幕間 フィーンの苦難
「ハッ……ハッ……くっ……!!」
昼下がりの街道を駆け抜けながら、フィーンは背中越しにチラリと視線を向けて歯を食いしばる。
その視線の先には、汚れた簡素な服に曲刀を携えた、何処からどう見ても盗賊にしか見えない男たちが目をぎらつかせていた。
「やはは……まだ着いてきますか……。参りましたね……」
フィーンはさらに脚へ力を込めて呟くと、駆けるスピードをさらに上げて風のように疾駆した。
同時に、頬を伝う汗を無視して脇道へと視線を向けて思考を巡らせる。
ここから目的地のファントまではまだ距離がある。体力には自信のある方だけれど、このまま町まで転がり込むのは難しいだろう。
「なら……街道を外れますか……? いや……」
微かな土埃を舞い上げて全力で駆けながら、頭の中に浮かんだ案をフィーンは却下する。
連中が何者であったとしても、この辺りの地形は連中の方が明るいだろう。ならば、多少無理をしてでもこのまま走り続け、せめて人目のあるイゼルの町辺りへ転がり込むべきだ。
「でも、まぁ……。狙いはコレ……ですよねぇ……?」
方針を決したフィーンは、足を休むことなく動かしながら自らの懐に収められた一通の書状へと意識を向ける。
「素直に渡したら見逃して貰えますかね?」
皮肉気な笑みを浮かべてフィーンは小さな声で呟いた。
この書状には、ロンヴァルディアの未来が懸かっている。フリーディア様は私に書状を託す時に、真剣な顔でこう言っていた。
なら、素直に渡した所で、ロクな事にはならないだろう。良くて連中の奴隷扱いだろうし、最悪その場で殺されるかもしれない。
「ならば私も……覚悟を決めるしかないじゃないですかッッ!!!」
頬を伝う汗を弾き、フィーンは全力で街道を駆け抜けていく。
その甲斐あってか、追い縋る盗賊の姿が小さくなった時だった。
「っ……!! あれはッ!!」
フィーンの視線が、ゆっくりと前を走る馬車を捕らえてきらりと光る。
一頭立ての簡素な馬車だが、その荷台には幌が付いており、風にそよぐ幌の影からは人影も見えた。
「商人でしょうか……? 好都合ですッ!!」
荒々しい息を吐きながら口角を吊り上げたフィーンは、一気に加速すると、前を走る馬車の荷台に飛び込んで叫び声をあげる。
「なっ――」
「――すいませんッ!! 盗賊に追われているんですッ!! 走ってッ!!」
「っ……!!! わかった。オイッ!!」
フィーンが飛び乗った荷台には一人の男が腰掛けていたが、間髪入れずに叫んだフィーンの言葉を聞くと、コクリと頷いて御者へと指示を出す。
直後。
馬車はゴトリと大きな音を立て一気に加速した。
「はぁ~……はぁ~ッ……。やはは。すいません、助かりました」
「……いや、良いんだよ。お嬢ちゃんは一人かい? 災難だったね」
「っ……! はい……最近はああいうのも減ったと聞いていたんですが……」
荒い呼吸を繰り返しながら、フィーンは男に飛び乗った無礼を謝罪する。
すると、商人らしき男は朗らかな笑みを浮かべると、上機嫌にフィーンへと話しかけてくる。
「そうだねぇ……それよりも、こっちに来て座ったらどうだい? 大したものは無いけれど、水くらいならご馳走しよう」
「……助かります。もう喉がカラカラだったんです!」
男の申し出に笑顔で応えながら、フィーンはにっこりと笑顔を浮かべて立ち上がり、ゆっくりと男へと近付いていく。
しかし、まるで隠すかのように腰へと回されたフィーンの左手は、背中に仕込まれたダガーの鯉口を切っていた。
この男が、親切な商人であるならばそれでいいが……。
「ありがとうございますっ!!」
「ふふ……なに。気にする事はないさ」
「っ……!!!」
フィーンが自然な体運びを意識しながら男に近付き、差し出された水筒を受け取った瞬間だった。
両手が空いた男がニヤリと破顔すると、両腕で力強くフィーンの肩を鷲掴みにする。
「ククッ……漸く捕まえた」
「です……よねぇッ!!!」
「なっ……!!?」
しかし、嫌らしく顔を歪めた男が感じたのは、自らの身体にドスリと響く不吉な衝撃だけだった。
獲物を逃がさぬよう、肩をしっかりと掴んだはずの手からも力が抜け、男の視界が急速に暗くなっていく。
「うっ……あ……ぁ……なん……で……」
ドサリ。と。
言葉と共に前かがみに倒れ込む男をフィーンはヒラリと躱すと、その身体を蹴り上げて仰向けに転がし、不敵な笑みを浮かべて傍らにしゃがみ込む。
そして、男の胸に突き立ったダガーの柄に手を伸ばして、囁くように口を開いた。
「記者をナメないで下さいよ。普通の商人が厄介事を持ち込んだ小娘に、文句のひとつも言わずに持て成しますかね?」
「あぐっ……!!」
「生憎私は、そんなお人好しが窮地に都合よく通りかかる事を信じられるほど、純真では無いんですよ」
フィーンは男を突き放すようにそう言い残すと、震える手でその胸を穿ったナイフを引き抜いて立ち上がった。その後、コツリと足音を響かせながら、幌を潜って御者台へと向かったのだった。




