685話 箸と丼と大剣と
イヅルの店の前にたむろしていた集団に斬り込んだテミスの目に飛び込んで来たのは、予想だにしていなかったものだった。
店の前に設えられた仮説の食事スペースでは、恐らくは高位の役職の者なのだろう、濃紺の衣装の上に純白のベールのようなものを羽織った女が、右手に箸を、左手に湯気のあがる丼を持って目を瞬かせていた。
周囲に座る彼女の仲間であろう者たちも同じく、各々が箸を握り締めたまま、まるで珍獣でも眺めるかのような視線をテミスへと向けている。
「あ……? ぇ……」
何度目を瞬かせても、彼女たちが暴行を働いているようには見えない。ただ、仲間達と共に食卓を囲んでいるだけだ。
尤も、その数があまりにも多いのは気にかかる所ではあったが。
「ちょ……ちょっとごめんなさい! 通してッ!! お願いッ!!」
「っ……!!」
テミスは大剣を構えたまま、食卓を囲む者達は箸や丼を手に持ったまま、奇妙な空気が流れ始めた時だった。
テミス達を囲む人の輪をかき分けて、顔を赤くしたフリーディアが姿を現す。
「……!!!! テミス貴女……何をやっているの?」
「フリーディア……ッッ!! いや……しかしだな……」
「どう見ても、食事を楽しんでいる彼女たちの所へ、剣を抜いた貴女が乱入したようにしか見えないのだけれど?」
「うぐっ……」
まさに、その通りである。
フリーディアの指摘にテミスはうめき声を漏らしながら、自らに冷たい視線を向けている連中へ目を向けた。
だが何度確認した所で、どいつもこいつもただ飯を食っているだけだ。その袖口にナイフが仕込まれている訳でもなければ、私の姿を認めた所で襲い掛かってくる素振りすら無い。
「だから言ったでしょう! むやみやたらに剣を抜くなって!」
「っ!! しかしだな! あんな悲鳴を聞いて安穏としていられるはずが無いだろう!」
「それはわかるわ。一刻も早く駆け付けるのは確かに大事。……けれど、抜き身の大剣を携えたまま、人の輪に飛び込むのはやり過ぎだわ!!」
「平時ならばそれで良いのだろうなっ!? だが事態は火急である可能性もある。被害が出てからでは遅いのだぞ!」
顔を突き合せた途端、周囲の者達の視線が注ぐ中で、テミスとフリーディアは額を突き合わせて口論を始める。
無論、テミスの手には剣が握られたまま、その切先は地面へと向けられ、時々テミスの動きに合わせてガリガリと不穏な音を立てていた。
「えぇ……っと……」
「何だッ!?」
「何ッッ?」
そんな二人の間に、遠慮がちな声が割って入ると、テミストフリーディアは言い合いをする語気のまま同時に声の主へと顔を向け、鬼気迫る表情で言葉を促す。
その気迫は、サキュドとマグヌスですら割って入るのを憚る程のものだったが、声の主は一切怯むことなく首を傾げると、柔らかに口を開く。
「私達……食べても……良いのでしょうか?」
「ウッ……」
「っ……!!」
その屈託のない問いかけを受けたテミスがうめき声をあげ、傍らのフリーディアが更に鋭く目尻を吊り上げてテミスを睨み付けた。
どう考えても、今この場では目の前の連中がこの町で悪巧みをしているようには見えない。
だがしかし……。
もしもこれがカモフラージュなら?
フリーディアから注がれる焼けつくような視線を受けながら、テミスは必死で思考を回転させる。
この女神教を名乗る連中がこの町を訪れてからは、片時も離れず監視が付けられていた。
しかし、こいつ等は女神教なのだ。今この場で私達に無害であるという印象の刷り込みを済ませた後、監視の目が緩んだ隙を突いて行動を起こすやもしれん。
「も……勿論よっ!! テミスのお馬鹿が食事の邪魔をしてしまったみたいでごめんなさい!! どうか、この町を楽しんでいってくださいね!!」
「あっ……オイ――」
「――貴女も謝るッッ!!!!」
「ウッ……!?」
しかし、テミスが思案している間に、一歩前に進み出たフリーディアが彼女たちに頭を下げて答えを返してしまう。
それだけではなく、フリーディアは有無を言わさずテミスの後頭部を掴むと、普段の彼女からは信じられない程に強い力で押さえ付け、テミスにも頭を下げさせた。
そしてあろう事か、まるでこの場から立ち去ろうとしているかのように、そのままテミスの腕を引いて、質問を投げかけてきた少女へと背を向ける。
「待――」
「待って下さい!!」
彼女たちが女神教の関係者であるのは間違いないのだ。流石に、この場で何もせずにただ引き返す訳ないはいかない。
そう考えたテミスが、フリーディアのを止めるべく咄嗟に声をあげた瞬間。
テミスの声を掻き消すように、先程質問を投げかけてきた少女が二人を呼び止める。
「この町……ファントの守護者であり、黒銀騎団の軍団長、テミス様とロンヴァルディアが擁する最強の騎士団、白翼騎士団団長のフリーディア様……ですよね?」
「……えぇ。そうよ。この度は――」
「――放せ、フリーディア。……あぁ、そうだ。そういうお前達はあの女神教だな?」
ぴしり。と。
テミスが謝罪を繰り返そうとしたフリーディアを制して口を開くと、奇妙ながらも穏やかだった周囲の空気が緊張感に包まれた。
我々の存在を知ってここで呼び止めるとは、いったいどういう意図だ……?
胸の内でそう呟きながら、テミスは一連の騒動で緩みかけていた心を引き締める。
しかし。
「よろしければ、お昼ごはん。ご一緒しませんか?」
そんなテミスの緊張感を吹き飛ばすように、女神教の少女は朗らかな笑顔でそう告げたのだった。




