653話 友が故に
「っ……」
ジャリッ……と。
フリーディアの足が力強く地面を踏みしめ、その身体をゆっくりと立ち上がらせる。
煌々と燃える眼光はただ真っ直ぐに、腹を押さえて膝を付くテミスへと注がれていた。
「クッ……」
そのまま、テミスを見据えて一歩。フリーディアの足が前へと進む。
激しい怒りと共にフリーディアの胸に去来するのは、テミスとのこれまでの出来事だった。
今でも、鮮明に覚えている。一番最初に出会った時……私が感じたのは畏れだった。
着の身着のまま。剣の一振りさえ持たない、一見すれば貧困街から歩み出てきただけの少女のような身なり。
だというのに。旅をしてきたというその少女は、目の前に立ちはだかった傲慢な理不尽を、まるで何事もなかったかのように赦したのだ。
王女である自分とは異なる、ただの少女が。責任も使命もしがらみも無い身で。
彼女とならば、共に歩んで行ける。共に支え合い、遥かな理想郷を目指して……。
「そう……思ってた」
二歩……三歩。と。その歩みは次第に速さを増し、フリーディアは自らに恨めし気な目を向けるテミスとの距離を着実に詰めていく。
次に覚えたのは、胸を焼き焦がす程の怒りだった。
圧倒的な力の差がありながら、彼女は兵達を皆殺しにし、高嗤いと共に私を嘲笑したのだ。
力無き者を蹂躙する悪は、須らく滅ぼす……と。まるで悪魔のように変わり果てた笑みを浮かべて。
「でもっ……!!」
口の中に吐き出す呟きと共に、ゆっくりと進んでいたフリーディアの歩みは駆け足へと変わる。
そして再び……今度は戦場の中で再会し、剣を交えて気が付いた。
彼女の怒り……悪を憎み、暴虐を尽くすその心の奥底に在るのは、自分と同じ想いだと。更に付け加えるのならば、平和を愛し、皆の笑顔を望むその想いの隣には、私とは違う、どうしようもない程に底抜けに優しく、純粋な心が同居している事。
けれど、それに気が付いた時にはすでに遅く。その優しい心は血に染まっていた。
「だからッ……!! 私はッ……!!!」
「っ……!?」
ギャリィンッ!! と。
更に速力を増したフリーディアは、駆け抜けた勢いをそのままにテミスへ剣の切先を突き立てた。
だがその刃は、既に体勢を立て直していたテミスの掲げた大剣によって阻まれ、甲高い金属音を奏で、刺突を大剣の腹で受けた形の鍔迫り合いへもつれ込む。
「な……に……っ!?」
しかし、フリーディアが剣を退ける事は無く、二振りの剣はギシギシと音を立てながら拮抗する。
けれどその拮抗も長く続く事は無く、テミスが漏らした驚きの声を皮切りに、ゆっくりとその大剣を圧し返していく。
「ッ……!!!」
「グッ……クゥッ……!!?」
遂には、一歩……また一歩と。
苦し気な声を零したテミスが退き、それに合わせたフリーディアの足が、押し込むように前進する。
そして、それを証明するかのように。テミスは敵であるはずの私の窮地に姿を現し、ロンヴァルディアに巣食う闇の一部を切り払って見せた。
だからこそ私は、貴女の正義を……その決して折れる事の無い信念を見極めるために肩を並べ、共に戦ったんだ。
時には手を貸し、時には助けを求め、共に窮すれば力を合わせて斬り抜ける。
たまには意見の違いから、激しく衝突する事もあった。けれど最後には互いに認め合い、互いの意見を尊重できた。
一つ一つは小さくても心の奥底に響く程に深い……そんな関係を続けて、私達は背中を預け合う戦友になった。
「だから私にはわかるッッ!!! テミス!! 貴女が焦がれる程に望み、掲げた正義はそんなものじゃないでしょうがッッ!!!」
「――ッ!!!!」
バギィンッッッッ!! と。
フリーディアが咆哮と共に、自らの剣に全霊の力を込めて圧し込むと、その力に抗い切れなくなったテミスは大きく後ろへ跳び下がってその威力を殺す。
そして、フリーディアの怒りに呼応するかのように、テミスもまた剣を振り上げ絶叫した。
「知った口を利くな! この甘ったれがッ!! 私の正義など……お前のように能天気な未熟者にわかるかァッ!!!」
「未熟な私だからわかるのよッ!! 貴女の強さを目指し、貴女の背を追い続けた私だからッ!!! 今のテミスが貴女の正義に違っているのがわかるッ!!」
「ほざくなァッッッ!!!」
言葉の応酬と共に白刃が閃き、数多の剣閃が打ち合わされる。
その二人の間に確かにあったはずの力量の差は消え、実力は完全に拮抗していた。
「ハアァッッ!!」
「ヤァァァッッ!!!」
戦場を縦横無尽に駆け巡り、凄まじい剣戟を数合繰り広げた後。
烈破の咆哮と共に、ひと際大きな金属音が鳴り響く。
直後。互いに弾け飛ぶかの如く、テミスとフリーディアは大きく後ろに跳び下がって距離を開けた。
二人の軌跡を追うかのように薄く舞い上がった土煙の中で、大剣を振り上げたテミスが言い放つ。
「言った筈だ。私の征く正義の邪魔をすれば、容赦はしないと」
「私は言ったわ。貴女を必ず……連れ戻して見せるとッ!!」
それに応じるように、フリーディアもまた己が剣を振りかざして叫びをあげる。
だが、そんなフリーディアの言葉を嘲笑うかのように、高々と振り上げられたテミスの大剣が光を放つ。
「邪魔をするなッ!!! 食らって消し飛べフリーディアッ!! 月光斬ッッッ!!!」
テミスの怒号が響き渡った刹那。
薄く煙る土煙を切り裂いて、テミスの剣から斬撃が放たれたのだった。




