664話 隠忍自重の時
ファントの町へ帰還した直後。
テミスは真っ先に出迎えた兵達へ問いかけると、未だに治療を施している最中だという病院へと足を向けた。
無論。血濡れた抜き身の剣を小脇に抱え、返り血を浴びたままのその姿は人目を引くが、テミスはその一切を黙殺して歩を進め、一枚の大きな扉の前にたむろする、白翼騎士団の面々とマグヌス達の元へと辿り着く。
「フリーディアの容体は?」
「テミス様ッ! それが……」
「っ……! 応急処置を施した者の話では、かなりの重傷だそうだ。ここへ運び込んでからは、治療院……いや、病院だったか……。この施設の者が何度も慌ただしく出入りしたくらいで、とても声をかけられる様子では無かったのだ」
テミスの問いかけにマグヌスが応えかけるが、それを制して一歩前に進み出たカルヴァスが、重々しい声で現状を伝えた。
予測通り、フリーディアの容体はかなり危険らしい。だが同時に、今も命があるだけ御の字とも言えるだろう。なにせ背から胸にかけて矢で貫かれたのだ。即死していても不思議ではない重症だ。
「それで……そちらはどうだったんだ? 犯人は捕らえたのか?」
「あぁ」
「っ……!! いったい何処のどいつだった!? 今すぐにでも――」
「――黙れ」
「ぐっ……!? むぐっ……!?」
察するに、テミスがここに来るまでの間も、幾度となく暴れ出しそうになったのだろう。
その左右を屈強な騎士達に固められたミュルクが、テミスの前に身を乗り出して声を荒げる。
しかし、テミスは瞬時にミュルクの口に手を当てて黙らせると、チラリとカルヴァスへ視線を走らせて皮肉気に唇を吊り上げた。
「……これまで何度、この小僧はこうして騒ごうとした?」
「っ……! 五回……これで六回目だ。気持ちは痛いほどわかるのだが、たとえ万に一つでも、フリーディア様の治療の邪魔になってはならんと考え、こうして――」
「――もごっ……ぶはっ!! だから!! フリーディア様の様子を聞くくらい――ぶもがっ……!!」
カルヴァスの言葉に反応し、ミュルクは体を捻ってテミスの手から逃れると、再び大きな声でがなり立てる。
だが、その抵抗さえも瞬時にテミスは無に帰し、ミュルクの顔を掴んだ手に力を込めながら静かに口を開いた。
「おめでとう。これで都度七回。お前はフリーディアの命を危機に晒したのだ。どんな気分だ? 己が不安と復讐心に駆られて、主の命を差し出す気分は」
「っ……!! むぉぁっ……!! 少し容体を聞くだけでそんな事になるハズがッ……ぐっ……!!」
「八度目……次は無いぞ? 敬愛するお前の主の剣で、囀る舌ごと首を落とす」
「…………!!!」
それでもなお抗弁しようと声を荒げるミュルクを、テミスはギラリと睨みつけて制した後、静かにその口から手を退けた。
その殺気は、周囲の者たちにここが病院の廊下であることを忘れさせるほどに濃密で、少なからず居たテミスへ意見しようとする者達の意思を根こそぎ叩き折っていく。
「フン……馬鹿が。おおかた、出入りする者を呼び止めようとでもしたのだろう? もしお前が呼び止めた者が、一刻も早くフリーディアに投与せねばならぬ薬を運んでいたらどうする? お前が自らの不安を紛らわせるために呼び止めた数刻のせいで、手遅れになったらどう釈明するつもりだ?」
「あ……うっ……」
「節操のない大声もそうだ。医者……治療師の指示が掻き消されたら? 浄化の術式を唱える者が集中を乱したら? 馬鹿なお前にも理解できるように言ってやろう。私達は邪魔なんだよ。この場に居る事さえな……。だが、これで理解できたか? お前が今できるただ一つの事が」
「クッ……!!!」
静かに、そして淡々と叩きつけられるテミスの言葉に、ミュルクは悔し気に息を漏らすと、ぎしりと歯を食いしばって黙り込む。
その態度にテミスは小さく息を居た後、周囲で視線を逸らした者達をじろりと睨み回した。
しかしその言葉に、テミスは半分自戒の意味をも込めていた。
怪我や病気を直す為の専門施設として切り分けたはいいが、私には専門的な医療の知識はほとんど無い。
以前の世界の、聞きかじったような断片的な知識程度はあるが、ここは異世界。魔法や人知を超えた薬効を持つ薬が存在する世界の専門医療など、真に理解できる訳も無かった。
「……ひとまず、こちらの報告は後にしよう。どこぞの馬鹿がまたがなりたてかねん……そんな内容だからな」
「っ……!! 了解した。だが……」
テミスの言葉にカルヴァスは素直に頷くが、何か言いたげにその視線をテミスの傍らへと向ける。
そこでは、不安気に揺れる瞳でテミスを見つめるサキュドと、静かながらも物憂げにテミスを凝視するマグヌスの姿があった。
「ハッ……。そう心配するな。長い話になる……その話は最後だ。アイツも交えてな」
そんな二人にテミスは一つため息を吐くと、今も尚、その向こう側ではフリーディアの治療が行われているであろう戸に視線を向け、口元に薄く微笑みを浮かべてそう答えたのだった。




