686話 食卓会談
「申し遅れました。私はマリアンヌ。女神教にて聖司祭の位を拝命しております」
「あ……あぁ……」
テミス達の前に腰掛けた少女は名を名乗ると、丼の中から静かに麺を掬い上げ、音も無く口へと運んで行く。
だが、彼女が美味そうに食べているソレはラーメンであり、本来の食い方を知っているテミスとしては、奇妙極まりない食べ方に映っているのだが。
その周囲では、イヅルの作った様々な料理を、マリアンヌの仲間達が美味そうに頬張っていた。
「……改めて。私はフリーディア。ご存じの通り白翼騎士団で団長を務めています」
「テミスだ……」
想定していた事態とは明らかにかけ離れた空気に、テミスは己の中の警戒心を意図的に保ちながら、静かにマリアンヌの顔を眺め続ける。
サージルの一件から、戦闘に発展する可能性は考えていても、よもやこうして食卓を囲む事になるとは……。
「さて……と……」
マリアンヌは器用に最後の一口を口内に収めると、丼を机に置いて口を開く。
その静やかな雰囲気は、先程までのとぼけた物とはまるで異なっており、テミスは自らの背筋がビリビリと粟立つのを感じた。
「御用のほどはお察ししております。女神教の目的……ですよね?」
「話が早くて助かるな。尤も……私としては、お前達が何を言おうと信ずるつもりは無いし、早急に平和的な解決がしたいと考えている」
「なっ――!!」
話を切り出したマリアンヌの言葉に、テミスが鋭く言葉を返すと、傍らのフリーディアが息を呑んで絶句した。
テミスは今、女神教に対して明確に喧嘩を売ったのだ。その証拠に、周囲でこちらの様子を窺っている信徒たちの視線からは明確に不快感が伝わってくる。
「平和的解決……ですか?」
「あぁ。皆まで言わねばわからんか?」
「テミス流石に――」
「――黙っていろフリーディア。これは私の役割だ」
「それは……困りますね……」
ほぅ……と。
マリアンヌは頬に手を当てると、困り果てたかのように眉根を寄せながら、どこか気の抜ける仕草で深くため息を吐いた。
その仕草はまさに清廉潔白で、お人好しのフリーディアが、思わず分を越えて口を挟みたくなるのもわかる。
だがしかし、私としてもこれ以上、小さいとはいえ漸く成し遂げた人魔の平穏に水を差されるわけにはいかないのだ。
だからこその、平和的解決。
言い換えるのならば、女神教であるお前達をこの場は見逃してやるから、さっさとこの町から出て行け。という事になる。
「交渉の余地など無い。平たく言うのであれば、邪魔をするな……だ。何も難しい事では無いだろう?」
「私達に邪魔をするつもりなんて無いのですが……」
「言ったはずだ。信じるつもりは無いと」
「……ですよね」
テミスが取り付く島もなくマリアンヌの言葉を切り捨てると、マリアンヌは酷く落胆したように肩を落として小さく息を吐いた。
「ですが……どうしましょう……。ようやく見つけた憧れのお料理を二度と食べる事ができないのは……悲しいです」
「は……?」
「人を虐げる魔を憎み、弱き人々を導く光たれ。我々女神教の教義がこの町と相容れない事は重々承知しております。ですが……ですがどうか、私達の滞在を許してはいただけないでしょうか? 町の清掃や警備など……我々にお手伝いできる事でしたら何でもしますので……」
「いや……」
一瞬の沈黙の後、意を決したように顔を上げて語るマリアンヌの熱意に、テミスは思わず言葉を詰まらせた。
そもそも、話の根幹がズレている。女神教の信徒をこの町に滞在させるだけでも、身の内に爆弾を抱える事に等しいというのに、そんな連中に町の清掃や警備なんて言語道断だ。
「ご無理を言っているのは解っています。ですが、信じていただけないのも理解してはおりますが、私達にこの町を害する意思はありません! むしろ……っ!!」
「むしろ?」
「むしろ、好ましく思っております! 我等が憎むべきは、弱き人々を虐げる魔なのですから!」
マリアンヌは一瞬言葉を詰まらせるが、テミスが鋭い瞳を向けて先を促すと、食べ終えたラーメンの器へ一瞬視線を走らせた後、力を込めて言葉を紡いだ。
「ホゥ……?」
その言葉に、テミスは僅かに目を見開くと、小さく息を漏らしてマリアンヌの顔を眺める。
彼女は女神教の聖司祭だと名乗った。つまりそれは、この周囲を固める一般の女神教徒よりも高い立場にあるという事で。
そのような立場にある人間が、己が信じる宗教の教義を否定する言葉を吐いたのだ。
見るからに敬虔な信徒であろうマリアンヌが見せた僅かな矛盾に、テミスはニンマリと頬を歪めて口を開いたのだった。
「信じるつもりは無いし、私の判断が変わる事も無い。だが……そうだな。話を聞くだけならば聞いてやろう」




