60話 それぞれの場所
陽が傾いた頃。ファントの町はおもちゃ箱をひっくり返したような大騒ぎになっていた。
「やれやれ……ここまで大事になるとはな……」
「せめて、部下たちには徽章を外させるべきでした。配慮が至らず、申し訳ありません」
「ハハ、気にしないでくれ。一過性のものだ」
傍らに立つアルベルドが頭を下げると、テミスは笑いながら周囲を見渡した。
人間領に面したファントの門。テミスにとっては特別な場所に、武装を整えた十三軍団の面々が続々と集まってくる。
「テミスちゃん。何事だい? ……まさかまた、戦争でも――っと、こりゃ失礼しやした」
そんな様子を眺めていると、人混みの中から慌てた様子のバニサスが飛び出してきて、いつもの調子で声をかけて来た。が、すぐに隣に居るアルベルドの姿に気付き、敬礼と共に口調を直した。
「ああ、バニサスか。心配ない。我々が援軍で派兵されるだけだ。留守の間の防衛は、こちらのアルベルド率いる第一軍団の方々が引き継いでくれる」
「あー、いや。そういう意味じゃねぇんですが……まあ、良いか。くれぐれも、お気をつけて」
「っと、そうだ。待て」
テミスがそう答えると、バニサスは苦笑いを浮かべながら再び敬礼をして立ち去ろうとする。同時にテミスは、あの書類の事を思い出してバニサスを呼び止めた。
「……? なんでしょう?」
「コレだ。お前の意見書を全面採用する。好きなだけ使うといい」
そう言いながら、マグヌスとの連名でサインを連ねた意見書をバニサスへ差し出す。こんな事態にならなければ、バニサスに協力してもっと意見を出しやすくする予定だったのだが……。
「本当かい!? っと、ありがとうございます!」
喜びと衝撃が入り混じった顔で、一瞬だけ素に戻ったバニサスが再び敬礼と共に頭を下げる。私は別に気にしないのだが、体面や面子と言う物はやはり面倒だ。
「あと……そうだな。色々と面倒が起こりそうであれば、我々が居ない間は警備体制を旧来の物に戻しても構わん。現場の判断に任せると、衛兵長殿に伝えておいてくれ」
「あ~……分かりやした。伝えておきます」
アルベルドに感付かれないように、テミスは自らの目が死角になっている事を確認してから、目配せと共にバニサスに忠告した。バニサスもすぐに意図を察してか、笑みと共にすぐに承諾する。十三軍団ならまだしも、駐留部隊をも警備に回すこの方策は、第一軍団には難しい可能性もある。
「では、失礼しやす。本当……気を付けて」
「ああ。ありがとう」
最後に、バニサスはいつもの笑顔で敬礼をすると、そう言い残して人混みの中へと消えていった。
「驚いた……貴女は随分と町人に慕われているのですね」
「そうか? 普通はこんなものではないのか?」
バニサスが去った後、その様子をずっと見守っていたアルベルドが声をかけてきた。事前に面識があったとはいえ、普通にやる事をやってさえいれば嫌われる事はないはずだ。
「ええ。失礼ながら……魔王城に攻め入って来た時のテミス様からは、想像もできませんでした」
「ハハハ。戦闘中は気を張ってるからな。お陰で、眠れる戦鬼……なんてあざ名までついてしまった」
「なんと言うか……納得です」
「ククッ……そんなもんかね」
アルベルドの言葉を笑い飛ばしながら、テミスは内心で悲嘆に暮れた。確かに戦闘中は言葉も荒くなるし、感情を発露しやすいが……いくらなんでも女性の外見を持つ者に対して戦鬼は無いだろう。
「軍団長! 第十三独立遊撃軍団。集結完了しました!」
テミスが内心に合わせて天を仰いでいると、整列が完了した兵たちの中からマグヌスが飛び出してきて、敬礼と共に報告の叫びをあげる。
「命令通り、医療物資は持てるだけ持ったな?」
「ハッ! 万全であります。備蓄の物も含めて全て積み込んであります」
「よし。では諸君……」
行こうか。と声をあげようとして、テミスはふと言葉を止める。胸中に生まれた感情を理解しないまま視線を人混みへと彷徨わせるも、そこにお目当ての姿を見つける事は出来なかった。
「まぁ、この時間だ……来れる筈もない……か……」
「テミス様?」
「いや。何でもない」
ふと寂し気にぽつりと漏らしたテミスに対し、マグヌスが首をかしげる。いかんな。私の心境がどうあれ、士気が低下するような行動は避けねば。
「では、アルベルド殿。留守の間、くれぐれもファントを頼む」
「お任せください。……どうか、ご武運を」
改めて皆の前で、アルベルドと握手を交わして儀礼的な言葉を交わす。単純な手法ではあるが、後を任せる者が居るという意味合いでは、士気を高める事は出来るだろう。
「第十三独立遊撃軍団ッ……!!」
アルベルドとの握手を解き、待機させた騎馬に騎乗したテミスの声が、ファントの町に響き渡る。
「出撃するぞッ!!!」
数秒のタメの後、凛とした声で言い放ち、返事を待たずに騎馬を歩かせる。その直後、雷鳴のような雄叫びと共に、甲冑と蹄の音が鳴り響いたのだった。
10/25 誤字修正しました
2020/11/23 誤字修正しました




