678話 その手に求むは形無き想像
「っ…………」
サキュドよ……お前もかっ……。
説明が始まってから数分の時点で、テミスは既に魔法大全の解説をサキュドに求めた事を心の底から後悔していた。
何故なら。
「いいですか? テミス様。このファイアの魔法の感覚はこう……ぐわああああああって感じです!」
「そうか……」
サキュドの解説は全て、こういった擬音や感覚で示されており、何一つと言っていい程要領を得ないのだ。
既にサキュドの解説を聞き流す体制へと移行したテミスは、まるでつけっぱなしにしたテレビでも聴くような感覚で、何とはなしに初級魔導大全をパラパラと捲っていた。
「おおっ! 流石テミス様! もう理解されたのですねっ! ふむ……次はファイア・ランプですか。私達はほとんど使う事はありませんが……。ん~敢えて使うのなら、ぽわぁぁん……って感じですかね?」
テミスがページを捲ったのを見ると、サキュドは目を輝かせて手元を覗き込み、律儀にもそこに記されている魔法について、彼女なりの解説を加えてくれる。
尤も、その内容は既に半分以上がテミスの脳内に留まる事は無いのだが。
「ン……?」
しかし、テミスは突如として覚えた違和感にページをめくる手を止めると、身体全体を使って何やら妙なポーズを獲っているサキュドに視線を向ける。
そこでは、小さな体を目いっぱいに使い、両腕を丸く模ってゆらゆらと揺れ続けるサキュドの姿があった。
その身体を張った余りにも奇妙な格好に、僅かながらも憐れみを覚えたテミスが記憶を探ると、聞き流した事によって破棄される寸前の記憶が蘇る。
その内容によればどうやら、この奇妙な格好はファイア・ランプのイメージを現しているらしい。
「少し待てサキュド。この魔法の前身であるファイアの魔法のイメージはぐわああああああっ……なのだろう? ならば何故、次点の魔法であるファイア・ランプのイメージがぽわぁぁん? なのだ?」
「え……? なんでって……」
「っ……」
テミスの問いかけに、サキュドは奇妙な動きをピタリと止めると、その格好のまま不思議そうに首を傾げて熟考を始める。
どうやら、サキュドは本当に感覚のみで魔法を扱っているらしく、その感覚を言語化するのには大きなハードルが横たわっているらしい。
「……わかった。ならばこの次、ファイア・アローは?」
「ファイア・アローですか? ファイア・アローはギュッ……としてジュワッ!! ですね!」
「なる……ほど……」
テミスは自らの問いに嬉々として答えるサキュドに思わず閉口すると、口元から出かかった溜息を喉の奥へと押し込めた。
何かが引っ掛かったのだ。
だからこそ、同系統であろうファイア系の魔法に対して彼女が持つイメージを紐解き、少しでもヒントを得ようと思ったのだが。
「……心が折れそうだ」
「ウフフッ! 何を言ってるんですかテミス様ぁ! これはホントに初歩の初歩。まだまだ序の口ですよ?」
「だからこそだよ……」
テミスは、心をへし折ろうとしているまさにその元凶からの激励に苦笑いを浮かべると、これまで得た情報を頭の中で整理する。
ただのファイアはぐわああああああっ! これは恐らくだが、火そのものの事なのだろう。次に、ファイア・ランプはぽわぁぁん……起こるはずの現象から鑑みるに、明りを灯す魔法なのだろうが正直、意味が解らない。
そして終いには、ファイア・アローのギュッ……としてジュワッ!! だ。
前者が弓を引き絞る擬音だとしても、実際には火の矢を放つだけのこの呪文に弓は存在しないし、後者のジュワッ!! に至っては最早燃やしているのか焼いているのか、それとも蒸発させているのかといった具合だ。
「あ~……わからんッ!!!」
脳味噌の中をぐちゃぐちゃにかき回されたかのごとく、一向に纏まらない思考に苛立ったテミスは、感情に任せて両手で髪を掻きむしると、突如として立ち上がって壁際にもたれかけさせている自らの剣を持ち上げる。
そして、テミスは大剣を自分の身体の前で盾のように構え、サキュドに向けて言い放った。
「やはり文字を読み、話を聞くだけでは意味が解らないッ!! サキュドよ! 魔法を構築し、発動するイメージの過程を口にしながら、私に向けて……私の剣に向けて実際に発動してみてくれ!」
「えぇっ!? ですが……」
「私が構わんと言っているのだ! ……ただここは室内だ。くれぐれも加減はしろよ?」
弱いものとはいえ、主に向けて攻撃魔法を放つことに抵抗があるのか、サキュドは眉を顰めてあからさまに拒絶の意を示す。
しかし、思考の煮詰まっているテミスは叫ぶようにそれを封殺したあと、すぐに思い直して言葉を付け加えた。
「はぁ……まぁ、テミス様がそうおっしゃるのでしたら」
「よし……来いッ!!」
「まずはファイアですか。えぇっと……こうして……ぐわあああああっ……っと」
最終的には、若干の渋りを残しながらも、サキュドはテミスの勢いに圧し切られる形で実験を承諾すると、細心の注意を払って術式の構築を始める。
言葉と共に術式が構築され、テミスの構える大剣に向けて小さな火の玉が射出された。しかし、火の玉はテミスの構える剣の刀身に触れた瞬間、ジュワッ……と小気味のいい音を立てて掻き消えた。
「…………」
「…………」
その予想をはるかに上回る奇妙な光景に、部屋の中をむず痒い沈黙が支配する。
「っ……よし! 次ッ!! 次だッ!」
「は……はいッ!!」
それに耐えかねるようにして、テミスが次の魔法を指示すると、サキュドは弾かれたように肩を跳ねさせて魔法の準備を始めた。
そんなやり取りが何度も続き、さまざまな魔法によって現出した氷片や水滴で部屋が荒れ始めた頃。
その光景を、書類仕事の合間に様子を見に来たフリーディアに発見され、二人揃って激高した彼女に、滾々と説教を受ける羽目になったのだった。




