726話 錯綜する疑惑
「隠なる者の英知をここに。其の深慮は欺きを暴き、我が空虚なる警戒に意味をもたらさん」
ボソリ。と。
小屋の戸に張り付くように身体を寄せたライゼルが目を瞑り、一枚のカードを手に取って呟きを漏らした。
その傍らでは、剣の柄に手をかけたフリーディアと、突入部隊として選抜された面々が、息を殺して食い入るようにライゼルの様子を見守っている。
「……三名。……向かって右から、剣。槍。剣。材質は粗鉄。意識の向き方から、突入した所に一斉に斬りかかるつもりでしょう」
「なら――」
「――続いて奥に弓と……縄……? なるほど……殺すのではなく人質に取るつもりですか」
探知の結果を報告するライゼルの言葉に頷き、早速前へと出ようとするフリーディアを制すると、ライゼルは静かに目を開いて言葉を続ける。
「加えて、設置型の魔法が3つ。…………他に罠らしい罠は見当たりませんね」
長い沈黙と共に、ライゼルは自らの脳内へと流れ込む情報を念入りに調べ、小さく首を傾げながらそう報告を締めくくった。
考え過ぎか……? それとも……。
自らが前に出ようと、戸口に張り付いたライゼルの身体にぐいぐいと自らの身体を押し付けてくるフリーディアを無視して、ライゼルは冷静に思考を回転させた。
この隠者のカード。
索敵や諜報に特化したこのカードが示す情報に偽りはない。
つまり、自分やテミスが予測したように、この建物にはあの世界の技術を用いた罠は仕掛けられてはいないのだ。
「見誤ったか……? いや……」
警戒を解かぬままに思考を続けること数瞬。
ライゼルは堂々巡りを始めた思考を断ち切ると、静かにその目を見開いた。
今、いくら考えた所で意味はない。ライゼルにとってテミスは、かつての仲間達の仇であり、憎むべき者ではある。
だが、その自らをも打ち破った強さにだけはライゼルとて一目を置いており、その感情は信頼にも近いものだった。
そんなテミスにあれほどの重症を負わせた相手が、そこいらに掃いて捨てる程いる野党の類であるはずも無い。
そう結論付けたライゼルは、ひとまず目の前の事実を受け入れ敵を処理を優先する。
「フリーディア様は指揮を。魔導罠の解除は彼等に任せるとして、我々は正面戦力の無力化に当たるのがよろしいかと」
「……っ!! え、えぇ。そうね……」
しかし、そんな妙な間を間近に居るフリーディアが見逃すはずも無く。
フリーディアはライゼルへ曖昧な返事を返しながら、じっとその瞳を覗き込んでいた。
「……? どうかしたのですか?」
「いいえ。何でもないわ。ライゼル、貴方は私の補佐を。私の側から離れないように」
「それは……指揮官としての命令ですか?」
「そうよ」
「…………はい」
フリーディアは首を傾げて問いかけたライゼルにそう答えた後、きっぱりとした口調で指示を下した。
その指示に、ライゼルは眉を顰めて問いを返すが、即断したフリーディアを見つめたまま数秒の間沈黙した後、小さく頷いてその言葉に従った。
「じゃあ、黒銀騎団の三人は確認された魔導罠の解除を。それが終わり次第、私とライゼルを先頭に室内へ突入。敵戦力を捕縛するわ。解除の準備が出来たら教えてちょうだい」
「……了解。解除魔術。術式展開開始」
フリーディアの指示に即応し、突入部隊に配置されたテミス配下の兵士は術式を展開すると、ブツブツと呪文を唱え始める。
その様子を一瞥した後、フリーディアは視線をチラリと傍らのライゼルへと移して唇を噛み締めた。
もう……失敗はしない……ッ!!
ライゼルへと疑いの視線を向けるフリーディア脳裏に渦巻いていたのは、溝泥のように絡みつく失態の記憶だった。
テミスがあそこまでの重症を負う羽目になったのは私の責任だ。
あの時、マリアンヌを信じると口にしながらも、私の中には一抹の不安と疑いがあった。
だからこそ、テミスの指令に甘える形で思考を放棄し、単独での先行を受け入れてしまったのだ。
その結果がこの事態だ。
以前。テミスに深い憎しみを抱いているであろうライゼルの命を、自らの責任を以ってその凶刃から救い出したのは私だ。
そんなライゼルがテミスが傷付き弱ったこの瞬間に、テミスへ噛みついてまで突入部隊への加入を申告した。
それに加えて、何かを思い悩むような素振りまで見せている。
もしも彼が何かを企んでいるのなら……今度こそ私がそれを阻止しなければならない。
「っ……」
ぎしり。と。
フリーディアは腰の鞘に添えた手を固く握り締めると、焦燥にも似た緊張感を生唾と共に飲み下す。
そして、フリーディアが密やかな決心を固めると同時に、術式を展開した兵士が静かに報告の声をあげた。
「解除魔術、準備完了。いつでも行けます」
「わかったわ。術式は合図に合わせて発動。残りは私に続きなさい」
「了解……」
「……いくわよ。3・2・1……突入ッ!!!」
その報告にフリーディアはコクリと頷いた後、剣を抜き放って命令を出すと、自らが発する声に合わせて扉を蹴破り、小屋の中へと斬り込んだのだった。




