716話 救えぬ者
「なん……で……」
「ん~……? 次は私の番……だから?」
「チッ……」
うわ言のように呟いたフリーディアの言葉に、襲撃者は首を傾げて少し考えた後、事も無げに言い放った。
だがその答えに、テミスは小さく舌打ちをすると、肩に担いだ大剣の柄を固く握り締める。
「ハッ……『私の番』ね……。まるで以前に殺された事でもあるような口ぶりだな?」
「殺された事? ある訳ないよ。だって私、まだ生きてるし」
「クク……。私にはそうは見えんがな。まるで生きる屍だ……。他者の幸福が憎くて憎くて仕方ない……違うか?」
「っ……!!!」
ぎしり。と。
テミスの返した言葉に初めて、それまではへらへらとした狂気的な笑みを浮かべていた襲撃者は表情を変え、その音が少し離れた位置で相対するテミス達の元にまで聞こえる程に固く歯を食いしばった。
しかし、テミスは薄い笑みを浮かべて更に一歩襲撃者へと歩み寄ると、口を閉ざす事なく言葉を重ねる。
「満たされたか? 奪う側となって。気持ちいいだろう? その小さな身体で他者の幸せを足蹴にし、絶望に泣き叫び、地に額を擦り付けて許しを請う連中を見下ろすのは」
「っ……!!! うるさいなぁッ!!! ごちゃごちゃごちゃごちゃ!! 今から死んでいくお姉さんには関係無いでしょう?」
「やれやれ……これだから、餓鬼は嫌いなんだ……」
「テミスッ!!!」
更に重ねたテミスの問いに、襲撃者は癇癪を起したように甲高い声で叫び声を上げた。
だが、テミスはそんな襲撃者の態度を鼻で嗤うと、肩に担いだ大剣に力を籠め、その刀身を軽く浮かせて構えと成す。
その瞬間。テミスが身に纏う空気が、ピシリと張り詰めたものへと切り替わったのに気が付いたのは、テミスを止めるべく身を寄せていたフリーディアだけだった。
「止せよ、フリーディア。もう解っている筈だ。お前にアイツは救えない」
「っ……!!! そんな……そんな事は無いわ!! 私が必ずッ――!!」
「――矯正して見せる。か? ハッ……下らん」
それでも尚、制止しようとするフリーディアに対して、テミスは冷たい眼差しと共に、吐き捨てるような口調で言い放った。
これまでの会話から察するに、この襲撃者は孤児なのだろう。
かつて、戦いによって両親を、財産を、あるいは尊厳を奪われ、泥水を啜って今日まで生き延びてきた。
その過程で磨き上げた力は凄まじく、特に人を殺す事に一切の躊躇もしないその胆力には、目を見張るものがある。
だからこそ、身に染み付いたそれらを削ぎ落とすには、相応の時間が必要となるだろう。
「この餓鬼が殺しや略奪を忘れるのに、我々は一体どれ程の犠牲を支払えばいい?」
「っ……!! させない!! そんな……事は……ッ!!」
「無理だな。コレは獣と同じだ。それこそ、囚人のように鎖で繋ぎ止めて身体の自由を奪い、飯だけを食わせて監禁して初めて、この犠牲は無くなるだろう。だが、お前はそれを幸福だと言えるのか?」
「そんな事……やってみなくちゃ――」
「――あぁ。だが、そんな賭けにも等しい試みに、ファントの住民の安全を差し出す訳にはいかない」
「でもッ……!!!!」
クスクスクス……。と。
剣を構えたまま口論を続けるテミスと、怒りに燃えるフリーディアを眺めながら、突如として襲撃者が笑い声をあげた。
その笑い声はまるで、目の前で愉快な喜劇でも繰り広げられているかのように高らかで、淀みの無いものだった。
「……待っていてくれるとは存外に殊勝だな?」
「え~……だって、私が手を出す必要ある? このまま何もしなくてもお姉さん……死んでくれそうだし……」
「っ……!!!」
襲撃者の言葉に、フリーディアは鋭く息を呑むと、反射的に視線を自らの足元へと向けた。
そこには、テミスの腕から滴った血が大きな池を作っており、この問答に費やした僅かな時間の重さを物語っていた。
「そういう訳だ。悪いが……時間が無いから率直に言うぞフリーディア」
「あ……」
ぱしゃりと水音を立ててフリーディアがよろめくのを感じながら、テミスは前を見据えたまま静かに口を開いた。
気付けば、マリアンヌの姿はその表情が辛うじて視認できる程に近付いており、全身を襲う悪寒と共に、残された時間が少ない事をテミスに告げていた。
「諦めろ。心意気は買うが、アレはどうやっても救えないモノだ。一体お前は、既に救われているものをどうやって救おうというのだ?」
「救……われて……」
「あぁ。もう全てが手遅れなんだ。お前が手を差し伸べる間も無く、奴は既に選んでいる」
テミスの言葉に、フリーディアはぐらりと大きく体を傾がせると、ばしゃりと大きな音を立てて血だまりの上にしゃがみ込んだ。
そう。全てはもう過去の出来事なのだ。
もしも、襲撃者の少女が武器を手に取る前であれば。
もしも、この少女が幸せを奪われる前であれば。
いくらIfを並べたてた所で意味は無く、彼女が他者を傷付け、安寧を脅かす者へと成り果ててしまった事実に変わりは無い。
「退がって居ろフリーディア。お前に奴は救えない……救う術を持たない。……これは、私の役目だ」
コツリ。と。
テミスは切り捨てるように言い放つと、フリーディアから解き放たれた身体で足音を響かせる。
アレを導くのはフリーディアの役目ではない。
奪い、奪われ、殺し、殺される。そんな世界に堕ちてしまった彼女を断罪くのは私の役目だ。
――それでも、子供を斬るのは流石に寝覚めが悪いな……。
テミスは胸の中でそう独りごちると、襲撃者に向けたその身体を、ゆっくりと深く沈めたのだった。




