700話 情報を求めて
「アリーシャ。少し良いか?」
マグヌスと別れてすぐ。
鍛錬を途中で切り上げたテミスは軽く汗を流して着替えを済ませた後、マーサの宿屋へと帰宅していた。
無論。店は開いているものの、まだお客も疎らな時間帯で、店内には比較的緩やかな時間が流れていた。
「テミス! お帰りっ! んん……? 今日はやけに早いね?」
「あぁ……少しな」
そんなテミスをにこやかに出迎えるアリーシャに言葉を返しながら、テミスはさり気なく店内へと視線を走らせ、食事や酒を楽しんでいる客たちを検めた。
その腰や机の傍らには、確かに剣やダガー、果ては槍といった獲物が無造作に並べられており、和やかな雰囲気の店内に似合わぬ物々しい雰囲気を醸し出している。
「どしたの? そんなにまじまじお客さんのコト見て」
「っ……! ン……いや、最近武器を携帯している連中が増えたと思ってな」
「あ~……確かに。言われてみればそうかも。気になるの?」
「勿論。愛しのファントだ。物騒な事は御免だからな」
「くふふっ。愛しのファントねっ!」
天真爛漫とした態度からは想像もつかない程の観察眼を垣間見せるアリーシャに、テミスが言葉を濁してそう答えると、アリーシャはエプロンドレスの裾をヒラリと舞わせてどこか嬉しそうにはにかんで見せる。
やはり、この宿の真の看板娘というだけあって、その輝くような笑顔にはテミスですら見惚れてしまう程の威力を誇っていた。
「そういう事なら、私に任せてっ! テミスは頃合いを見て入ってきてねっ!」
「なにっ!? あ、おいアリーシャッ!?」
「大丈夫、大丈夫っ!」
「っ……!」
しかしその直後、アリーシャは朗らかな言葉と共に、流れるような動きで足を踏み出すと、テミスが制止する間も無く、テーブル席でジョッキを傾ける男の元へ、軽やかな足取りで向かって行ってしまう。
アリーシャは確かに接客の達人だ。それに、最近ではテミス手ずからに身を護れる程度には武術も教えている。
だがそれでも、相手は武器を持った男なのだ。危険な役どころであることには変わりがない。
「ねね、サルマンさん。どうしたの? 剣なんて持っちゃって」
「ん……? あぁ、これか……。ここでこういう事を言うのも何なんだけどさ……最近ホラ、また戦いになるって噂が立ってるじゃないか」
「へ……? そなの?」
「なんだ、アリーシャちゃん知らなかったのか……。って事はまるっきりデタラメなんかねぇ……?」
だが、テミスの心配とは裏腹に、サルマンと言うらしい客は、明るく話しかけるアリーシャの問いに快く答え始める。
話の内容からして、どうやらこのサルマンという男は従来よりこの町で暮らしている者のようだが……。
「ん~? その辺りは私も良く解らないかな? だってテミス、お仕事のコト全然私に教えてくれないし」
「ハハハ! そりゃ、アリーシャちゃんに心配をかけたくないんだろうよ。ま、噂の真偽は兎も角としても、似合わねえのは間違い無いわな。ったく……俺とした事が上手く乗せられたのかね……」
「んふっ……そうなの? テミス?」
「なっ……!!?」
しかし、そんな思考に浸る暇もなく、突然アリーシャが悪戯っぽい微笑みを浮かべてこちらに視線を向けると、パチリと瞬きをして水を向ける。
無論。そんな打ち合わせなど事前にしているはずも無く。
椅子から飛び上がらんばかりに驚愕しているサルマンの前で、テミスは一瞬だけ目を丸くしたあと、小さく嘆息を漏らした。
「あ~……まぁ、そういう事だ。ひとまずの事実として、私たちは現在、ロンヴァルディアとも魔王軍とも良好な関係を保っている」
「そ……そうなんですかい……それを聞いて俺も一安心ってところです」
「ム……?」
アリーシャによって巧みに会話の輪の中へ招き入れられたテミスがそう答えるが、サルマンは以前として笑顔を引きつらせたまま、どこか怯えるようなまなざしをテミスへと向けていた。
「テミス! 剣……剣! テミス今、お仕事の格好なんだから!」
「あぁ……。フッ……確かに。サルマンさん……だったかな? すまない、驚かせてしまったようだ」
けれど、間髪入れずに囁かれたアリーシャの言葉により、テミスはサルマンが何に怯えていたのかを把握した。
確かに、見てくれはアリーシャとさほど変わらぬ歳の少女のそれだとはいえ、軍服身を包み、物々しい大剣を背負っていては、戦う力を持たないただの人が怯えるなという方が無理な話だ。
「その件で少し、話を聞かせて……あ~……いや、教えて欲しい事があってだな。アリーシャ。すまないが彼にワインと……あと私にも何か飲み物を頼む」
「あいあいっ! ちょうどテミスが好きそうな甘ぁ~い蜂蜜酒が入ったから、それを持ってくるねっ!」
僅かに苦笑いを零した後、アリーシャに倣ってにこやかな笑みを浮かべたテミスは、剣を下しながら傍らのアリーシャに注文を通した。その後テミスは、懐をまさぐって代金を用意しながら、表情を固くしながらも、チラチラと何処か期待気な眼差しをアリーシャに向けるサルマンと同じテーブルに腰を下ろしたのだった。




