725話 指揮官の重圧
「反応無し……か……」
投降勧告から僅かに時間を置くこと数分。
黙したまま静かに小屋を見据えていたテミスが、静かに口を開いた。
その前には、小屋を包囲したまま、固唾を呑んで号令を待つ兵士たちの群れ。
ひとたびテミスが命令を下せば、如何なる戦力が小屋の中に潜んでいようと、確実にこの場で封殺できるはずだ。
だが……。
「っ……」
ゴクリ……と。
夜風が吹き渡る中で、テミスは秘かに生唾を呑み下した。
本当にこれで良かったのか? 戦力配分は正しいのか? 敵戦力が予想を遥かに超えていたら?
胸中から次々と湧き出る不安が緊張へと変わり、テミスは思わず、ボロボロに傷付き、疲弊した体で一歩前へと踏み出した。
「……テミス様」
「っ……!? マグヌス……」
「どうか、ご自愛ください」
「クッ……」
即座にその前へと立ち塞がったマグヌスが静かに告げると、テミスは臍を噛んで踏み出した足を引っ込める。
確かに、マグヌスの進言通り、私の身体は今、戦える状態に無い。
先程の戦いでは片腕を落とされかけ、腹まで刺し貫かれたし、何よりも多くの血を失い過ぎた。
正直に吐露するのならば、今……こうして立っているだけでも精一杯だ。
だからこそ、前線をフリーディアとライゼルに譲り、サキュドを遊撃に、そして万が一の事を考えて食客扱いであるミコトまで動員したのだ。
だがそれでも、湧き出る不安がテミスの胸の内を焼き焦がす。
「テミス様。頃合いです。号令を」
「……。ハッ……全く、こんな事ならばたとえ死に体を引き摺ってでも、前に出た方が気が楽だったな……」
「ご冗談を。それでは、我々の心が持ちません」
「ククッ……。それもそうか……身に染みているよ」
テミスは重症を負った自分の見張り役として、側に控えるマグヌスと言葉を交わすと、皮肉気に頬を歪めて嘯いてみせた。
考えてもみれば、この世界に来てから、こうして問題の解決を誰かの手に委ねるのは初めての事だ。
いつもであれば、どんな不測の事態が起ころうとも、その渦中には必ず私が居る。
故に、例え適切な判断が下せないとしても、自ら裁量する事ができる分、こうして思い悩む必要など無かったのだ。
「今更臆する暇なぞ無い……か……」
次第に、沈黙を貫くテミスを慮った兵達の間からヒソヒソとざわめきがあがりはじめるのを眺めながら、テミスは小さなため息と共に言葉を零した。
どちらにしても、賽は投げられたのだ。兵の配置は完了しているし、投稿勧告だって既に済ませている。
最早私にできる事など、ただ祈る他何もない。
「懐かしい気分だ……。テストの返却の段になって、必死に祈りを捧げているような。何に祈った所で、点数が変わる訳でもあるまいに……」
「は……? テスト……ですか……?」
「何でもない。こちらの話だ。気にするな」
ボソリと漏らされたテミスの言葉に、マグヌスが首を傾げて問いかける。
しかし、テミスは皮肉気な笑みを口元に浮かべてその問いを切り捨てると、胸を張って大きく息を吸い込んだ。
そうだ。私の考え得る最適解は既に提出してある。
ならばあとは、粛々とその結果を受け取るのみ。
「諸君!! 残念ながら、投降に応じる者は居ないらしいッ!!」
覚悟を決めたテミスは、湧き出る不安を胸の奥へと押し込んで、眼前に集う兵達に向けて高らかと叫びをあげる。
「なれば、最早是非も無しッ!!! 突入部隊ッ!!! 突入せよッッ!!! 作戦開始だッッ!!!」
テミスの号令が響き渡った瞬間。その様子を遠巻きに見守るファントの住人達の前で、兵士たちは口々に雄叫びを上げて武器を構える。
ある者は抜き放った大剣を高々と掲げ、ある者は握り締めた杖に魔力を込めて。
いつ如何なるものが現れても、万全に対処できる態勢を取ったのだ。
そんな兵士達が小屋を包囲する中、テミスの号令と共に、包囲から突出するように配置されていた一つの集団が小屋へと接近し、その外壁に肉薄する。
「っ……!! 頼むぞライゼルッ……!! どうか、あの大馬鹿を暴走させてくれるなよッ……?」
ぎしり……と。
役目を終えたテミスは固く拳を握り締めると、小屋へと張り付くようにして行動を開始した一団を食い入るように眺めながら、祈るように呟いたのだった。




