699話 拭えぬ不穏
「妙な噂だと……?」
マリアンヌの一件から数日後。
中庭で一人、技の修練に励んでいたテミスの元へ、渋い顔をしたマグヌスが訪れていた。
「はい。何でも、ここ最近武器を携帯している者が増えた……と、戦いが近い……などという噂も流れておりまして」
「馬鹿馬鹿しい……我等ファントには今、戦う相手など居ないはずだ。よもや、またロンヴァルディアや魔王軍に動きでもあったのか?」
「いえ……ただ、噂が流れているだけの状態でして。ですが……」
「ン……?」
テミスは一度休息を取るべく、マグヌスに受け答えを返しながら中庭の隅に生えている木の元まで移動すると、手にしていた大剣を立て掛け、代わりにその根元から用意しておいたタオルを手に取って汗を拭う。
「武器を携帯している者達が不自然に増えているのも確かなのです。それに伴い、この町に滞在する冒険者の数も爆発的に増えています」
「フムン……」
「っ……。女神教……でしょうか……?」
「いや……」
報告を聞いたテミスが考え込むように喉を鳴らすと、チラリと町へ視線を移したマグヌスが不安気に言葉を加える。
だが、テミスは即座にその言葉を否定して、眉根を寄せたまま思考を続ける。
フリーディアの報告曰く、驚く事にマリアンヌ達の当初の目的は、ただ使徒から伝え聞いたイヅルの店の食事を食べる事だけだったという。
しかし、大勢で押しかけて自分たちの目的だけを果たすのはあまりに身勝手だ……と、聖司祭であるマリアンヌが号令をかけ、この町で自称慈善活動も行っていたのだ。
だがそこへ偶然私達が現れ、言葉を交わすうちに私の言葉の中に以前彼女が使徒から聞いたあの世界の諺を聞きつけ、私を使徒だと看破したのだという。
まさに口は禍の元。この報告と同時に、フリーディアの奴にさんざん嫌味を言われる羽目となったが、マリアンヌの騒動は私の不手際だったという訳だ。
「チッ……何度思い出しても忌々しい顔だ……」
「っ……」
テミスは脳裏にチラつく、勝ち誇った笑顔で高説を垂れ流すフリーディアの憎たらしい顔に歯噛みをすると、その苛立ちを込めて手に持っていたタオルを木の根元へと投げ捨てた。
結局フリーディアの奴は、一度引き受けた以上は投げ出す真似はしない……。なんて言って、今も奴が言う所の私の尻ぬぐいを勤めている。
そんなフリーディアや白翼騎士団の連中から、女神教の連中に不穏な動きがあるとの報告が入っていない以上、マリアンヌ達が何かを企んでいるとは考え難い。
ならば余計に、何故急にそんな根も葉もない噂が出回っているのかが気にかかる所だ。
「ン……? 待て。冒険者といったな?」
「は……はい。この町に滞在する冒険者の数がかなり増えているとの報告です」
「なるほど確かに妙な話だ……」
「妙……ですか?」
「あぁ。一見その二つの報告には通りが通っているように思えるが、全く以って辻褄が合わん」
首を傾げるマグヌスにそう告げながら、テミスは気に立てかけた大剣を手に取ると、自らの身体の前の地面へ軽く突き立て、その柄頭に両手を置いて語り始める。
「考えてもみろ。この町に拠点を置いたとしても、冒険者であれば食い扶持を稼ぐために少なくとも日中は町を空けるはずだ。加えて、依頼の内容にもよるが、泊り仕事にならざるを得ん物もある」
「っ……! なるほど! 冒険者の数が増えたとはいえ、戦争を予見する程に武器を携えた者達が町を闊歩するのは異常だ……という事ですね?」
「あぁ……だがあくまでもこれは予測に過ぎん。なにせ我等は、ロンヴァルディアと魔王領の間で人魔の融和を謳っているのだ。物見遊山気分で訪れる冒険者が居ないとも限らない」
「でしたら、暫くは警邏に当てる人員を増やして対応致しますか?」
「いや、下手に警備の数を増やしては逆効果だ。噂が加速しかねんからな……」
テミスはマグヌスの提案に首を横に振ると、柄頭に乗せていた右手を顎に当てて首を傾げた後、小さく頷いて言葉を続けた。
「よし。この件は私の方でも少し調べてみるとしよう。マグヌス。お前は冒険者ギルドへ赴き、冒険者に受注された依頼の数を調べて、この町に滞在する冒険者の数と照らし合わせろ」
「ハッ……! 了解いたしました! ときに……」
「……? なんだ?」
テミスの指示を姿勢を正して受領した後、マグヌスが小さく笑みを浮かべながら口を開いた。
普段であれば、即座に動き出すはずのマグヌスに首を傾げながら、テミスは眉を顰めて続きを促す。
「いえ……よろしければまた、闘気の習得をお手伝いしようかと……」
「……っ!!! も……ももも問題無いッ!! 見ろ!!」
何処か期待するようなまなざしで言葉を続けたマグヌスに、テミスはビクリと背を震わせると、上ずった声と共に剣を引き抜き、その刀身に闘気を纏わせて見せた。
「っ……!! おぉ……お見事……!!」
「だろう!! お前が気にかけてくれるのは嬉しいが、この通り順調なのでな!! そう心配しなくても大丈夫だぞ!!」
「ハハッ!! これは失礼いたしました……。それでは、私は早速仕事に取り掛かります」
それを見たマグヌスが感嘆の息を漏らすと同時に、テミスは頬を僅かに引きつらせて宣言する。
すると、マグヌスは少し残念そうにテミスに小さく頭を下げると、詰所へ向けて立ち去って行く。
「っ……フゥ……。何とか誤魔化せたか……。ようやく闘気の収束が安定してきた所などと奴に知れれば、また地獄を見かねんからな……」
バシュゥッ! と。
マグヌスが立ち去った直後、剣に纏わせた闘気が音を立てて拡散すると、テミスは苦笑いを浮かべてそう嘯いたのだった。




