651話 二つの理想
数日後。
ファントとイゼルの間に広がる草原に、二人の少女が向かい合っていた。
先の戦いの名残が未だ残るその周りには、主を失った武器や防具の残骸が無残な姿を曝している。
「…………」
漆黒の大剣を携えたテミスは、その長い銀の髪を風に揺蕩わせ、ただ黙したまま前を見続けている。
だが、その瞳が熱を……感情を語る事は無く。ただひたすらに冷たく、そして残酷な光だけを宿していた。
「…………」
そんなテミスに相対するフリーディアも、自らの愛剣を腰から抜き放ち、その手に携えたまま口を噤んでいた。
しかし、一陣の風が巻き上げる黄金の髪はきらきらと輝き、鋭くテミスを見据えるその美しい瞳には、希望の炎が燃え上がっている。
「っ……!!」
「クッ……!! どうしてッ……!!」
その周囲では、今回の事情を聞きつけた者達が、固唾を呑んでその様子を遠巻きに見守っていた。
「止すのだ、ミュルク。テミス様は止まらない……否。あの方はもう、止まれないのだ」
「え……?」
「真っ直ぐなのよ。馬鹿みたいに。例えそれが間違っていると知っていても、正義がそこに在るのならば絶対に止まらない。それがあの方の強さなのだから」
歯噛みをしたミュルクに、共にテミス達を見守るマグヌスとサキュドが物憂げな声で語り掛けた。
マグヌスの固く握られた拳からは血が滴り、サキュドもまた携えた紅槍を固く握り締めている。
「……間違っているかどうかは、わからないけどね。罪を犯した者への対応としては、テミスの意見以上に効率の良いものは無い」
「えぇ。正直、私は初めて彼女を正しいと思いました。だけどその判断は、皆の希望たる者が……平和を率いる者がするべき判断ではない」
そんな三人の会話にルギウスが静かに口を挟むと、黙していたカルヴァスもまた小さく頷いてそれに賛同した。
「っ……!!? だったら……だったら、どうするべきなんだよ? 正しいのに間違ってるなんて……」
「だからこそ。彼女たちも迷っているんだろうね。ともかく、意思を定めたテミスの前に立つ資格があるのは……彼女だけさ」
「フフッ……確かに。悪人を誅する事に血道をあげるテミス様を止められるのは、同じだけ全てを救う事に邁進してきたあの正直者しか居ないわね」
地団太を踏んで声を荒げるミュルクに、ルギウスは涼し気な笑みを浮かべて目を細め、静かに相対する二人を眺める。
同時に、ルギウスの言葉を聞いたサキュドは体から力を抜くと、握り締めていた紅槍を霧散させて笑みを零した。
「何をぉっ……!? 馬鹿はどっちだッ!! フリーディア様が差し伸べる手を全部無視して、ただ一人突っ走るだけの暴走女がッ!!」
「なんですって!? 貴方こそ、馬鹿なんじゃないの!? テミス様がどれだけ能天気娘に苦労させられたか!!」
「なんだとッ――!!!」
サキュドが零した言葉に反応したミュルクが目を吊り上げて叫びをあげると、サキュドもまたそれに応じて怒りの叫びをあげ、瞬く間に口喧嘩をはじめる。
そんな、彼等の声をテミス達が聞き逃すはずも無く……。
「フッ……気楽な奴等だな……。相変わらずこちらの気も知らずにギャアギャア、ギャアギャアと喧しい」
「クス……。でもテミス? そんな風に自由で、皆が笑って暮らせる場所を作りたかったんでしょう?」
「あぁ……。今のファントならば、お前の望む荒唐無稽な理想にも少しは近付けたと自負する程度にはな」
黙り込んでいたテミスとフリーディアも、小さく笑みを浮かべながら言葉を交わし始めた。
けれど、二人が携えた剣を手放す事は無く、柔らかな語り口のまま、会話はすぐに剣呑な方向へと向かいだす。
「ならば何故ッ!! 人の温かさを知る貴女がッ……道を誤ってしまった人たちを信じないのッ!?」
「その温もりを奪われた者たちを知っているからだ。お前は見たことがあるか? あるはずだ。悲しみと悲嘆に暮れた瞳の奥で燻る憎悪の炎を」
「でもそれはっ……!!」
「そう。決して果たされる事の無い思いだ。奪われた者……力無き者の憎しみは全て、暴力によってすり潰されるか、偽善によって塗り潰される。だから……私がここに居る」
ヒャウン……。と。
言葉と共にテミスが剣で空を切ると、大気が裂ける澄んだ音が辺りへと響き渡った。
そして、テミスはそのまま剣の勢いを殺す事無く地面へと突き立て、淡々とした口調で言葉を続けた。
「後悔? 贖罪? 幸せを……平穏を奪われた者達が望むのはそんな下らん物じゃないんだよ。奪った者の絶望と慟哭。己が味わった苦しみに倍する苦痛。ただそれだけを、希っているんだ」
「例えそうだとしても……恨みをそのまま返した所で、その先には何も残らないわ。過ちを許し、憎しみを乗り越えた先に、皆が……誰もが笑い合える未来があるッ!!」
フリーディアもまた、言葉と共に剣で空を薙いだ後、その切先をテミスへと突き付けて叫ぶように宣言する。
「憎しみの連鎖は断ち切るべきなのよ!! テミス! 人間と魔族の間に連なるその連鎖の一つを、貴女が断ち切って見せたようにッ!!」
「妄言だな。私はそんな事をした覚えは無い。ただ、暴虐を……悪逆を為す畜生共を憎んだだけだ」
燃えるような瞳で宣言したフリーディアに、テミスは冷たい口調でそう言い放つと、地面に突き立てた大剣を抜き、肩に担いで構えを取った。
最早、言葉は不要。一部の隙も無いテミスの構えは、言葉を重ねるフリーディアへ向けてそう告げていたのだった。




