66話 受け継がれる意思
「ガッ…………ハ……?」
それは不思議な感覚だった。確かにそれは私の胸の中心に突き刺さっている。しかし、不思議と痛みは欠片も無く。ただ何かがそこにあるという異物感だけが存在していた。
「テミス様ッ!!」
これが、死の間際に感じる時間間隔の伸長というものなのだろうか。驚愕の表情でこちらに手を伸ばし、駆け寄ってくるマグヌス達の姿がゆっくりと傾いでいる。片や視界の端では、何故かフリーディアまでもがその手をこちらへ伸ばしていた。
チャリッ……。
ふと耳障りな鉄擦れの音が耳に入り、視線を下へと動かす。するとそこには、胸に突き立った光の槍から先程までは無かった鎖が宙へと続いていた。
「ぎっ――!?!?」
直後。全身を余す所なく引き千切られる様な激痛に襲われ、テミスの意識は一瞬で闇へと呑まれたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
どすり。と。それがテミスの胸に突き立ったのは突然の出来事だった。目の前のテミスが斬撃を放ったかと思ったら、その直後には『彼』の力がテミスを射止めていた。
「ルークッ! 待っ――」
弾けるように身を翻して声を上げた刹那。じゃらじゃらという派手な鎖の音と共に、私の背後から槍と同じ色に輝く鎖が、彼の手元へと収まっていった。
「――っ。テミスッ!」
堪らず。再び身を翻して彼女へと全力で手を伸ばす。私は選択した。彼女から戦う力を奪う事を。彼女と共に立ち、彼女と共に頂を掴むために。
「テミス~ッ!!」
だから、祈りを込めた叫びと共に手を伸ばした。貴女は私が守る。すぐに信じてくれなくても良い。だけど今だけは……この手を取って欲しいという祈りを込めて。
「ぎっ――!?!?」
一瞬。ビクンとテミスの体が震え、その体が地面へと崩れ落ちていく。同時に、その漆黒の甲冑に守られた胸の中心から、見るからに痛々しいほど刺の生えた槍が抜け、軽い鎖の音と共に私の後方へととんでいった。
「テミ――っ!!」
その体を抱き留めようと。全身の力を込めて踏み出そうとしたフリーディアの足がピタリと止まる。それはきっと、錯覚なのだろう。だけどハッキリと……崩れゆくテミスの顔が、あの蝋燭が溶けて歪んだような笑顔を浮かべているようにフリーディアには映ったのだった。
それはまるで、私の弱さを見つけたと言わんばかりの表情で。
「……どうして?」
フリーディアの愕然とした呟きは、周囲の喧騒にかき消されていった。
「マグヌス! 早くッ!」
「解っているッ!!」
結果として。テミスが意識を断たれてから最も迅く動いたのは彼女の副官たちだった。崩れ落ちるテミスの体を抱き留めたマグヌスが全力で遁走を始め、それを援護してサキュドが持っていた紅い槍を投擲する。獲物を刈り取る為でなく、足止めする事を目的として放たれた魔力の槍はフリーディアの足元に突き刺さり、それを庇った白翼騎士団の面々を土煙の中に封じ込めた。
「テミス様ッ! テミス様ッ!! ――クソッ! 駄目だ。意識が無いッ!」
「傷は!?」
「解らん! だが出血は無いッ!!」
一足飛びに隣に跳んできたサキュドと並走しながら、マグヌス達はテミスの状態を確認していく。まるで死体のようにピクリとも動かない上司の体は、嫌でも彼等に最悪の未来を想像させた。
「貴様ァッ――!!」
「ぐっ……私は足止めを……追手が来ない? 何で……?」
サキュドは、背後で上がった怒鳴り声に即応し、咄嗟に転身して新たに創り出した紅槍を構える。しかし、そこには予測した敵の姿は無く、友軍兵士の背中の壁だけが並んでいた。
「どちらにしろ好都合だ! 急げサキュド!」
「解ってるわよッ!!」
二人は蹴破るように本陣の天幕の中に飛び込むと、最奥に設えられた治療所へとテミスを担ぎ込む。そもそも、既に息が無いのであれば無意味だが、あの苛烈なまでの強さを宿すテミスがたったの一撃で命を奪われるなど、信じたくは無かった。
「っ……よかった! 息はあるわっ! っ……傷も……無い……?」
乱暴にチェストプレートの留め金を外し、剥ぎ取るように装甲を外したサキュドの歓声が疑問符へと変わった。
「魔術系の攻撃だろうね……呪詛か封印か……厄介な事になったな……」
「っ! ルギウス……様っ!」
テントの中心に横たわるテミスを食い入るように見つめていた二人がびくりと立ち上がり、後ろから入ってきたルギウスへと敬礼する。
「いいよ……報告は聞いてる。すまない……」
「いえ……かの者との戦いは、テミス様も望まれていたと思いますので」
テミスへと目を走らせながら謝罪するルギウスに、サキュドがいち早く応じた。確かに、倒れる直前まで白翼の娘と切り結ぶテミス様は、いつもの戦いとは違ってとても楽しそうに笑っておられた。
「とにかく、一度ヴァルミンツヘイムへ戻って解呪なりをした方がいい。ちょうど先ほど、第三軍団の通信兵からあと半日ほどで到着するとの連絡も入ったからね」
「……次席指揮官としてお尋ねします。兵は不要ですか?」
苦し気な表情で告げるルギウスに、今度はマグヌスが問いかけた。軍団長であるテミスが倒れた今、十三軍団の指揮権はマグヌスとサキュドが握っている。つまりこの二人をヴァルミンツヘイムへ帰投させるという事は、この苛烈な戦場から十三軍団が丸ごと抜けるという事を意味していた。
「……本音を言うのならば、厳しいね。何故か白翼は退いたけど、いまだ奴らの攻勢は止まっていない。むしろ、テミスを討ち取った事で勢いを増している状態だ」
苦虫を噛み潰したような表情をした後、短い逡巡を挟んでルギウスがそう零す。視線を下ろしてみれば、その手は血が滴る程に硬く結ばれていた。
「……なら、十三軍団を使うと良いわ」
テミスの傍らに寄り添っていたサキュドが音も無く立ち上がると、ルギウスの前に立って言い放った。
「いや……しかしっ!」
なんとも出鱈目な話だ。とルギウスは驚愕した。指揮官に次いで次席指揮官が抜けるだけでなく、その指揮権を他の軍団へ渡すなど、軍団の誇りにかけて決してしてはならない行為のはずだ。そもそも指揮権を受け取った所で、戦い方の異なる軍団では連携すら難しいだろう。
「我々はその為の訓練をテミス様から施されています。いかなる戦場、いかなる場面においても固定観念を捨て、最善の行動を取れ……ここで第五軍団を見捨てて帰投すれば、我らが軍団長は決して我らをお許しにならないでしょう」
マグヌスがそれだけ言い終わると、二人の副官のまなざしはルギウスの目を真正面から見据えた。ルギウスにはまるで、それが必ずテミスと共に戻るから持ちこたえて見せろと挑発しているようにも見えた。
「…………解った。君たちの軍団。ありがたく預からせてもらう。僕が言えた義理では無いけれど、テミスの事。頼んだよ」
「ハッ!」
そう言って頬を緩めてマグヌス達に微笑みかけたルギウスに、副官達は背筋を正して敬礼をしたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




