705話 正直者の奇策
「――ん……」
「フフッ……寝坊助な指揮官殿は漸くお目覚めかしら?」
それから、テミスが目を覚ましたのは昼過ぎの事だった。
気付けば、サキュドかマグヌスが用意したのだろう……肩には薄い毛布がかけられており、顔を上げた眼前では小さな笑みを浮かべたフリーディアが、テミスの顔を覗き込んでいた。
「……趣味が悪いな。人の寝顔をまじまじと眺めるなど」
「見てないわよ。別に。貴女ずっと突っ伏してたんだから」
「それも……そうか……」
テミスはどこかぼんやりと霞みがかった頭で言葉を交わしながら、机に預けていた体をゆっくりと起こす。
しかし、何処か眠りに落ちる前よりは頭の中はスッキリとしていた。
「ホラ。私が淹れた物だから味は保証しないけれど」
すると、体を起こしたことを確認したフリーディアは、おもむろに芳ばしい香りと共に湯気をあげるティーカップをテミスへ向けて差し出すと、視線を明後日の方向へ向けて唇を尖らせる。
テミスはそれを慣れた手つきで受け取って口を付け、フリーディアの視線を追うように室内を見渡してから問いかけた。
「ん……ありがとう。……マグヌスとサキュドは?」
「マグヌスには臨時で休暇を与えたわ。何処かの水臭い誰かさんと一緒で寝ていないみたいだったし」
「っ……」
「サキュドは通常業務をこなすついでに、カルヴァスと一緒に改めて町の様子を見回って来てもらっているわ。警邏を兼ねてね」
「そうか……」
スス……。と。
フリーディアの淹れたコーヒーを味わいながら、テミスはフリーディアの報告にコクリと頷いた。
思ったよりも、私が抜けていても機能している。イレギュラーな事態に対しての対応も悪くは無い。
業務の殆どをマグヌスとサキュドに任せ、彼等の他に次席の指揮権を有する者として、白翼騎士団を率いた経験のあるフリーディアをサポートに付けた効果が早速出ているようだ。
「ああ、あと。この一件、マリアンヌさんも手伝って貰うから」
「あぁ……そう――なにィッ!?」
報告と共に添えられたフリーディアの言葉に頷きかけたが、テミスは目を見開いてその言葉を制止する。
前言撤回。お人好しだとは思っていたが、こいつは何処まで底抜けの大馬鹿なのだろうか。敵の姿が見えない以上、女神教の関係者の可能性が高いのだ。だというのに、よりにもよって容疑者候補をその対策に充てるなど言語道断である。
「何を馬鹿な事を!! 疑いが薄まったとはいえ、奴も女神教。敵かもしれん奴等を抱え込むなど――」
「――馬鹿な事は貴女よ、テミス。彼女たちを隔離して監視する為に、こちらの戦力を分散させるのは愚策だわ」
「だがッ!!」
「疑わしいのなら、一番側において監視しなきゃいけないじゃない。それにマリアンヌ達が敵だったとして、一緒に動いていれば何かしら行動を起こすかもしれないわ」
「っ……!!」
テミスの言葉に、フリーディアは余裕の笑みを浮かべると、まるでテミスの反論を予測していたかのように、つらつらと理由を並べ立てる。
その内容は確かに突飛ながらも確かに道理は通っており、暗中模索の現状を鑑みれば、有効な手段たり得るだろう。
だが、万が一の場合に自分達を危険に晒しかねないこの提案は、とてもフリーディアらしくない策だといえる。
「しかし……良いのか? その場合最も危険なのは白翼騎士団なのだぞ?」
「クス……愚問ね」
鋭く目を細め、テミスはそう問いかけるが、フリーディアは不敵な笑みを浮かべて言葉を止めた後、胸を張って口を開く。
「騎士たる者、己が身を盾に人々を守るのが責務であり誇りよ。それに……言ったでしょう? 私はマリアンヌさん達を信じたいの」
「フン……信じる……か……」
「どうかしら? 一度で良いから、貴女も相手を信用することを試してみたら? いい機会じゃない」
そんなフリーディアから目を逸らし、鼻を鳴らすテミスを真っ直ぐ見つめ、フリーディアが問いかける。
確かに、そういう事を試すのならば、他に取るべき選択肢も特に見当たらない現状は好機なのだろう。
だが、それはあくまでも私に誓いを棄てさせたいフリーディアの視点でしかないし、町の平穏を預かる者がするべき思考ではない。
希望的観測だけでどうにかなるほど、現実というものは甘くは無い。その証拠に、清廉潔白を謳う白翼騎士団であっても、弁えている連中は何人も居る。理想を語るのは自由だが、常に最悪を想定し、それに対する対策を打ち立てねば、力無き者たちを護る者の責務は果たせない。
「ハッ……下らん。ならばお前はお前で、自らの手で尻を拭える範囲でならば勝手にやると良いさ」
そう断じたテミスは、フリーディアの言葉を切り捨てるように冷たく言い放つと、静かに皮肉気な笑みを浮かべて、手元のコーヒーを飲み干したのだった。




