638話 友を求めて
極限まで高まった緊張感が、見る者全てに畏怖を与える。
強者同士の決闘を目の当たりにしたかのごとき緊迫は沈黙を呼び、遠くから聞こえる町の喧噪だけが、この凍り付いた室内に時が流れている事を証明していた。
「フッ……してやられたな」
「っ……!! 申し訳――ッッッ!!」
「――良い。それよりも、同胞の成長を称えようではないか」
その硬直した空気の中。穏やかに放たれたギルティアの言葉が、ゆっくりと緊迫感を解いていく。
しかし、その中でただ一人。苦渋に顔を歪めたリョースが言葉を紡ぎかけると、ギルティアは柔らかく微笑みながらそれを制す。
「見事だ。テミス」
「…………」
「こうまでするのだ。よほど腹に据えかねていたのだろう。だがその殺気を……悋気を誰にも悟らせずにここまで近付いた……。この短期間でそれほどまでに腕を磨き上げた……見事という他あるまい」
静かに、そして粛々と。ギルティアは柔らかな笑みを浮かべたまま言葉を紡ぎ続けた。
しかし、その言葉はまるで父が娘の成長を喜ぶかのような余裕を孕んでおり、切れ長に歪められたテミスの目が鋭く細められる。
「断言しよう。お前は今、魔王である私の……ギルティア・ブラド・レクトールの命を手中に収めている。護衛の二人が……そして私が動くよりも迅く、お前は私の命を刈り取る事ができる」
「……それで? 理解しているならば、命乞いの一つでもしてみたらどうだ?」
それはまさに、敗北宣言に他ならなかった。だというのに、そんな台詞を悠然とした態度で言い放つギルティアに、テミスは苛立ちを隠さず低い声で問いかけた。
間違い無く、自分は今ギルティアの生殺与奪を握っている。だというのに、余裕を崩さないギルティアの態度が、どうしようもなくテミスの神経を逆撫でしていた。
「クク……ここでお前に討たれるのならば、それも私の天命だ」
「っ……!!!!」
ギルティアの言葉に、テミスはぎしりと難く歯を食いしばった。
一片の緊張も無い不敵な微笑みさえ浮かべるギルティアの態度が……この決して揺るがない心こそが、まるで今の私との差だと突き付けられているかのようで。
心の底からこみ上げる悔しさと恥辱が、テミスの肩を震わせる。
「ぐっ……クッ……ッッッ!!!」
「そうだな……こうして私を討ち果たして見せたのだ。テミス。未だ誰も成し得なかった偉業を称え、私は何でも一つ……お前の要求を呑むとしよう」
「なっ……!?」
「ギ……ギルティア様ッ……!?」
「っ……!!」
満を持して紡がれたその言葉に、その場にいた誰もが驚愕の声を漏らす。
それは、その命を手中に収めたテミスとて例外ではなく、ギルティアが腰掛けた椅子の背に手をかけたまま、目を見開いてそれを露わにしていた。
「フ……フフ……。そう……そうだ。やはり、こうでなくてはならない。苦渋、恥辱、悔恨、無念。久しく忘れていた感覚だ」
「…………」
驚愕する一同を捨て置き、独りそう嘯いたギルティアに視線を注ぎながら、テミスは思い付きにも似た一つの閃きに意識を傾けていた。
もしかしたら、ギルティアは恐れを感じていなかったのではないのではないだろうか?
胸の片隅に生まれたその閃きは、意識を向ければ向けるほどのその存在感を増し、まるで天啓であるかのように思えてくる。
そうだ。ギルティアはただ、敗北よりも……己が死よりも恐ろしい恐怖と戦っていたのだ。その恐怖とは停滞。並ぶ者も居らず、競う者も無く、ただ独り頂に佇み続ける恐怖。
いくら腕を磨けども意味は無く、必死で知恵を捻る必要も無い。そんな、無限の虚空へ石を投げ入れ続けるが如き孤独に、このギルティアと言う男は必死で抗っていたのではないか?
そんな、都合の良い妄想のような予測が、テミスの脳裏を支配した時。
「テミスよ……。お前は何を望む?」
「っ……!!!!」
まるで、テミスの思考を見透かし、肯定するかのように。ギルティアは微笑みながらテミスへ問いかけた。
そしてテミスもまた、その問いが同時に自分を試す意図を孕んでいる事を直感する。
「そう……だな……」
つぅぅっ……。と。
テミスはギルティアから視線を逸らすと、椅子の背に自らの指を滑らせて呟きを漏らした。
ここでギルティアを討った所で、私にとっては何の意味も無い。それこそ、ギルティアという頭を失った魔族たちの怒りが、一身に私達へと向けられるだけだ。
……ならばいっその事、私が魔王にでもなるか?
それも否だ。このような手段で魔王の座を奪った所で、私に着いて来る者など居はしないだろう。
「私に……ついて……」
その瞬間。
導き出された一つの答えと共に、椅子の背を滑らせていたテミスの手がピタリと止まった。
「……決めたぞ、ギルティア」
「フッ……そのようだな」
「あぁ。私はお前に、魔王軍第五軍団に対する、指揮の優先権を求めよう」
「えっ……?」
不敵な微笑みと共に告げられたテミスの言葉に、ギルティアの傍らでその様子を静かに見守っていたルギウスは、驚きと混乱の声を漏らしたのだった。




