670話 護られた輝き
翌朝。
窓から差し込む陽の光に目を覚ましたフリーディアは静かに身を起こす。
「テミス……?」
しゃがれた声で呼びかけてみるも返事は無く、その静寂は彼女が既にこの部屋を後にしている事を示していた。
「もう……お礼くらい……言わせなさいよ……」
そう零すと、フリーディアは自らの胸に分厚く巻かれた包帯を恐る恐るまさぐってみる。
けれどその前から、フリーディアは心のどこかで確信していた。
あれ程辛く、苦しかった痛みは既に無く、貫かれていた筈の胸の中には、青々と澄み渡る空のように爽快な気分が満ちている。
「フフ……そういう所、強情なんだから……」
そう独りごちりながら、フリーディアは独り微笑むと、乱れた衣服を整えてベッドから立ち上がった。
後でお礼を言った所で、きっとテミスは見事にとぼけてみせるのだろう。
けれど、私は知っている。
「貴女が私を、必死で助けてくれたことを」
言葉を紡ぎながら、フリーディアは自らの身体から様々な紐が千切れ飛ぶのにも構わず、窓辺に歩み寄った。
どうやったのかなんてわからないけれど、昨夜のアレは間違い無く魔力の譲渡だ。
魔力の譲渡とは、自らの身体に流れる魔力を他人の魔力に同調・変質させて流し込む事で。それは即ち、自分の血液を強制的に他人のものへと組み替えて譲り渡す行為に等しい。
そんな事、明らかに自殺行為だ。テミス本来の魔力が変質してしまうかもしれないし、最悪魂ごと消し飛んでしまう可能性だってあっただろう。
二人の魂が混じり合い、全く別の何かへと成り果てていたかもしれない。
「それでも貴女は……」
自らの破滅をも厭わず、救いの手を差し伸べてくれた。
だからこそ、昨夜の奇妙な夢の事は、私の胸の内に仕舞っておこう。
訊きたい事は山ほどあるし、あの自らの事を残響だと言った男が何者であるのかも結局はわからず仕舞いだった。
でもきっと、私がそれを問えば貴女を深く傷つけることになる。
「…………」
既に決した心を確認するかのように、フリーディアは自らの意思を胸の内で反芻しながら窓に手を伸ばすと、鍵を開けて大きく開け放つ。
そして、朝露の香るみずみずしく爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込んで溜め、思いっ切り口から吐き出した。
ならば、私は待とう。貴女が話してくれるまで。
「……いいえ、待つだけじゃないわ」
貴女が私に語り聞かせても良いと思える程にように成長してみせる。
テミスの過去に何があったのかを私は知らないし、何を背負っているのかも検討が付かない。何故、流浪の旅を続けていたのか。何故、そんなにも『悪』を憎むのか。
何故……。
問い詰めて問い質して、すぐにでも力になってあげたい。
溢れそうな思いを押し殺して、フリーディアは朝日のきらめくファントの町へと視線を向ける。
「今までの私なら、きっとそうしていたのでしょうね」
目が覚めた途端、脱兎のごとくこの部屋を飛び出して、寝不足であろうテミスの元に駆け付け、矢継ぎ早に質問を浴びせたのだろう。
でもそれでは、貴女を救う事はできない。それではきっと、私は貴女を夢に出てきた通りの破滅へと突き落とす事になってしまう。
そんな事は、絶対にあってはならない。
「クス……。テミス……貴女は今、どうしてるのかな?」
窓から吹き込む柔らかな風に髪をなびかせながら、フリーディアは薄い笑みを浮かべて思いを馳せる。
疲れ果てて眠っているのだろうか? それとも、目の下に濃い隈でも拵えて働いているのだろうか?
きっと、後者なのだろう。
そして、テミスの身を案じた部下達に怒られた後、濃くて熱いコーヒーを差し出されるんだ。
「ああ……目に浮かぶようだわ?」
たった今、空想した通りの出来事が怒っている事など露程も知らず、フリーディアは熱い息を一つ吐いて空を見上げる。
気力も体力も満ちに満ちていた。
「もう迷わない。貴女が自分の事を大切にしないのなら……」
フリーディアは背後からバタバタと近付いてくる大きな足音を聴きながら、この町のどこかに居るであろうテミスへ向けて微笑みかけた。
そして、中空へと投げだした言葉を引き継ぐように、胸の中で誓いを立てる。
――なら、私が貴女の事を護ってみせるわ。
意地っ張りで、そのくせ寂しがり屋で。貴女は何もかもを一人で抱え込むから。
そんなあなたが、壊れてしまう前に。
「ファントは今日も……平穏ね」
部屋の間近まで迫る足音に、フリーディアは涼やかに微笑んで窓を閉めると、踵を返してベッドへと腰かけ、笑顔で呟きを漏らす。
そんなフリーディアが眺める蒼空の彼方では、きらきらと美しい太陽が眩しく輝いていたのだった。
本日の更新で第十三章が完結となります。
この後、数話の幕間を挟んだ後に第十四章がスタートします。
人魔の融和を掲げたテミス達を待っていたのは、両者の間に横たわる深い蟠りでした。大切な家族や仲間達、そして自らの為すべき想いとこの世界に生きる人々。しかし、人々と共にテミスが望み、勝ち得た平穏は確かにそこに在りました。
そんな平穏の中で、テミスは自らの思いと背負った思いを見つめ直しました。彼女はいったい、どのような道を選択したのでしょうか?
続きまして、ブックマークをしていただいております449名の皆様、そして評価をしていただきました62名の方々、ならびにセイギの味方の狂騒曲を読んでくださった皆様、いつも応援ありがとうございます。
さて、次章は第十四章です。
自らに宿る力の秘密に気が付いたテミス。その一方で、フリーディアも志を新たにしています。
テミスとフリーディアを取り巻く環境が変化していく中で、二人はいったい何を見るのか?
セイギの味方の狂騒曲第14章。是非ご期待ください!
2021/6/3 棗雪




