702話 収束する眼
サルマンの大声が店内に響き渡った直後。
テミスは突然静まり返った店内から、何処からともなく生唾を呑み込み、自分達を固唾を呑んで見つめる視線を感じた。
実際。決して多くない店内の人々の視線はテミス達に集中しており、その視線が帯びているのは好奇の色だけでは無い。
「……何とも言えん」
「っ……!! だって――!」
「――何とも言えんから、こうしてお前に話を聞いているのだ」
静寂の中、テミスは凛とした声でサルマンの問いに答えると、周囲の静寂が僅かなざわめきによって揺れ動く。
「言葉を重ねるようだが、現在我々ファントの町がロンヴァルディアや魔王軍と対立している事実は無い。それは、ロンヴァルディアに所属する白翼騎士団と魔王軍に所属する第五軍団が駐留しているのが証拠だ」
「な……なんだ……。脅かさねぇで下さいよ……。テミス様も意地が悪い……それなら何の心配もないって言ってくれりゃぁいいのに」
そんな周囲の反応に、軽く息を吐いたテミスが聞き耳を立てている店内の者達にも聞こえるように、声を張り上げて言葉を続けると、サルマンは安堵したかのように椅子へと崩れ落ちて大きく息を吐いた。
しかし、テミスはそれを冷たい眼差しで見下ろすと、静かながらも良く通る声で言葉を続ける。
「……。勘違いするなよ? 事実として根拠の無い妙な噂が立っているのは間違い無いんだ。これはただの噂なのかもしれないし、それともどこの馬とも知れない何者かが暗躍している結果なのかもしれん。仮に後者ならば、ファントを守る我々としては、戦争に発展する可能性が無いと断言はできん」
「そ……それじゃぁ……」
「クク……。私は別に全能の神でも未来を見通す力を持っている訳でもない。戦いを畏れる気持ちは理解できるが……たとえ戦う力が無くとも、自らの大切なものを守ろうと剣を手にした者の勇気を、私は讃えたいがな」
恐怖と混乱に目を見開くサルマンに薄い笑みを浮かべた後、テミスはそう言葉を締めくくり、アリーシャの運んできた蜂蜜酒で乾いた喉を潤した。
事の経緯はどうあれ、このサルマンという男は自らの頭で考え、平穏無事な生活の中にありながら、万が一の可能性を考えてそれに備えたのだ。
少なくともそれは、戦う力を持つテミスやフリーディアよりもはるかに勇気が必要な事で、その選択はテミスには好ましく思えた。
そんな思考に浸りつつ、テミスは芳醇な蜂蜜の香りが鼻を抜け、爽やかな風味を楽しみながら、ゆっくりとざわめきを取り戻していく店内に意識を向ける。
そこでは、仲間と何やらボソボソと言葉を交わした後、大きく頷き合う者達や、自分の前に置かれていたジョッキを一気に飲み干した者が、チラチラとテミスへ視線を送っていた。
「さてと……邪魔をしてすまなかった。サルマン、有用な情報を感謝する。また何かを思い出したら、詰所に来るか、巡回の警備の者を呼び止めて話してやってくれ」
「っあ……!」
「また出かけるの? テミス」
「フム……そうだな……」
その一方で、サルマンは眼前に置かれた自らの剣を見つめたまま俯いており、テミスはこれ以上彼から情報を聞き出す事は出来ないと断じて席を立つ。
だが、それを呼び止めるように、若干遅れて立ち上がったアリーシャが声をかけると、テミスは日の暮れかけている店の外を一瞥して小さく息を吐いた。
あの真面目が服を着て歩いている様なマグヌスの事だ、どうせ今頃は冒険者ギルドにでも押しかけて情報収集に勤しんでいる頃だろう。
ならば、その命令を下した私としては即座に合流し、その手助けをするべきなのだろうが……。
「この後の用事は特にないな。しいて言うのならば散歩がてら町でも見回ろうか……と言った所か」
しかし、町を治める者として、こんな住人たちの視線を無碍にしておく事などできないだろう。
一瞬のうちにテミスはそう判断を下すと、胸の内で今も働いているであろうマグヌスに詫びながら、アリーシャへと微笑んで言葉を返す。
「んふふ~……そっかそっか。じゃあもう今日のお仕事は終わりなら、先に着替えてきちゃったら?」
「フッ……そうだな。いつまでもこんな大剣を背負っていては、マーサさんに叱られてしまう」
「別に母さんも気にしないと思うケド? ……騎士団の人たちにも気付いているみたいだったし」
「――っ!!」
ボソリ。と。
朗らかに姉妹の会話を交わした後、テミスの耳元に口を寄せ、囁くように告げられた言葉に、テミスはピクリと肩を揺らして息を呑んだ。
だが、その直後。
「テ……テミス様ッ!! お役に立てるかは分からないのですが、是非お耳に入れたいお話がッ!!」
「お……俺もッ!! コッチは女だったんで、サルマンの所に来た奴とは別人の筈なんですがッ!!」
店の中に居た真新しい武器を身に着けた者達がテミスの元へ殺到し、押し合いへし合いをしながら口々に情報を喋りはじめる。
「だああああっ!! わかった!! 話を聞くから一人づつにしてくれッ!! こら押すな! 落ち着かんかッ!!」
「あははっ……! テミスの相談所の開催だねッ!」
叫びをあげて事態の収拾を試みるテミスの傍らで、アリーシャはクスクスと笑いをあげながら、朗らかにそう宣言したのだった。




