639話 狭間に立つ者
その要求は、とてつもなく横紙破りなものだった。
魔王軍に席を置く者は元来、魔王を慕い集ってきた者たちなのだ。例え、一度魔王の命を手中に収め、魔王をも上回る強権を得たからといって、その意志を歪めるのは難しい。
ならばいっそ、魔王であるギルティアを追い落とし、力を以てその席に収まる方が順当に思えるだろう。
だが、以前より交友のあるルギウスならば話は別だ。
「まっ……待ってくれテミス! 確かに私は今も、君の事は掛け替えのない友だと思っているッ! だがッ……魔王軍を離れ、君の傘下に付く事はできないッ!!」
「クク……わかっているとも。私は別に、お前にギルティアを裏切れと言っている訳ではない。ただ、今まで通り……力を貸して欲しいだけなのだ」
「どういう……事だ……? 意味が……」
「簡単な話さ。ロンヴァルディアは私に、白翼騎士団を貸してくれるらしい。ならば魔王軍からは、お前達第五軍団を借り受けたいと思ってな」
不敵に微笑んで黙するギルティアをよそに、テミスはその背の後ろから、身を乗り出すように前傾するルギウスと言葉を交える。
本来ならば、いくら軍団長といえども、こういった話に護衛であるルギウスは口を挟む事ができない。
しかし、それを制するギルティアが黙認する事で、テミスは自身の言葉でルギウスを説得できる機会を得たのだ。
「ただ……白翼騎士団異なる点はただ一つ」
「っ……!」
テミスは言葉と共に、動揺冷めやらぬルギウスの眼前へ手を差し出すと、その細い指を一本、ぴんと立てて笑みを深める。
その一点こそが、テミスが導き出したギルティアへの仕返しだった。
「白翼騎士団が我々に対する楔であるのに対し、お前達は私達からの要請と魔王軍からの指令が異なった時、何があろうとこちらを優先してもらう」
「なっ……!!?」
「フッ……そう身構える事は無い。魔王軍とファントはこれから、手に手を取り合って協調し、平和を目指すのだろう? 指令が違う事などそうありはしないさ。なぁ……ギルティア?」
スルリ……。と。
言葉と共にテミスの手が再び椅子の背を滑り、その端で止まる。そして、テミスはニヤリと意味深に笑みを浮かべて、同意を求めるかの如くギルティアの顔を覗き込んだ。
「クク……お前の行く道と私の行く道がぶつからぬ限りは……そうと言えるな」
「テミス……つまり……君はッ……!!」
「あぁ。言ってしまえば同盟など、ただの口約束に過ぎん。だからな……ルギウス。私は安心が欲しいのだ。下らぬ忠誠心に囚われず、真に正しき判断の下せる仲間が欲しい」
言葉を詰まらせたルギウスに、テミスは淀む事なく胸の内を告げた。
今回の一件では、ルギウスにも助けられた。その判断や想いは信頼に値するし、魔王軍を抜けた後も、隣人である彼等との交友は続ける必要があった。
「……一つ。聞かせて欲しい。何故、優先権なんだ? 君にしてはその……なんといえばいいか……」
「……要求が可愛すぎる。だろう?」
「っ……! は……はい……」
短い沈黙の後、言いづらそうに言葉を濁したルギウスに視線を向け、ギルティアがその濁した部分をバッサリと言語化する。
「何とでも言ってろ。私は、現状を鑑みずに私怨を優先するような間抜けではない。この程度が限度だろうさ」
「フ……わかっているようで安心したぞ。テミス。ルギウス……聞いての通りだ。以降第五軍団はラズールの統治と並行し、ファント支援の任に当たれ」
「はっ……! 了解しました」
「フン……私を試すな。不愉快だ」
そんな二人にテミスは鼻を鳴らすと、椅子の背から指を離して、一歩二歩とギルティアたちから距離を取った。
そして、テミスは所在無さげに視線を交わし合っている、ロンヴァルディアの人間達に目を向けると、大きく息を吸い込んで口を開く。
「さて……魔王軍側との会談の結果は聞いての通りにまとまりましたが……。何か、ありますかな?」
「っ……!!!」
刹那。
テミスの言葉によって、傍観者から当事者へと引きずり込まれた彼等は、再びその視線を明後日の方向へと彷徨わせて黙り込む。
しかし、テミスがいつまでもそんな態度を許すはずも無く、まるで獲物を見定めた獣のように、一人の男へと視線を注いで言葉を続けた。
「ブライト殿……でしたかな? 我々としても不本意ではありますが、あくまでもこれは交渉。呑める条件と飲めない条件はあります。こうして腹を割って話して尚、手を取り合えぬのなら……やむを得ますまい」
「なっ……なんだと……いうのだ……?」
名指しをされたブライトは、全身を震わせながらも辛うじて体裁を立て直すと、大仰な態度で呆れたようにかぶりをふるテミスへと言葉を返す。
その問いに、テミスは小さく息を吐いて僅かな時間だけ目を瞑った後、静かに開いた目に冷たい光を揺蕩えて口を開いた。
「決まっているだろう……。言葉を交わし、それでも手を取り合えぬのなら。今度こそ、恨みも不満も……骨すら残さず食らい合うまでだ」
「……ブライト様。あくまでも軍部の者としての戯言でありはありますが……我々はどうやら、獅子を犬と間違えていたようですな」
「っ~~~~~!!! わわわわ、わかった!! 先程までの私の発言は取り消す……取り消しますッ!! この通りッ!! ご無礼も謝罪致しますッ……! ですから! ですからどうかッ……!!」
テミスの言葉を受け、ボソリと呟かれたフランコの言葉が引き金となったのか、遂にブライトは虚勢をかなぐり捨てると、必死の形相で頭を床にこすりつけて叫びをあげたのだった。




