673話 予想外のお勉強
「え~……っと……」
目の前に映し出された光景に、テミスは頬を引きつらせながら言葉を漏らした。
私の頼みを自信満々で引き受けたフリーディアが、『少し待っていて!』と部屋を飛び出して行ってから十数分。
私の目の前あったこの部屋に放置されていた机の上には、フリーディアが何処からかき集めて来た、大量の分厚い本で埋め尽くされている。
「あの……」
「もう少し待っててッ! あとは……紙とペンも必要よね」
「えぇ……?」
再び部屋の戸が開いたかと思うと、フリーディアは両腕に抱えた本を机の上へと下ろし、分厚い本の山がさらにその標高を増した。
だが、問題はそれだけではない。
今、フリーディアは何と言った?
紙と……ペン?
「壮絶に嫌な予感しかしないのだが……」
私は、戦うための技、ひいては剣術を教わる為にフリーディアの元を訪れたはずだ。
だというのに……目の前に広がっているのは、さながらペーパーテストでも翌日に控えた怠惰な学生が如き光景だった。
「っ……と……! これでよしッ!! お待たせ、テミス!」
「あ……あぁ……。一つ確認なんだが……」
「うん? あ、どうぞ座って?」
「ん……すまない。っ……私はお前に、技について学びたいのだと頼んだよな?」
テミスは妙な気迫を纏ったフリーディアに促されるままに、示された椅子に腰を落ち着けながら問いかけた。
目の前には、フリーディアが最後に持ってきた、白紙の紙束と一本のペンが転がっている。
「勿論。どうしたのよ? そんなおかしな顔をして」
「いや……戦いの技というのだから、てっきり剣を振ったりするものだと思っていたのだが……」
そう言ってテミスが視線を泳がせた先には、部屋の片隅に所在無さげに立てかけられている自らの愛剣があった。
「はぁ……うん、でもそうよね……。まずはそこからか……。いい? テミス。貴女は何でも感覚に頼りすぎなの」
「感覚……?」
「そう。今、貴女の話を聞いたところでは、本来技を扱ううえで、知っていて然るべき知識がすっぽり抜け落ちている」
「むぅ……」
何やら言葉の端々で、馬鹿だと言われたような気がしたテミスが眉を顰めて問いかけると、腰に手を当てたフリーディアはぐうの音も出ない程の正論を返してきた。
まさにその通りではあるのだ。
だからといって、こうまで極端な座学に取り組む羽目になるとは……。
「本心を隠さずに言っても良いのなら、貴女は本来、剣を握るのも早いのよ」
「ぐっ……! 待て待て! それは流石に言い過ぎというもの――」
「――なら、魔力と気力……闘気の違いは? 普通に魔法を使うのと、物に対して魔力を付与する付与魔法の明確な差は?」
「うっ……あ……ぐっ……」
テミスは不満気な表情を浮かべて悪あがきを試みるが、それは呆れたような微笑を浮かべたフリーディアによって悉く粉砕された。
どうやら、勝ち目は無いらしい。
テミスは遂に諦めると、小さなため息とともに素直に机へと向かい、うず高く積まれた本の山に視線を向ける。
「それで……? これを読むのか?」
「いいえ。まだよ。たぶん今の貴女では読んでも理解できないと思うわ」
「っ……!!」
「今日は……そうね……」
すっぱりと放たれたフリーディアの言葉がテミスの心に突き刺さり、積み上げられた本へと伸びかけていたテミスの手が、うめき声と共に力無く引っ込められる。
しかし、フリーディアはそんな様子に気付いた素振りも無く、腕組みをして何やら考え込んだ後、唇を尖らせるテミスへ向けて問いかけた。
「さっきも聞いたけど、テミス貴女、魔力と気力の違いを説明できる?」
「……字面の違い」
「はい。じゃあ今日はその辺りから始めましょうか」
まるで拗ねた子供の様にぶっきらぼうに答えたテミスに、フリーディアは苦笑いを浮かべると、パチンと手を叩いてテミスの隣へ回り込む。
そして、机の上に転がっていたペンを拾い上げると、フリーディアは用意してきた紙に図を描きながら解説を始めた。
「いい? 魔力っていうのは文字通り魔の力。誰もが等しく持っている訳ではなく、種族によっても大きく偏りがあるわ」
「……それくらいは知っている」
「なら、魔力には二種類あるのは? 自然魔力と体内魔力」
「むっ……それは……」
言い淀むテミスに対し、フリーディアは説明を止める事なくペンを走らせ、人を模った図の中にオド、その外にマナと文字を書き加える。
「つまり魔法とは、自分の体内魔力を使って自然魔力に干渉し、術式を発動するというものなのよ。それに対して気力……闘気というのは誰もが等しく持つ力。生命力や意志の力を根源としているわ」
言葉と共に、フリーディアの手によって新たな人の図が書き加えられ、そこから何かを放出するかのような絵が描かれた。
「ン……? 待て。それならば、体内魔力と闘気は同じものという事にならないか?」
「ふふっ。良い所に気が付いたわね。そういう考えもあるけれど、今は違うとされているわ。体内魔力と闘気が同じなら、強力な闘気を扱える人間が魔族並みの魔法を使えないのはおかしいもの」
「フム……」
「ひとまず今は、闘気は生命力……魂を根源とする力で、魔法は身体に宿る魔力を精神力と術式で操るものだと覚えておけばいいわ」
未だ疑問が残るといった雰囲気で唸るテミスに、フリーディアはそう言葉を締めくくるとペンを置いて息を吐いた。
そして、おもむろにテミスの前に積み上げられている本を手に取ると、どすりという重い音を響かせてテミスの前に広げてみせた。
「あの……これは……?」
「まずは、魔力……体内魔力を感じる方法と簡単な魔法の構成を覚えましょ。その為の理論と魔法陣に組み込む魔方式の意味が……」
「ぁ……ぁ……」
どうやら、フリーディアは完璧に理論を理解してから実践に移すタイプらしい。
ほれみろ。嫌な予感が的中した。
テミスは心の中で半ばやけくそ気味にそう呟くと、広げた本の各所を指差しながら再び解説を再開したフリーディアの傍らで、苦虫を噛み潰したような苦渋の表情を浮かべたのだった。




