719話 紅の乱入者
――何度経験しても、厭なものだ。
襲撃者の少女へと剣を振り下ろす刹那の時間。一秒にも満たない須臾。時間の狭間ともいうべきその時間に、テミスは揺らぎ始めた意識の中でひとりごちった。
私は元来、守る者では無く壊す者だ。社会の秩序を維持する為に、秩序を脅かす悪を社会から排斥する。
そんな事を生業としていた私に、誰かを救うなどという選択肢は存在しない。
ただ……悍ましき悪を。誰もが、視界に入れる事すら忌避する程に、吐き気すら催す程の悪党を誅する。
それが、私の選んだ道だ。
だからこそ。そんな私の血濡れた手が、誰かを救うなんて云う事は永劫無いのだろう。
「こんなでも……幼子を手にかけて何も思わぬ程、冷血なつもりは無いのだがな……」
それでも。人である以上、思う所が無い訳ではない。
上官に略奪や虐殺を強要された兵のように……。否。反抗する選択肢すら与えられていなかった分、この名前すら知らない少女が置かれた状況の方が、悲惨だったといえるだろう。
何処の戦場で両親を失ったのか。その後、どのように生き永らえたのか。そして、何処のどいつに拾われ、壊され、利用されているのか。
私は、この襲撃者の少女のことを何も知らない。
故に、想像することしか叶わないが、この少女の人生が幸せでないものであっただろう事は理解できる。
だが、全てを救うと宣うあのフリーディアでさえ救う術を持たない者を、ただ悪を滅ぼす事に邁進する私に救う術がある訳が無い。
あるとするのならばただ一つ。
その無垢なる手が、独善的なクソ野郎の為に、これ以上血で汚れる前に……終わらせてやることだけだ。
「……せいぜい、あの世で私を怨め」
胸の中でそう呟くと共に、テミスが覚悟を決めると同時に、刃を振り下ろすテミスに与えられた須臾の時間が終わりを告げた。
瞬間。
「――っ!!!?」
トンッ……。と。
テミスが振り下ろす斬撃と少女の間に、赤みを帯びた影が飛び込んで来たかと思うと、その影はテミスの胸元を突き飛ばし、振り下ろされる斬撃の軌道を襲撃者の少女から逸らした。
その力は、全力で脚に力を込めても吹き飛ばされるような強力なものでは無く、かといって体勢が崩れない程に弱いものでは無かった。
結果。
襲撃者の少女からも、突如として乱入してきた赤い影からも逸れた斬撃は地面を抉り飛ばし、辺り一面にもうもうと土埃を巻き上げる。
「クッ……!!」
「キャッ……!? な、なにっ!?」
一拍遅れて、グラリと体勢を崩したテミスの身体をフリーディアが支え、舞い上がった土煙によって塗り潰された視界の中で声をあげた。
だが、突如として吹き渡った一陣の風によって土煙は晴れ、その場に居た全ての者たちに視界が戻ってくる。
そこには、つい先ほどまで居なかったはずの、燃えるような赤髪の女が、小麦色に日焼けした腕で襲撃者の少女を抱きかかえていた。
その後ろでは、爆音と共に突如として巻き起こった土煙に驚いたのか、こちらへ駆け寄ってきていた筈のマリアンヌが、腰を抜かして地面に尻もちをついている。
「――貴女ッ!!」
「貴……様……」
「痛み分け」
ぽつり。と。
テミス達が声をあげるや否や、乱入者の少女はそれを制するように静かな、しかし力強い声で口を開く。
「今回の事は、痛み分けでどうだい? こちらとしても予定外なんだ」
「突然現れて、何を馬鹿な事を言っているのッ!!」
「っ……!! 待て……」
突然の乱入者に、フリーディアは武器を構えて傷付いたテミスを護るように前に出る。
しかし、そのすぐ背後のテミスが、息も絶え絶えにフリーディアを呼び止めた。
「フフ……アンタがテミスだろ? 聞いていた話よりも随分と殊勝な奴じゃないか」
「クク……ならば、ご褒美に自己紹介くらいはしていったらどうだ? お前達は何処の誰で、何が目的なのか」
「テミスッ……!? なんで……」
不敵な笑みを浮かべて言葉を交えながらも、結果的にはテミスが譲る形を取っている会話に、違和感を覚えたフリーディアは息を呑んでテミスを振り返る。
そこにあったのは、満身創痍ながらも地面に突き立った大剣の柄を握り締め、緊張と警戒の色を露わにしたテミスの苦痛に満ちた顔だった。




