675話 一難去ってまた一難
十数分後。
満を持して戻ってきたマグヌスが携えているものを見て、テミスは密かに狂喜乱舞していた。
その手に提げられていた物、それは見紛う事無く二振りの剣だった。
「テミス様……お待たせいたしました」
「いや。構わない。それで……どうするんだ?」
「ハッ……」
マグヌスはテミスの前へと戻り、言葉と共に小さく頭を下げる。それに対して、テミスは表面上は冷静な様子を繕っていたものの、その視線は既にチラチラとマグヌスの持つ剣へと逸っており、内心を隠し切れては居なかった。
勿論。主の機微に聡いマグヌスがそれを見落とす事などあろうはずが無く、言葉少なに剣を一振りテミスへと差し出して言葉を続ける。
「闘気と魔力の違いを知りたくば、習得するのが手っ取り早いでしょう。つきましては、我が身の恥を晒すようで恐縮ではありますが……私は魔法よりも、もっぱらこちらの方が性に合っております故」
「う……うむっ!! 私も丁度、身体を動かしたいと思っていた所だ!!」
「フフッ……それは重畳でした。では、まずはこちらを……」
「よしっ!!」
テミスは差し出された剣を手に取ると、マグヌスと言葉を交わしながら早速鞘から抜き放って空へと掲げる。
磨き上げられた刀身が陽光を反射し、ブラックアダマンタイトのそれとは異なるずしりとした剣の重みが手に加わるのを、テミスは深々と噛みしめた。
漸くだッッ!!
今私が握っているのは、ペンでも本でもない! 剣なのだッ!!
久しく味わっていないあの風切り音と空を裂く感覚。
勉強漬けの日々の中で渇望した感覚が目前に迫り、テミスは期待に胸を高鳴らせながらごくりと喉を鳴らす。
「ではまず、剣をこう……上段に構えていただいて」
「ん……? あ、あぁ……。こうか?」
「はい……何度見せていただいても端整で素晴らしい構えです。そして、一歩前へ深く踏み込むと同時に、一直線に振り下ろします」
ぶおん。と。
テミスに指導をしながら、マグヌスがゆっくりと剣を構える、そして、所謂唐竹割りに剣を振り下ろすと、空気を断つ鈍い音が周囲に響き渡る。
その動きを真似て、テミスもまた上段に構えた剣を地面に向けて一直線に振り落とすと、光のように迸る剣速がヒャウンと甲高い音を奏でた。
「っ……!!」
その感覚に、テミスは内から湧き出る感動に身を打ち震わせ、胸いっぱいに息を吸い込んだ。
動きはまさに初歩の初歩。
ただ剣を高々と持ち上げ、力の限りを込めて振り下ろすというただの素振り。
けれどそれさえも、久しく体を動かしていなかったテミスには、代えがたい至福の感覚だった。
「お見事です。では、まずは軽く上段素振りを一万回からいきましょうか」
直後。
大真面目な顔で放たれたマグヌスの気が狂ったとしか思えない指示を聞くまでは。
「……………………はっ???」
「上段の構えからの素振りを一万回です。テミス様。さ……お早く」
「いや……しかし……」
まるで、油の切れた機械人形のように軋んだ動きで、テミスの首がマグヌスへと向く。
しかし、それ同時に放たれた疑問符に返された答えは、ある意味では酷く残酷な物だった。
私は、耳をどうにかしてしまったのだろうか? それとも、連日続けた詰め込み授業のせいで、頭でもおかしくなったか?
突如投げかけられた無茶な指示に首を傾げながら、テミスは思わず構えを崩してマグヌスへと向き直る。
勉強で凝り固まった体を動かしながら、闘気についての手がかりを得る。これは、いわば趣味と実益を兼ねた探求だったはずだ。
決して、実剣で素振りを一万回などという、前時代的な地獄の特訓をするためのものでは無い。
「テミス様ァッ!! 何故構えを解くのですかッ!? お早くッ!!」
「へっ……!? あ、はいッ!!」
「構えて……斬るッ!!」
「っ……ふっ!!」
だが、直後に響いた轟雷のようなマグヌスの怒号に流されるように、テミスはビクリと肩を跳ねさせると剣を構えて全力で空を切る。
「ハイッ!! 次ィッッ!! 三ッ! 四ッ! 五ッ! 六ッ!」
「マグヌスッ!! 私はッ!! 闘気についてッ! 知りたいだけでッ!」
「七ッ! 八ッ! 九ッ! 十ッ!!」
「剣のッ! 稽古をッ! したい訳ではッ! 無いのだッ!!」
その有無を言わさぬ気迫に気圧されながらも、テミスは容赦なく響くマグヌスの掛け声を縫って、剣を振り下ろしながら対話を試みる。
「テミス様ッ!! 闘気とは魂の力ッ! 気迫の力! 限界まで己を追い詰めた先にのみ、見ゆる境地の事なのですッ!! はい十六ッ!! 手を休めないッ!!」
「そんな訳あるかッ!!」
キュンッ! と。
テミスの叫びと共に、一際鋭く振るわれた剣が、一層甲高い音を立てる。
そんな、気合と根性だけで身につく物ならば、あのフリーディアがわざわざ無駄な座学をさせるはずが無い。
つまるところ私は、逃げ込んではいけない所に飛び込んでしまったのだろう。
続けられるマグヌスの掛け声に合わせて剣を振るいながら、テミスは目尻に涙を浮かべて心の中でため息を吐く。
こうなれば一秒でも早く、私の事をフリーディアが見つけてくれる事を期待する他は無いだろう。
「さぁさぁテミス様ッ!! もっと早くです! 上段の次は中段、その次は下段が控えているのですからッ!!」
目の前で剣を振るうテミスが、そのような願いを抱いているなどとは露ほども思わず、マグヌスはその瞳に忠誠と歓喜を漲らせて、威勢よく声をあげたのだった。




