657話 追い縋る怒り
テミスの絶叫が木霊し、辺りで浮足立っていた兵達の動きが一瞬、ピタリと止まる。
しかしその直後。
再び動き出した彼等の動きは機敏を極め、怒号のような報告が飛び交い始める。
「っ……!! 早く!! 早く治療にかかれッ!!」
「は……はいっ……!!」
「報告ッ!! マグッ……サキュドッ!! 射手を見た者はッ!?」
「っ……。居ません。恐らくですが魔法を併用し、かなりの遠距離から放たれたものかと推測します」
「……。いや……」
その瞳に力を取り戻したテミスが次々と指示を放つと、周囲に集結した部下達は即座にそれに応える。
だが、その報告を聞き終えると、テミスはその形の良い顎に手を当てて思考を巡らせた。
サキュドの推測はこれが平時の出来事であれば、私も同じ答えに至っているだろう。
しかし、今は突発的に決定した演習の最中。その身に宿す魔力が少ない人間に、短期間で遠距離からの射撃を可能とさせるほどの魔法を準備できるとは考え辛い。
「となると……魔王軍か? いや……違う。矢は私を狙ったものだった。フリーディアであれば兎も角、今の魔王軍には私を討つメリットが無い。ならば……」
千々に乱れた心を必死でかき集め、その端々を口から漏らしながらテミスは思考を回転させた。
私の在り方や力の意味……熟考し、後悔しなければならない事など山ほどあるだろう。けれど、今はそんな事を考えている暇など無い。
目の前で戦友が撃たれたのだ。しかも、他でもない私を狙った矢に、その身を挺して。
ならばやる事は悩むまでもなく明白だ。
私の能力が例えどのようなものであったとしても、自らの理の為に他者の命を蔑ろにする悪党が仲間を傷付けたのならば、振るわぬ理由は無い。
「チッ……結局能力頼みか……。度し難い阿呆だな……私は」
ぎしり……と。
テミスは歯を食いしばって拳を握り締め、苦々しく吐き捨てた。
結局の所、今の私にできる事など一つしか無い。
こんな私を最後まで信じ抜き、己が身を挺して庇った大馬鹿に報いるだけだ。
「度し難い阿呆と底抜けの大馬鹿……。ハッ……案外、良いコンビかもしれんな」
テミスはゼイゼイと荒い息を吐きながら治療を受けるフリーディアへチラリと視線を向けて呟くと、握り締めた拳を地面に振り下ろして能力を発動させ、猛々しく詠唱を紡ぐ。
「天上の瞳ッ! 万物を聴く風、万象触れる大地。追い縋りしは不可視の猟犬。我が求めるは森羅の語り部ッ!! 我が身に宿りて一切を見通せッ!!!」
詠唱を終えた瞬間。
テミスの脳裏に膨大な量の情報が激流のように流れ込んできた。
心配気にテミスを見つめるサキュドに、弱々しくも懸命に呼吸を繋ぐフリーディア。その傍らでは、額に球のような汗を浮かべた兵士が、必死の形相で彼女に治療をしている。
そこから少し離れた位置では、額に土を付けたマグヌスが、ルギウスの手を借りてこちらへと歩み寄ってきており、集まっていた兵士たちは三人一組の陣形を組んで方々に散り、狙撃者の姿を探して駆け回っていた。
そして、一分にも満たない僅かな時が流れ。
「グッ……クッ……んゥ……ッ!!!!!」
膨大な情報の波が脳を灼く苦痛に、時折うめき声をあげながら額に滝のような脂汗を流し、瞳を固く閉じたテミスが、ギラリと怒りの炎を宿した目を見開いた。
「逃ッ……がすかァァァァァァァッッッッ!!!!」
瞬間。
テミスは傍らの地面に突き立っていたフリーディアの剣へ手を閃かせると、怒り狂う竜のような咆哮をあげ、剣を空へと投げ放ったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
同時刻。ファント辺境。
ファントとイゼルの間にある、形の無い国境線へ向けて、一つの集団が疾駆していた。
その誰もが野党のような格好をしているものの、その動きはただの野党とは思えない程に迅く、血走った目には狂気の光を湛えている。
更には、集団の一番先頭を駆ける男の背には、身の丈ほどの大きな弓が背負われていた。
「クハッ……アハハハハハハハハハッ!!! やりましたッ! 遂にやりましたね隊長ッ!」
「お見事でしたッ!! 第一目標は殺れませんでしたが、第二目標の殺害には成功ッ!! これで……これで大手を振って変える事ができますッ!!」
そんな弓を持った男に、周囲の者達が歓喜の高笑いをあげながら言葉をかける。
「あぁ……。これで……これで漸くッ……!! ブライト様に顔向けできるッ!! あの忌まわしい小娘を逃してからの地獄……耐え抜いた甲斐があったというものだッ!!」
「申し訳ありません……。あの時俺が油断していなければ……」
先頭の男がコクリと頷いて笑みを浮かべると、そのすぐ背後を駆ける小柄な一人が小さく俯いて臍を噛んだ。
小柄な男のはだけられた胸には血のにじんだ包帯が巻かれており、彼が深い怪我を負っている事が見て取れた。
「なに……たかが記者の娘と侮っていたのは我等も同じ。あまり気負うな」
「は……はい……。ありがとうございます……隊長……」
「ま、そのせいで影の尖兵たる我等が、野に伏せ泥を啜る羽目になった訳だが……」
「っ……!! だから悪かったって! 帰ったら酒を驕るって何回も約束したろ?」
弓を背負った男の言葉に、小柄な男が安堵の声を漏らしたのも束の間、最初に高笑いをあげた男がそう囃し立てると、一団の中に賑やかな笑い声が上がった。
その様子に、隊長と呼ばれた弓を背負った男は僅かに笑みを浮かべた後、速度を緩めて足を止め、仲間達を振り返って口を開く。
「お前達。浮かれるのは良いが、帰還するまでが任務だ。総員、くれぐれも警戒を怠――」
刹那。
彼等の上空から、一筋の閃光が彼等の隊長の胸を貫くと、一振りの剣が彼の身体を地面へ縫い留める。
「ガッ……アアアアアアッッッッ……!!? こ……これはッ――!?」
「た……隊長ォォォォォォォッッッ!!!!」
その剣こそ、テミスの投げたフリーディアの剣なのだが、そんな事など知る由もない彼等の悲痛な絶叫が、辺りに響き渡ったのだった。




