655話 偽りの寄る辺
「何たる事だ……」
地面に座り込んだまま、テミスは力無い笑みを浮かべて言葉を零す。
自らの愚かさを突き付けられ、自らの魂に刻んだ正義を貫くどころか、最早立ち上がる気力も無い。
それほどまでに、フリーディアの放った月光斬は、テミスの心を折り砕いていた。
「ハッ……。浮かれていた……のだろうな……」
遠くから、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる足音が聞こえる。
それは、きっとフリーディアの物なのだろう。だがそんな事は、今のテミスにはもうどうでも良い事だった。
――酷い話だ。こんなもの、笑い話にすらなりもしない。
その音を聴きながら、テミスは胸の中でそうひとりごちると、静かに目を瞑る。
女神を名乗るあの女を憎みながらも、私は奴から与えられたこの力を使い続けた。それが何を意味するかなどと考えもせず……。
転生などという事実に惑わされ、まるで己が持ち得た能力であるかのように。
結局の所、私もカズトやアーサーといった連中と変わらないのだろう。
与えられた力に溺れ、自らが正しいと信じて止まない道に邁進した。
それこそが……本当の間違いであるというのに。
「テミスッ!?」
「…………」
突如。
閉ざした視界の外側から、焦りを帯びた声と共に、己が身を支える力を感じ、テミスは静かに目を開く。
そこには、まるで目の前で我が子でも倒れ伏したかの如く狼狽し、顔色を蒼白に変えたフリーディアの顔があった。
「どうしたの!? また無茶をしていたんでしょう!? それとも、まだ傷が癒えていなかった? こんな事で、貴女が倒れる訳が――」
「――もういい」
「え……?」
テミスの身体をその胸に抱き寄せ、フリーディアは焦りに任せて矢継ぎ早に言葉を浴びせる。
しかし、その言葉を遮って、テミスは自嘲気味な笑みと共に口を開いた。
「私の負けだ……。どうやら私は……間違っていたらしい」
「っ……!!!!?」
テミスはただそれだけを告げると、全身の力を抜いて再び目を瞑る。
弱者を虐げる、全ての悪人を屠る。その信念に変わりは無い。だが、この私の理想を貫く為に振るってきた力が全て、あろう事かあのいけ好かない神の物で、私自身は何も成長などしていなかったとは。
だが、よくよく考えてみれば当たり前の話だ。
転生者は、親も親類も……友人すら持たない天涯孤独の身の上としてこの世界へと送られる。そのうえ、この世界の常識や知識すら乏しい転生者を、手っ取り早く神々の尖兵へと仕立てるのならばどうすればいいか。
欠落した知識や、存在しない歴史を埋めて尚有り余るほどの、『力』を与えてやればいい。
そうすれば、大半の連中は思い通りに動くだろうし、私のようにその輪から外れたとしても、与えられた能力という首輪から脱する事はできない。
「……怪我じゃ、無いのね?」
「あぁ」
「仕事を無理してた訳でも、寝て無い訳でもないのよね?」
「そうだ」
閉ざした視界の向こう側からかけられる問いに、テミスは身じろぎ一つすることなく肯定していく。
私の持つ全てが瓦解したのだ。意思を込めて振るってきたこの剣も、示した正義と力を信じて共に来てくれた仲間達も、全て偽りに塗り固められた力によるもの。私など、与えられた力が無ければ何もできない、正義を叫ぶだけの弱い少女だ。
すると次第に、テミスの身体を抱くフリーディアの手に力が籠り、怒りにわなわなと震えはじめた。
そうだ。それでいい……。怒りに任せて私を斬れ。
フリーディアの震えを肌で感じながら、テミスは心の中で戦友に告げる。
薄々は感じていた事だ。ただ見てみぬふりをしていただけで、転生者という存在など、この世界にとっては異物でしかない……と。
「フッ……」
「っ~~~!!!!!」
どうせなら、最期にその顔を拝んでやろう。全てが間違っていた私を討つ、真に正しき者の顔を。
そう考えると、テミスは柔らかな笑みと共に薄く目を開いた。
瞬間。
「ふざけるなッ!!!!」
「っ……」
フリーディアの耳を裂くような叫びが脳を揺らすと同時に、テミスの身体が無理矢理引きずり起こされる。
すると、力無く体に繋がっているだけとなっていた、テミスの手から大剣が零れ落ち、重たい音を立てて地面へと転がった。
「貴女が何故、急にそんな満たされた顔で全てを投げ出したのかなんて私にはわからない!! でもっ……!! 貴女は何があろうと、途中で諦める人じゃない事くらい……私は知っているッ!!」
「…………」
フリーディアは顔を怒りで赤く染めて怒鳴り付けるが、その声にテミスが反応する事は無かった。
直後。
「立ちなさいッ!! 早くッ!! いつまで諦めたフリをしているつもり!? そんな風にしてたところで、貴女はどうせ後から立ち上がってくる。やる気が無いのなら、容赦しないわよッ!!」
「ガッ……ぁ……」
業を煮やしたようにフリーディアは再びそう叫ぶと、まるで人形のように全身を弛緩させたテミスの身体を、全力で地面へ叩きつけたのだった。




