721話 愚者の忠告
数時間後。ファントの町に夜の帳が降りた頃。ファントの外周部では大きな騒ぎが起きていた。
何故なら、テミスとフリーディアの名の元に、白翼騎士団・黒銀騎団の両部隊へ緊急招集がかけられ、それに即応した全部隊が完全武装の状態で、一つの小屋を包囲した形で集結しているからである。
無論。 戦争の気運ありとまことしやかに噂されていた町の住民たちは、その様子を不安気に、そして遠巻きに眺めていた。
「総員。傾注」
「なっ……!?」
「嘘……だろ……?」
そんな中。
静かな声と共に部隊の前に歩み出たテミスの姿に、集結していた部隊の面々も、そしてその様子を遠巻きに眺めていた者たちの間にも衝撃が駆け抜けた。
それも無理のない話で。フリーディアの手を借り、姿を現したテミスが身に着けていたのは漆黒の甲冑ではなく、何処か真新しさを感じる、いつも彼女が身に着けている制服と、血の滲む無数の包帯だったからだ。
「……不覚を取った。言い訳をするつもりもないし隠すつもりもない。だが、諸君の目に映る私は紛れもない事実だ。辛うじて敗れこそしなかったものの、今夜の作戦……私が戦う事はできないだろう」
ざわざわとざわめきが渦巻く中を、テミスの凛とした声が駆け抜けていく。
同時に幾分か平静を取り戻した兵士たちは、次第にテミスの言葉が真実であると突き付けられる。
夜の香りを帯び始めた一陣の風が舞い上がり、テミスの右袖がパタパタと風にたなびいていく。
その中身が空であるのは、誰が見ても一目瞭然で。そのはためく袖の先を目で追えば、テミスがいつもその背に背負っている大剣が無い事も容易に見て取れた。
「……だからといって、諸君が心を乱す必要は無い。気を抜いた阿呆が一人……無様に失態を晒しているだけの事だ」
「――ッ!!! 馬鹿なッ!! そんなはずがありませんッ!!」
「その通りですッ!! どのような強敵が相手であっても、我等が臆する事はありませんッ!!」
「応とも!! 我等の不屈の心を示す時ッ!!」
「必ずや……必ずや御身を傷付けた償いをッ!!!」
しかし、テミスが僅かに言葉を切った瞬間。
眼前に集結した兵士たちが次々といきり立ち、口々に自らの士気の高さを吠え猛る。
そこに、白翼騎士団の騎士達や黒銀騎団の兵士達の違いは無く、この場に集まった誰もが、テミスの前に立ちはだかった強者の存在を確信していた。
ただ、その現場に居合わせたフリーディア達と、ライゼルを除いて。
「――ッ!! 黙らんかァッッ!!!! ……決して履き違えるな。貴様等の役目は報復ではないッ!!! ――くっ……」
一喝。
大きく息を吸い込んだテミスが吠えると、声高らかに武勇を謳っていた兵士達が一転、水を打ったように黙り込んだ。
そして、静寂を取り戻した彼等の前で言葉を続けた後、テミスがぐらりと大きく体を傾がせた。
「テミス……!!」
「大丈夫。大丈夫だ……。それよりお前は、引き続き私の背後の警戒を頼む。包囲しているとはいえ、弓でも射掛けられれば部隊は兎も角……今の私では躱し切れん」
「っ……!! 馬鹿……!! 無茶ばかり……」
微笑みを浮かべたテミスが傍らのフリーディアへそう告げると、フリーディアはピクリと肩を小さく跳ねさせた後、その背を護るように小屋へと体を向け、腰の剣に手を翳す。
そんなフリーディアにテミスはクスリと喉を鳴らした後、静まり返り、テミスが言葉を続けるのを待ったまま、動揺の視線を自らに向ける兵達に向き直る。
「我等の目的は、ここに潜んでいると目される連中の捕縛だ。殺す事は断じて許可しない。この後、連中には投降を勧告し、それに応じない場合は即座に突入する。尚、陣頭指揮はフリーディアに一任。私は後方で総指揮を執る。以上だ」
「そ……そうか……ッ!!!」
テミスが語り終え、フラフラと全員の前から下がるべく歩み出すと、即座に兵士たちの間にざわめきが広めっていく。
その内容は、テミスが負傷をしたのは生け捕りにするために手加減をしたためだという物が殆どであり、テミスの位置からでも、兵士たちの間に走る緊張が僅かに緩むが見て取れた。
だからこそ。
「ああ、一つ付け加えるが……。私のような間抜けになりたくなければ、決して気を抜かぬ事だ。怪我で済んだ私は儲け物だが、死んでしまっては取り返しが付かん」
テミスは去りかけた足をピタリと止め、ギラリと兵士達を睥睨すると、不敵な笑みと共に忠告を残したのだった。




