58話 蠢くセイギ
テミスの『裏切り』はロンヴァルディアに大きな波紋を呼んでいた。それも当たり前の話だ。とフリーディアは思った。いくら冒険者将校なんて肩書だけの地位を与えようが、彼等の強大な力は本物。神の祝福を受けたと言われる聖騎士並みに戦える彼等を覆い隠すことなどできるはずがないのだ。
「……こんな所にかの白翼様がいらっしゃるとは……いかな御用向きですかな?」
「っ――!!」
フリーディアが戸を叩こうと手を上げた瞬間。真後ろに人の気配が現れ、陰気な声が降りかかってくる。
「貴方ならわかるでしょう? ルーク」
フリーディアは横に数歩避けてから、後ろを振り返って男と対面する。そこには初めて会った時から変わらず、癖の強いにょろにょろとした髪の痩身の男が、暗い笑みを浮かべて立っていた。
もしもこの場面を見た人間が居るのであれば、ここまで何もかもが対照的な二人が共に居る事に首をかしげただろう。輝くような金の髪と黒くじっとりと湾曲した黒髪、ピンと背筋を伸ばして前を見据える実直さと背中を丸めて足元を見る陰気さ、何もかもが正反対な二人を、彼等の纏う白と黒の制服がそれを更に際立たせていた。
「さぁ……? 何のことやらわかりませんね。清廉潔白なフリーディア様が、我等日陰者の懲罰部隊への用向きなど……」
「ルーク。そろそろ怒るわよ?」
「ハハ……失礼しました。ではどうぞ中へ」
ため息と共に片目を釣り上げたフリーディアに笑い声を漏らすと、ルークは戸の鍵を開けて彼女を中へと招き入れた。
強大な力を持つ冒険者将校を擁するロンヴァルディアには、懲罰部隊という名の部隊がある。王城の端。騎士団の詰め所よりも外れに詰め所を構える彼等は、強大な戦力であり頼れる冒険者将校を貶める者として、内外から忌み嫌われていた。
「それで、本当にどうされたのですか? フリーディア様。こうしてお会いしてお話しするのは、貴女に拾われて以来ではないですか?」
「そうね……あなたには、本当に申し訳ない事をしたと思ってるわ。ルーク」
促されるままに中央に置かれた椅子に腰かけたフリーディアが、その対面へと移動するルークから目を逸らす。このルークも冒険者将校であり、彼女がその腕を見出した男だった。しかし、フリーディアの推薦で軍部に入ったルークを待っていたのは、フリーディアの推した将校の椅子ではなく、この懲罰部隊の隊長だった。
「いえいえそんな。私はこれでも、楽しくやらせてもらってますよ」
陰気な笑みを浮かべたルークの顔を見て、膝の上に置かれたフリーディアの手が拳を握る。いったいどんな苦痛が、希望に満ち溢れていた彼をここまで歪めてしまったのだろうか。
「……魔王軍へ裏切った冒険者将校の話は知ってる?」
一度だけ。フリーディアは何かを悔いるように固く目を閉じると静かに口を開いた。
「ええ、まあ。噂程度には。元奴隷だとか不義理を受けた旅人だとか……色々と聞きますが」
「貴方の力を借りたいのよ」
「フム……」
ルークは食いしばった口から漏れ出るように告げられたフリーディアの言葉に、ほんの少しだけ驚いたように目を見開くと、小さく息を漏らした。
「まぁ、相手が冒険者将校なのであれば? 確かに私の力は役に立つとは思いますが……」
そう言いながら、ルークは難しい顔をして手元の机を指でコツコツと弾いた。
「私、戦えませんよ? この国は私が捕らえた端から殺していってしまうので、ストックがありません」
「構わないわ。私が守る。そして、あなたの能力の件も解決できるわ」
「…………と? 言いますと?」
鋭い光を瞳に宿したフリーディアが目を向けると、へらへらと軽薄な笑みを浮かべていたルークの唇が密かに吊り上がった。
「私はテミ――あの冒険者将校を白翼騎士団に迎え入れるつもりよ」
「はっ……? どういう……事ですか?」
「勿論。戦闘をする騎士としてじゃない。書類の整理や戦略起案。白翼騎士団の参謀に据えたいの」
「いやいやいや……裏切った将校を騎士団に入れるなんて……それも、フリーディア様の騎士団にですか?」
先程までの斜に構えた態度をかなぐり捨てたルークが、思わずと言った雰囲気でフリーディアに問いかける。その驚きに満ちた顔は、皮肉にも年相応のあどけなさが戻っていた。
「ええ。これはね、ここだけの話なんだけど……」
ごくりと生唾を飲んだルークに顔を寄せて、フリーディアはテミスと出会った日の事を語り聞かせた。同時に、何を以て彼女が人間に失望し、何を思って魔王に付いたのかも。
「――だから、私は彼女の間違いを正したい。私達が失った期待を取り戻したいの」
「…………その為に、私に協力しろと? 懲罰対象である冒険者将校の隠匿は重罪ですよ? その片棒を、私に担げと?」
フリーディアがそう締めくくった後、長く沈黙していたルークが口を開き、フリーディアの目を覗き込む。
「ええ。自由に戦える力があった方が貴方にも都合が良いわよね? どんな力かはわからないけれど、あのタケナカ卿を圧倒した強さは本物だわ」
「解りました。そのお話、乗りましょう。仔細はおいおい詰めるという事で」
その目を凛と睨み返してフリーディアが答えるとルークはまるで老人の様にゆっくりと頷いた。
「わかったわ。ありがとね、ルーク」
そう言ってにっこりと笑ったフリーディアは椅子から立ち上がると、ルークに背を向けて懲罰部隊の詰め所から外へ出た。故に――。
「…………………………どうしてッ……」
バタンと音を立てて閉じられた扉の向こうで、ルークが血を吐くような声で憎らしげに呟いた事を、フリーディアは知る由も無かったのだった。
2020/11/23 誤字修正しました




