728話 張り詰めた糸
「な……なんだ……? 一体……何が起きているというのだ……?」
フリーディアたちの突入部隊が小屋に斬り込んでから数十秒後。
テミスは眼前の光景を俄かには信じる事ができず、目を見開いて言葉を漏らす。
その視線の先では、フリーディアやライゼル達に拘束された男女が数名、その顔を俯かせて小屋から歩み出てきていた。
それはまるで、あの世界での立てこもり犯が逮捕されたような光景で。
遠巻きにそれを見つめるテミスの全身を、気色の悪い違和感が駆け巡る。
「戦わずして降伏させたのか……? いや、あり得ん。奴等は投降勧告を無視したのだぞ? ならば何故……? 私は幻覚でも見ているのか……?」
「っ……。わ……分かりません……ッ!! 伝令! 伝令はまだかッ!?」
呆然と漏らされたテミスの言葉に、傍らのマグヌスもまた動揺を露わにして叫びをあげた。
しかし、どれ程待とうとも前線からの伝令が送られてくることは無く、その間にもテミスの胸の内には着々と疑惑が浮かび上がってくる。
少し考えてみればわかる事だ。ここは敵が示した場所……強敵が待ち受けているなり、狡猾な罠が仕掛けられているなりするであろうことは自明の理。
何がどうまかり通ったとしても、戦闘の気配すら感じ取らせる事なく、たかだか数十秒足らずの短い時間で終わるはずが無い。
ならば、それが示す答えは一つだけしかないッ!!
「っく……!!」
「っ……!? テミス様!! お待ちくださいッ!!」
「放せッ!! マグヌスッッ!! 現状を確認しなければッッ!!」
「しかしッッ!!!」
「黙れッ……!! 敵の攻撃を受けている可能性があるッッ!!」
「ご自分のお身体の事をお考え下さいッッッ!!!」
「そんな事――ッ!? ウッ……!!!」
即座に判断を下したテミスがヨロリと半歩前に出ると、一瞬遅れて反応したマグヌスが咄嗟にテミスの左腕を掴んで止める。
そして二人は、互いに声を荒げて言葉を交わした後に、グラリと状態を大きく傾がせたテミスは、ドサリとマグヌスの腕の中へ崩れ落ちた。
「ぐぇ……ぁ……ぶッ……!!!」
「テミス様ッッ!!」
そのまま、テミスはマグヌスの腕の中で身を捩ると、額に脂汗を浮かべて激しくえずいた。
だがそれでも、テミスは渾身の力を込めてマグヌスの腕に手をかけ、自らの足で立ち上がらんとあがいき続ける。
――最悪の気分だ。
脳味噌を無数の針で刺し貫いたかのような酷い頭痛に、地面が崩れたのではないかと錯覚するほどの眩暈。更には、全てを拒絶するかのように内臓が捩れ痙攣し、耐え難い吐き気が腹の奥からせり上がってくる。
そもそも、テミスの身体は既に戦うどころか、こうして歩き回っているだけでも既に限界を越えているのだ。
大量の出血に加えて致命傷にも等しい大怪我。そのダメージはテミスの超人的な体力を以てしても補い切れてはいない。
むしろ、テミスだからこそ。辛うじて命が繋がっているような状態なのだ。
「ふざっ……けるなッ……」
しかし、テミスが担ぎ込まれた病院で発した命令は、今すぐに指揮を執れる程度に回復させる事。
無論。並大抵の施術や投薬でそんな奇跡を起こす事ができるはずも無く。その代償は全て、今もこうして苦痛となってテミスへと跳ね返り、その身を苛んでいる。
だというのに。
「っ……!!! ハァッ……ハァッ……!! マグヌス……頼むッ……!!!」
テミスは己が身を苛む苦痛を気力だけでねじ伏せると、マグヌスの腕すらも振り払えぬほどに弱った身体に力を込めながら、鬼気迫る気迫で言葉を紡ぐ。
部隊の後方に居た私をも巻き込む幻惑系の魔法ならば、既に部隊の統率は取れていないだろう。
最悪の場合、幻覚を見せられた仲間同士での同士討ちが始まってしまう。
そうなれば最後。防衛戦力を失ったファントは、いとも容易く瓦解するだろう。
「我々しかッ……!! 気付けている者は居ないのだッ……!! 早く……早く何とかしないとこの町がッッ……!!」
必死で言葉を紡ぐテミスの脳裏には、既にけたたましい警鐘が鳴り響いていた。
普段のテミスならば、即座に前線へと赴き、自らの目で状況を確認し、冷静な判断を下していたのだろう。
だが、今のテミスには自らの足で前線へと赴く力も無く、その身を苛む焼け焦げるような苦痛によって思考は千々に乱れていた。
だからなのだろう。
「戻ったわ。テミス、報告を――って、テミスッ!!?」
「ぇ――ぁ……フリー……ディア……。そんな……お前……まで……」
足早にテミス達の元へと駆け寄ってくるフリーディアの姿を認めた瞬間。
マグヌスの腕の中でもがいていたテミスの身体から一気に力が抜け、その瞳が絶望に見開かれる。
同時に。
ぽろり……と。
テミスの目尻から、大粒の涙が、透明な一筋の雫となって伝ったのだった。




