640話 勝ち得た平穏
「ククッ……ハハハハハハハハハッ!! 全く……連中の慄く顔ときたら……最高だったなッ!!」
その日の夜。
店を閉めた後の宿屋では、テミス達が盛大に祝杯をあげていた。
ブライトが白旗をあげた後、会談はあっけない程に淀みなく進み、同盟はテミスの想定を遥かに上回る条件で締結された。
その後、ロンヴァルディアの重役たちはギルティア達と肩を並べ、テミスの案内の元ファントの町を視察して回り、国へ帰る頃にはその顔からは真っ青に血の気が失せていたのだ。
「やれやれ全く……相変わらず君は無茶な事をするね。傍から見ている僕としては、何度肝を冷やした事か……」
「フフ……。僭越ながら助言をさせていただきますと、なるべくお早く『テミス様はそういうお方だ』と慣れてしまうのがよろしいかと」
「そうですねぇ……。そうでないと、ルギウス様が胃薬を手放せなくなってしまうかもしれませんね」
「なら、よく効く胃薬をこちらで準備しておくとしよう。あの程度の交渉や駆け引きで神経をすり減らしているルギウスの事だ、どうせもう病んでいるだろうよ」
「ハハハ……善処するよ」
ルギウスは砕けた笑みを零してそう語る二人の副官へ言葉を返しながら、笑顔で皮肉気な答えを告げたテミスへ視線を向ける。
そこあったテミスの笑顔は、告げられた言葉こそ皮肉気なものの、一切の邪気は孕んでおらず、外見相応の可愛らしい笑みだった。
「眠れる剣姫……か……。言い得て妙だと思わないかい? フリーディアさん?」
「……。えぇ、そうね」
その屈託のない笑みにルギウスは半ば呆れたかのように苦笑いを浮かべると、ただ一人神妙な顔を浮かべて黙り込んでいるフリーディアへと水を向けた。
今この場には、テミス達やルギウスの他に、今回の会談でファントへの逗留が決定したフリーディア達白翼騎士団も肩を並べており、テミス達の後では、人魔の垣根を越えた者達が肩を並べ、笑顔で酒を呷っている。
「ギルティア様にもこの光景をお見せしたかった……。君達は信じられないかもしれないけど、必ずお喜びになる……」
「っ……確かに、目に見えて残念がっていたものね。今度来るときはあの変わったお店で、ラーメンを食べる……なんて……」
噛み締めるように言葉を紡いだルギウスに対し、フリーディアは力無く小さく笑みを浮かべ、ぼんやりと中空に視線を彷徨わせながら言葉を返す。
本来なら、魔王ギルティアの一行がヴァルミンツヘイムへ戻るのは明日の予定だったらしい。
けれど、テミスの仕返しによって状況は変わり、対応と説明の為に急ぎファントを出立していったのだ。
だからこそ、テミスがギルティアたちへ向けて用意していたもてなしの料理は、歓迎の宴へとこうして姿を変えている。
「だからこそ……」
ぎしり。と。
目の前に並べられた料理の数々を眺めながら、フリーディアはジョッキを握った手を固く握り締めた。
そして、フリーディアは大きく息を吸い込んでからその中身を一気に飲み干し、空になったジョッキを叩きつけるように机へと戻す。
「なっ……ど、どうしたっ!? って……フリーディアか……。こうして無事にひと段落が付いたというのだ、お前の眼前で身内をやり込めたのは気に食わないかもしれんが――」
「――いいえ。そんな事じゃないわ。ええ、違いますとも。っ……信じてたのに」
「なっ……!? お、おいっ……!!」
高らかに鳴り響いたその音に目を向けたテミスが、小さなため息と共にそれを宥めようと声をかける。しかし、フリーディアはその言葉すらも遮ると、テミスの手からジョッキを奪い取り、その中身すらも一気に飲み干して悲し気な目でテミスを見返した。
「例え誰であっても疑うように……私の言伝は、貴女には届かなかったようね」
「えっ……?」
「……! どういう、意味だ……?」
呻くようにフリーディアがそう呟いた刹那。
まるで祭りのように騒がしく明るい雰囲気だった店の片隅が、凍り付いたように動きを止める。
「いいえ……ごめんなさい。今回ばかりは、あなたを責めるのはお門違いだわ。この私だって、気が付いた時にはもう手遅れ……。たった一言をあなたに伝える事しかできなかった」
「話せ。全てだ」
「でも……」
一気に摂取したアルコールが響いたのか、頭を揺らすフリーディアにテミスは、まるで命令するかのように短く告げる。
同時にテミスは、配膳をこなしながらも共にこの宴を楽しむという器用な事をこなしているアリーシャへ目配せをして、新たなジョッキをフリーディアの前へ差し出して言葉を加えるのだった。
「手遅れでも理不尽でもいい。私を友だと思うのなら話せ。そういった気持ちを溜め込めば、それは後に決定的な亀裂となって私達の間に立ち塞がる。お前と再び対するのは、互いの正義がぶつかった時だけなのだろう?」




