛り狂う胸の内で、マグヌスは決死の覚悟を固めていた。
しかし。
「このような状態……だからよ。わからないかしら? 幻覚に幻惑……人間である私達白翼騎士団だけならまだしも、魔族を含むこれだけの相当な実力者に対して、誰にも感知される事無く効果を及ぼす事のできる術式なんて私は知らない」
カシャリ……。と。
フリーディアは振り抜いた剣を静かに収めると、剣帯から鞘ごと剣を抜き取り、長けるマグヌスの前へと投げ棄てて言葉を続ける。
「……幻覚を見ていたのは私たちじゃない。奴等の狙いはテミスだったのよ」
「――っ!!」
「大勢の猛者に術式をかけるよりも、傷付いて弱った今のテミスなら……」
「……簡単に、術式に堕とせる……と?」
その言葉に、身を硬直させたマグヌスは、震える声で言葉を返した。
確かに、普段のテミス様ならば、幻覚の術式をかけられたとしても、即座に看破して術者を見付けるだろう。
だが……今のテミス様は満身創痍。
夥しいほど多くの血を流され、本来ならば絶対に安静が人うようなほどの重症を負いながら、無理を押して前線に出てきていたのだ。つつけば倒れてしまうような人間など、術式に堕とすのは容易い事だろう。
「クッ……私がお側に付いていながらッッ!!! 何という失態ッッ……!!」
「……そうでも無いわよ。そもそも、そんな状態でこんな所まで来るテミスが悪いわ」
「しかしッ!! フリーディア殿ッ!! っ……!!」
己が無力を歯噛みしながらも、怒りにフリーディアの言葉に顔を上げたマグヌスは、唇を噛み締め、固く拳を握り締めるフリーディアに言葉を失った。
「……テミスにそんな傷を負わせた私は、もっと悪いけれど」
「それは違うっ……!!」
「いいえ。そもそも、テミスに幻覚を見せている敵が居たのかさえ分からないわ。今のテミスは薬や術式で体を無理矢理動かしている状態……何が起きても不思議じゃない」
「フリーディア殿……」
「だとしたら、テミスに幻覚を見せた敵は私って事になるのかしらね?」
フリーディアは深い悔しさが混じった声でそう呟くと、悲し気な笑みを浮かべてマグヌスへと視線を向ける。
その表情には、彼女がいつも湛えている太陽のように輝く覇気は無く、ただただ悲しみと途方に暮れる一人の少女のものだった。
「ともかく、この事態の収拾を付けなくちゃ……。剣、もう良いかしら?」
「え……えぇ……」
「テミスの事……どうかお願いね?」
しかし、フリーディアは即座に表情を切り替えると、マグヌスに確認を取ってから自らの剣を拾い上げ、マグヌスと、その腕に抱きかかえられたテミスに背を向けて立ち去って行ったのだった。




