5話 穢れ無き正義
「あなた、少しいいかな?」
気持ちも新たに冒険者ギルドを出た所で、待ち構えて居たかのようなタイミングで、美しい金髪の少女に声を掛けられた。
「えっと、私が何か?」
テミスは数歩、ゆっくりと後ずさりながら問いかける。
腰に剣を携えている所を見ると、一般の市民ではなさそうだ。こちら側の軍人なら深く関わるのは避けたい。
「私は、フリーディア。詰め所で通報を聞いたんだけど、長い銀髪の旅人は君の事で合っている?」
フリーディアと名乗った少女が、俺を見定めるかのように、その金髪に映える左右で色の異なる碧眼を細めた。
「通報……? 確かに、私は今日この町に来たばかりだが……」
「あ~。その……」
テミスが首をかしげると、フリーディアは顔を赤らめながら、周囲をはばかるように見やってからテミスに顔を寄せて囁く。
「ウチの衛兵が、その……粗相を働いたそうで……」
「ああ! そのことか」
確かにあれは不快で気色悪かったが、この世界における旅人の女性が置かれている立ち位置と、元の肉体との性差を知れたので、あまり気にしてはいなかったのだが。
「本当に申し訳ないですっ! 彼の者は然る処罰の後、別の部署へと更迭するので!」
そう言ってからフリーディアは数歩後ろに下がると、金髪がたなびく勢いで何度も頭を下げてくる。
「ま、待ってくれ。例え、あなたがあの男の上司だとしても、あなたが謝る事ではない。というか、アイツ……律儀に通報に行ったのか……」
「いち衛兵と言えど、ウチの領民の粗相は私の粗相。それに同じ女として、あのような愚行を――」
テミスは慌てて頭を下げ続けるフリーディアの肩を掴んで、半ば無理矢理に頭を上げさせる。今の話が正しければ、彼女はこの町の領主か、それに近い立場の人間な訳で。そんな人間に、こんな人目のある所で頭を下げられてはいい迷惑だ。
「何度も言う――ますが、別に何かを奪われた訳でも、傷付けられた訳でもないです。なので、どうかお気になさらないで下さい」
ついつい、アトリアに話していた口調で話しかけるが、相手の身分を思い出して途中で無理に変えたため、変な敬語になってしまう。
「深いご慈悲、感謝します。あの……お名前をお聞きしても?」
「っと、これは失礼をしました。私はテミスと申します」
俺はいつの日かアニメで見たのを思い出しながら、胸に手を当て、片ひざを折って貴族風の挨拶をする。
「ふふっ、かしこまらないで下さい。それに、口調もいつも通りで結構ですよ」
「っ、しかし……」
そう言ってフリーディアがおかしそうにクスクスと笑う。挨拶の仕方は間違ってはいなかったようだが、口調は隠しきれなかったようだ。
「良いんです。それに、冒険者ギルドから出てきたという事は、新しく冒険者将校になる方でしょう? これから共に戦う仲間なのですから……」
「あっ……」
そう言われて初めて気が付く。そうか、冒険者ギルドは今や冒険者将校の登録所になっている。そこから出てきた旅人なんて、そういう風に映ってもおかしくはない。
「そうだ! せめてものお詫びとして、もし配属先がまだ決まっていないのでしたら、私の騎士団に来ませんか?」
笑顔で彼女の肩に置いていた手を握られて勧誘され、一瞬だけ心が揺れそうになる。よく見てみれば対照的な金と銀の髪。彼女の騎士団とやらに入り、魔王を相手に戦功を挙げ、人間たちの為に……彼女の為に戦う。きっとそれは、俺が憧れた物語のようにきらびやかで、幼い俺が憧れた世界そのものなのだろう。
――だが。
「――すまない」
「えっ?」
テミスはフリーディアから視線を外して頭を下げる。
だからこそ、確かめなければならない。この世界の正義が何処にあるのかを。どちらに付くのが正しいのか……何処に立つべきなのかを、自らの目で見極めなければならない。
「私は、冒険者将校になるのを辞めたんだ……」
「っ……」
本当の事など言えるはずも無く、結局そう告げると、フリーディアの瞳が悲し気に揺れた気がした。
「そう……でしたか、私ったら余計なことを……すみません」
「いや、私の勇気が足りなかっただけだ。でも何と言うか、ありがとう。誘ってくれて嬉しかった。だが、何故私を……?」
フリーディアの騎士団というものが、どういうものかはわからない。しかし、相応の地位に居るであろう彼女の所へ、どこの馬の骨とも知れない冒険者が配属されるのが無茶という事くらいはわかる。
「失礼でしたら、申し訳ありません。少しお話をしただけですが、あなたからは歳不相応な……芯のようなものを感じたんです。揺るがぬ信念と言うか……人としての在るべき姿を」
「……そんな人間になれるよう、努力するよ」
彼女は聡く、思いやりを持っている良い人間なのだろう。アトリアの話を聞いて居なければ、兵士に罵声や石を浴びせる民衆を見ていなければ、俺は喜んで付いていった。
「いつでも、その気になったら連絡をしてくださいね」
「ああ、ありがとう」
噂通り、魔王が本当に悪しき者で、利己のため、復讐のために戦争をしているのであれば、彼女に世話になろう。そう心に決めて、笑いかける。
「その、それで……これから、どうするのですか?」
「また、旅に出ようと思っている」
「そうですか……では、せめて出立前にお食事だけでもご馳走させてください」
「……むぅ」
困った。次の町とやらまでどれくらいの距離なのかはわからないから早めに出たかったんだが……。
気が付くと、いつの間にか俺の横に並んだフリーディアの手が、強く服の裾を掴んでいる。それを見た上で申し出を断るのは、あんまりだろう。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
結局、不安そうな顔でこちらを見つめるフリーディアの目に負けて白旗を上げることにした。彼女はかなりの地位にあるようだし、下手に固辞して面倒事に発展するのは避けたい。
「よかった……。では、ご案内しますね」
「よろしく頼む」
内心で小さくため息を吐く。いやしかしよくよく考えてみれば、戦時中の世を旅するのだ。普通の町で外食なんて贅沢ができるのはこれで最後かもしれない。
「次は、どちらに?」
なんて考えながらしばらく後をついていくと、先を行くフリーディアが若干振り返って話題を振ってきた。
「今日の所は、隣町のアルーシャまで行こうかと」
「アルーシャ……? 後方のラルクスではなくですか?」
「ええ、まぁ」
短く言葉を交わす俺達の金と銀の髪が風で翻り、人間の町にたなびく。長い金髪と銀髪が並んでいるのが珍しいのか、はたまた彼女の人徳が惹きつけているのか、行き交う人の視線を集めている。
「ま、彼女が目当てだろうな……?」
「こちらです。この店、スープが美味しいんですよ」
「へぇ……」
周囲を観察しながら思考を巡らせていると、一軒の小洒落た店の前でフリーディアが立ち止まる。内装も元の世界の凝った洋風レストランみたいになっているし、戦争をしているとは言ってもここはまだ影響が少ないようだ。
「フリーディア様……いらっしゃいませ。……そちらの方は?」
店に入ると、店員らしき初老の男がカウンターから飛び出してきて一礼をし、あからさまに迷惑そうな顔でこちらを眺める。顔の角度的にフリーディアからは絶妙に見えない位置でやっている辺りが熟練している。
「フリーディア。どうやら私は歓迎されていないようだ。残念だが――」
「いえいえ! そんなことは滅相も! ……ささっ! どうぞお入りください!」
まるで育てていた花に芋虫でも見つけたかのような店員の顔にそう切り出すと、店員は俺の声をかき消して慌てたように席へと誘った。
「ありがとう」
「では、ご注文は?」
「…………」
フリーディアが店員の引いた上座側の椅子に慣れた様子で腰掛けると、店長はその場でフリーディアへ問いかけた。もちろん、俺は全てセルフサービスだ。
「いつもと同じものを二つ」
「畏まりました」
「…………やれやれ」
そう言った店員がフリーディアに向けて一礼して、立ち去っていくのを確認してため息と共に席に着く。前の世界でもそうだったが、お偉いさんというのは何かと大変だ。
「その……ごめんなさい。いつもは気のいい店長さんだから気が付かなくて……」
「なに。気にしなくていいさ」
小さな声で謝罪してくるフリーディアに笑いかけながら首を振る。別にフリーディアが悪い訳ではない。あの店員の性根が腐っているのだ。
「ふふっ、ありがとう。それでさっきの続きなのだけれど……」
フリーディアは店員がキッチンヘと引っ込んでいるのを確認しながら声をひそめて続けた。
「差し支えなければ理由を教えてくれないかしら?」
「理由……?」
「ええ、なぜ安全な後方ではなく、最前線の方へと向かうのか……」
「っ……」
目の前で心配そうにこちらを見つめるフリーディアに言葉に詰まる。気軽に行き先を告げたのは失言だったか……。
「理由……か」
とりあえず、思案するかのように呟きながら脳を必死で回転させる。
どう答えれば怪しまれない?
どう答えれば矛盾が生じない?
「……この世界の真実を、見て回りたいからだ」
テミスは長い沈黙の後、結局本当の理由を口にする。
「真実?」
「先程、前線帰りの兵を罵倒し、石を投げる連中を見た」
「っ……」
ゆっくりと告げると、フリーディアが僅かに唇を噛んで頷くと続きを促す。
「強い者が弱い者を虐げる……ましてや、弱い者を守って傷付いた者を蔑む奴等の事を、私は正義だとは思えない」
「そう……ね」
「だから世界を見て回って……私の力が正しく振るえる場所を探したい」
もう二度と同じ轍を踏まないために……。
心の中でそう付け加えると、フリーディアの顔に花が咲いたように笑顔が灯る。
「なら、安心したわ」
「……えっ?」
嬉しそうに頬を緩めたフリーディアの言葉が理解できず、俺は首を傾げた。
「世界を見て回った結果、あなたがどういう結論を出すのかはわからないけれど……私達の白翼騎士団で一緒に戦う可能性も残ってるって事よね?」
「あ、ああ……」
フリーディアの妙な気配に気圧されて、そのまま首を縦に振る。確かに、彼女のような人間と共に戦えるのなら、それは――。
「お待たせいたしました」
言葉を続けようとした途端、フリーディア曰く店長の男が大きめのカートと共に声をかけて配膳をはじめる。
フリーディアの前には、ほんのりときつね色に染まったパンに、見るからに新鮮な野菜をふんだんに挟み込んだサンドイッチと、温かな湯気を上げる具だくさんのスープを。
一方で俺の前には、生のパンと見るからに切れ端ばかりの屑野菜を挟み込んだサンドイッチに、若干冷めた透き通るようなスープをそれぞれ並べていく。
「……店長」
「なに。いいさ」
机に配膳されていく料理の差に、流石のフリーディアも不快感を覚えたのか、声をあげようとするのを俺は半笑いで止める。
「……フン」
店長は最後に鼻を鳴らしながら、フリーディアに出した物と同じポットからコーヒーを注ぎ、フリーディアに一礼して俺達に背を向けた。
「店長」
「…………何でしょうか?」
テミスが一言で呼び止めると、こちらを振り向きもせずに店長が立ち止まる。
「一つ、覚えておくと良い。区別も結構だが、こうも露骨が過ぎると逆効果だぞ? 特に彼女のようにまっすぐな人間の前ではな」
「……どういう意味ですかな?」
首を傾げるフリーディアの前で、白湯のように薄いスープを一気に飲み干すと、屑野菜サンドイッチにかぶりつき、ようやくこちらを振り返った店長の目を正面から睨みつけてやって、ニヤリと大きく笑顔を浮かべてやる。
「フリーディアから聞いていた通り実に絶品なスープだ。まるで白湯のようにクセが無く淡泊な味で飲みやすい。こちらのサンドイッチも実に青々とした風味で柔かいパンと共になんとも愉快な食感だ。これは是非、上官殿や官僚殿にも勧めるべきか」
「なっ……」
絶句する二人を横目に最後に出されたコーヒーに口をつけると、心地の良い苦みが青汁のように青臭い口の中の不快な味を流し込んでくれた。
「あ……あ……あなたは……」
驚愕の表情を浮かべた店長が、見て取れるほどの動揺と共にゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。別に大した恨みも無いが、ささやかな期待を踏みにじった罰と礼だ。そろそろトドメを刺してやるとするか。
「んん? ああ、そうだな。フリーディアに紹介して貰った手前、私が見つけたなどと言うべきではないか。感想こそ異なるがちゃんとフリーディアの事も――」
「しっ! 失礼致しましたっ! お出しするメニューを間違えてしまいまして……すぐに作り直してまいりますッ!」
内心でコーヒーの味に舌鼓を打ちながら、意地の悪い笑みと芝居がかった動作で店長を煽ってやる。すると、店長は俺の前に並べられた皿を素早く下げながら頭を下げ、大急ぎでキッチンへと引っ込んでいった。
「テミス……」
「ああ、済まない。別にただの屑野菜なら構わんのだが、流石に青臭すぎて食べれる気がしなくてな……。ところで、フリーディア達の騎士団は普段何をしているんだ?」
バツが悪そうにこちらを見るフリーディアを、適当な理由を付けて誤魔化しながら話題を変えてフリーディアの気を逸らす。
「えっ? うん、ウチは基本的に遊撃的な部隊なんだけれど、たまに町の人が困ってるのを手伝ったりしてるわね」
「なるほど……」
頷きながらコーヒーを啜り、会話を繋げていく。次第に俺の質問に答えるフリーディアという図式から、誇らしげに部隊の事を語るフリーディアの話を聞く俺と形を変え、改めて出て来たマトモな食事も相まって、思いがけず楽しく有意義な昼食となった。
「ありがとうございました! でっ、では是非またのお越しを……」
店を出る頃には店長の接客も普通よりさらに媚びたものへと変わり、とめどなく出てくるコーヒーのポットが今も机で湯気を上げていた。
「店長。次からはどんな者が連れてこられようとも、紹介者の顔を潰さぬようにするのだな」
「ははっ! それはもう重々とっ!」
「あはは……」
テミスは恐縮する店長に見送られながら、苦笑いを浮かべるフリーディアと共に元来た道を引き返す。
「じゃあ、気をつけて。連絡……いつでも待っているから」
レストランから町の入り口までの短い旅路が終わり、横に居たフリーディアが門の前で立ち止まる。
「いろいろとありがとう。フリーディアも壮健で」
そう告げるとテミスは、町に入った時とは別の衛兵が恐縮している横を通り抜けながら、肩越しに彼女を振り返り、手を振った。
そして、ゆっくりと門を潜りながらテミスは祈るのだった。どうか、魔王が悪辣で彼女と肩を並べて戦う未来が来るように。と。
8/1 誤字修正しました