637話 見えざる刃
「……以上だ」
その後、ギルティアが述べた内容は、一切違う事なくテミスが事前に書簡で知らされていたものだった。
しかも、この場に現れた時点でテミスの狙いを見抜いているのか、ギルティアは不敵な笑みを浮かべたまま話を遮る事は無く、まるで既に決まっている事の確認でもするかのように淡々と進んでいく。
「……つまり、魔王軍は融和都市ファントの独立自治を認め、その理念に賛同し、協調姿勢を取る。これで相違無いか?」
「あぁ。……加えて言うのなら、我等はファントに対して税を徴収の要求やその他資源を納める通達を永劫出さないと誓おう。尤も、協力を求める事はあるやもしれんがな。それを受けるか否かはファント側で判断をすればいいだろう」
「っ……!!」
ギルティアは言葉をそう付け加えると、唇を緩めてテミスを一瞥する。
その顔には明らかな余裕が浮かんでおり、その笑みはこの名言自体がすでにファントとの同盟の一歩だと告げているようだった。
だが、ギルティアのその表情を一瞥したテミスは、ニヤリと頬を歪めると静かに目を細めて言い放った。
「……足りんな」
「ホゥ……? 我が旗下を出奔した相手に、領土と人員の割譲だけでなく、その独立を認めて尚……足りないと?」
「っ……!!」
ピシリ。と。
口火を切ったテミスにギルティアが応えた瞬間、その様子を見守る者達の間に再び緊張が走った。
傍目から見れば、二人はただ物腰静かに言葉を交わしているだけだ。だというのに、その間に流れる思惑の激闘が、近くでそれを見ているだけの者たちの肌にチリチリとした幻覚を植え付ける。
「あぁ。まるで足りない。それでは、今までと何も変わらないではないか。我々がお前達から依頼を請けてそれを遂行する。その名が十三軍団から黒銀騎団に変わるだけだ」
「フッ……十分だろう? 一時のこととはいえ反逆すら許すのだ。お前達がまず目指すべきは、元通りの平穏ではないのか?」
「ククッ……魔王ともなると舌がよく回る……。ならば、言い方を変えよう。お前の邪魔者を始末した報酬を、ここに貰い受けたい」
「報酬……? そのような依頼を出した覚えはないがな?」
二人が語る話の内容は、ほとんどの者がその意味を理解できないだろう。
しかしリョースやルギウスのように、ある程度の事情を知る者には、この静かなる舌戦が、一進一退の攻防を繰り広げる白熱したものに映っていた。
「先程お前は言った。お前ならば、自らの手間暇をかけてまで始末をしないと。そんなお前が我等に求めたのは、争いが起こる前への関係の復帰。それは即ち、お前が私を使い、自らの意にそぐわぬ身内を処理したことの証拠だ」
「戯れ言を。それは全てお前の考えた仮定であろう? 私はあくまで、温情としてこのような提案を出しているに過ぎん」
「ククッ……。そうだな。ギルティア……私の今話したことは全て、確かにお前の言う通り仮定に過ぎない。だが……」
悠然と言葉を返すギルティアに、テミスは肩を震わせて喉を鳴らすと、頬を吊り上げて凶悪な笑みを浮かべた。
そして、言葉と共にゆったりとギルティアの間近まで歩み寄り、おもむろに伸ばした手でギルティアの腰掛ける椅子に触れ、囁くように言葉を続ける。
「私が抱いた疑念……一抹の疑いを晴らす義務が、お前にはあると思うがな? 屋号は違えど、我等は再び同胞となるのだ。お互い、下らぬ疑惑で袂を分かちたくはあるまい? 言葉一つで、味方が敵へと変わる世なのだからな」
「フッ……。まるでその気になれば、今ここで私の首を取れるとでも言いたげだな?」
まるで勝ち誇ったように、自らの顔を覗き込むテミスに、ギルティアは不敵な笑みを崩さずに静かに答える。
しかし、その言葉にテミスが口を開く事は無く、ただ黙って笑みを浮かべただけだった。
直後。
「っ……!!!!」
「……?」
ビクリ。と。
ギルティアの後ろで、黙していたリョースが目を剥いて肩を震わせた。
その隣では、彼の異変に気付いたルギウスが不思議そうにリョースへ視線を向けている。
「…………」
わなわなと肩を震わせるリョースを眺めながら、テミスは胸中で会心の笑みを漏らしていた。
そう。一度、本気の私と相対した者ならばわかるはずなのだ。今この状態が彼等にとって既に、首に匕首を突き付けられたが如く詰んでいるという事を。
同盟は未だ結ばれていない。小康状態は保っているものの、今現時点でのファントは、魔王軍にもロンヴァルディアにも属さず、どちらの味方にもなり得る存在なのだ。
故に。私がこうして近付いた時点で、ギルティアの護衛であるリョースは即座に止めるべきだった。
初めて相まみえたあの日、石畳を剣へと変えたのように、この椅子を大鎌と変えた私が魔王の首を手土産に、ロンヴァルディアへ付く事もあり得るのだから。
「さぁ……どうする? ちなみに私はお前と違い、芽生えた疑惑の芽は即座に刈り取るべきだと思うのだが……」
事情を介せぬ者達が、呆気に取られて見守る中で。テミスはまるで挑発するように言葉を付け加えると、椅子に触れたその指を静かに這わせたのだった。




