61話 地獄の大釜
戦場には爆音と悲鳴、そして雄叫びが響き渡っていた。本来であれば、このような正面切っての戦闘で、強靭な魔力と肉体を持つ魔族で構成された魔王軍が、苦戦などする由もないのだが……。
「報告! ルギウス様ッ! 敵の増援です!」
「ぐっ……またかっ! 規模は!?」
「それが……三個大隊程……このままでは南部戦線が崩壊します!」
ラズールの前に敷かれた陣の中で、ぼろぼろに傷付いた部下が震え声で報告を上げてくる。かくいうルギウス自身も、体中に血の染み出た包帯を巻きつけた満身創痍の状態だった。
「我々の余剰戦力は出払っている……かといって他の戦線も手一杯……グッ……」
「ルギウス様ッ!」
「心配するな。大丈夫さ」
心配して駆け寄ってくる部下に笑顔を見せながら、ルギウスは心の中で臍を噛んだ。これで一体何回目の増援だ? 我々はいったいどれだけの部隊を葬った? 数えきれないほどの人間を切り捨てたというのにもかかわらず、奴等の勢いは未だに収まる事を知らない。
「ルギウス様ッ! 奴等の爆裂魔法です!」
後方で支援をしてくれている人々や支援兵の奏でる動揺と悲鳴に混じり、近衛兵が叫び声をあげて報告する。ゆっくりと視線をあげたルギウスの視線の先では、空を覆いつくすほどの巨大な火球が緩慢な動きで本陣へと向かって来ていた。
「魔導防壁を展開! 魔力を持つ者全員でだッ!」
「りょ……了解ッ!」
命令した途端に動き出した兵達と共に空にてをかざし、ルギウスも共に防壁魔法を展開する。すると、薄い紫色をした魔法陣が迫り来る火球と陣の間に頼りなく揺らめいた。残りの魔力次第だが、爆裂術式一発ならまだ……。
「ぐっ……おおおおおオオオッッ!!」
巨大な火球と紫色の防壁が接触した瞬間。凄まじい爆風が防壁に沿って流れ、一切の景色を遮断する。同時に、柄でもなく雄叫びをあげたルギウスから放たれる膨大な魔力が、ミシミシと音を立てる障壁を支えていた。
「くっ……ハァ……ハァッ……何とか……凌いだか……」
「ルギウス……様ッ……」
周囲を見渡せば、誰もが肩で息をして玉の汗を流していた。同じ規模の魔法がもう一発放たれれば、もう防ぐことは叶わないだろう。
「南方は僕が出る! お前達は引き続き、戦線の維持に全力を注げッ!」
「いけませんっ!」
震える膝に鞭を打ち、立ち上がったルギウスに副官のシャーロットが縋りついた。ハーフエルフの彼女もまた、ブロンドの髪を血と泥にまみれさせ、魔術的防護に重点の置かれた露出の高い鎧には、夥しい量の傷が刻み込まれていた。
「シャル……大丈夫さ。ここを食い止めればきっと彼女が……テミスが来てくれる」
「さっきもそう言って出て行かれたでは無いですか! どうか、どうか撤退を指示してください! せめてルギウス様だけでも……もう冒険者将校を二人も相手にされているのですよ?」
「っ……」
大粒の涙を流しながら縋り付く副官をすげなく振り払う力も無く、ルギウスは息を呑んでよろめいた。今更になって何故ここを攻める? 魔族と人間が手を取り合うこの地域がそんなに気に食わないか? やり場のない怒りがルギウスの心を焦がし、つき上げる怒りから生み出された覚悟が、ルギウスの手を動かした。
「駄目だ。ここを落とされる訳にはいかない。僕は第五軍団長として、ラズールの人々を……この地域で笑う全ての人々を護る義務がある!」
ルギウスは血を吐くように言葉を並べ立てると、縋り付くシャーロットの肩に置いた手に力を込めてその拘束を振りほどく。
「ルギウス様ッ……!」
よろよろと陣の外へと向かうルギウスの背に、絶望に濡れたシャーロットの鳴き声が追い縋った。
「……すまないシャーロット。すまない、皆。すまない……テミス」
歯を食いしばった口から漏れだす謝罪と共に、ルギウスの目に闘志が注がれる。恐らくここが分水境。万が一戦闘になった場合の合流地点に来てくれたあちら側の市民の避難もまだ済んでいない以上、どんな犠牲を払ってでもまだここを抜かれる訳にはいかない。
「伝令! ルギウ――失礼しましたっ!」
ルギウスの姿が陣の入り口に辿り着くと同時に、陣の中に傷だらけの兵士が飛び込んできて叫び声をあげた。大急ぎで伝令を持ってきたら指揮官とぶつかりそうになったのだ、竦むのも無理は無いか……。
「良いよ。報告は?」
胸の中にちくりとした痛みを感じながら、ルギウスは優し気な笑みを浮かべて伝令に問いかける。きっとこの命令が、僕の下す最後の命令になるだろう。民の為に死ねとしか言えない無能な僕を、この伝令君はどう後世に語るのだろうか。
そんな、一種の諦観にも似た思考がルギウスの頭をよぎった時、伝令の顔がまるで堪えかねたかのように笑顔を形作る。
「我等の援軍を確認ッ! 大隊規模で南方より急速接近中ッ! 団旗は第十三独立遊撃軍団ッ!」
「間に――合ったかッ!!!」
陣に響き渡る大声の報告が為された後、陣の中を喜びの歓声が沸き上がる。同時にルギウスもまた拳を握り締め、周りの仲間と共に歓声を上げたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「戦況は?」
遠くから爆音と剣戟の音が響き渡る戦場に程近い地点で、テミスは傍らのマグヌスへと問いかける。
「状況は極めて劣勢ッ……大規模な人間軍の軍勢を第五軍団が単体で押し留めています。ですがっ……」
「フム……続けろ」
「現地域の部隊……南部戦線の部隊が壊滅寸前。今にも突破されそうです」
テミスは、震える声で状況を報告したマグヌスに頷くと、小さくため息をついて思考を巡らせる。ここから本陣まで向かっていては恐らく南部戦線は持たないだろう。しかしここで戦闘を開始すれば、しこたま持ってきた救援物資をここで投棄する羽目になる。
「やれやれ……第一から第三中隊までは救援物資を全て第四中隊へ渡せ! 第四中隊は全ての救援物資を本陣に届けた後、全力反転して南部戦線に加われ!」
ならば、両方を同時に完遂するしかない。たった三個中隊で死地に飛び込む我々と、四倍の荷物を背負って行軍する第四中隊のどちらが地獄なのかはわからんが、最良の結果を得るためにはこれしかないだろう。
「戦闘組は荷車も馬車も全てくれてやれ! 我々は壊滅寸前の南部戦線を立て直すぞ!」
「ッ……了解ッ!」
テミスの命令に目を見開いた十三軍団の面々が、背に冷や汗を流しながら声をあげたのは言うまでも無かった。
10/25 誤字修正しました




