636話 木に登った豚の落ちる時
「お言葉ですがッ……!! そのような提案は無茶ですッ!! 御考え直しいただけませんかッ!!?」
「無礼だぞ。私の計算が間違っているとでも言いたいのか?」
「ですがッ!! 事実この町にはそのような税を納める余裕などありませんッ!!」
テミスの悲痛な叫びが、部屋の中に響き渡る。
紅の瞳に涙を溜めたその悲痛な姿はまさに、弱者の為に恩赦を求める聖女のようだった。
「税だけではありません! 兵も物資も……この町を支える全ては、住民達のこの町への想いで支えられているもの……。とても貴国へお納めできる程は……」
「フッ……戯れ言を。お前が命ずればいい話だ」
「命……ずる……?」
「おうとも。私の見立てでは、この町の住民は少々富み過ぎている。誰もが貴族のような身綺麗な格好をし、誰もが身の程を知らぬ贅を貪っている。そんな生活……少しばかり傲慢だとは思わんかね?」
震える声で見開かれたテミスの目には、その瞳を揺らす涙が限界までたまっており、今にも零れ落ちそうに揺らめいている。
しかし、そんな茶番に浸っているのは今や、目の前で高らかに喋りたてているブライトただ一人だった。
「余裕がないだと? あるではないか!! い・く・ら・で・もッ!! 国のために働くが民草の使命ッ!! 至上の喜びのはずだッ!! 違うか? 腕っぷしだけで戦う猪にも理解できるように言ってやろう。私の胸三寸で、この町から商人共が消えるか否か……決められるのだ」
「っ……」
「…………」
「…………」
言葉を垂れ流しながら、椅子に腰かけるテミスの前までゆっくりと歩を進めたブライトが、方々から突き刺さる視線を一顧だにする事無く、下品な笑みを顔中に浮かべてそう言葉を締めくくる。
対するテミスはただ俯いて黙り込んだまま言葉を発する事は無く、奇妙な沈黙が場を支配していた。
「フゥ……」
そんな姿を見て、フランコは密かに胸を撫で下ろしていた。
少し聡い者ならば、この場の雰囲気を見ればすぐに解る。愚かにもフリーディア様の忠告を無視してファントを……テミスを侮ったロンヴァルディアには犠牲が必要だった。
それは、本国へ帰還の後、全ての『失策』の責任を引き受ける器であり、彼女へ詫びとして差し出す犠牲。
有難い事にその舞台へ、ブライトは自らの足で駆け上がっていったのだ。
「さぁッ!! 理解したのならばさっさと――」
「――いい加減にしろテミス。目障りだ」
「なっ……!!! なんっ……なぁッ……!?」
その沈黙を切り裂いて、さらに口上を垂れ流すブライトを制したのは、静かに放たれた男の言葉だった。
その言葉は深く抑え込まれてはいるものの明らかな苛立ちに満ちており、聞く者全ての肌を俄かに粟立たせた。
「先のような交渉事なら兎も角、お前は私にこんな下らん茶番を見せる為に、ここへ呼び付けたと言うのか?」
「ちゃ……ちゃば……ちゃばん……だと?」
「クッ……フ……フフフッ……。ギルティア殿も人が悪い。こうなる事を知っていて、今まで黙っておられたくせに」
ギルティアの言葉を皮切りに、テミスは態度を豹変させると、蝋燭が蕩けたように壮絶な笑みを浮かべて口を開く。
そしてただ一人、事態をまるで呑み込めていないブライトを挟んで言葉が交わされはじめる。
「我等の為となるならば黙しても居よう。だが、お前の趣味に付き合う義理も無い。毎度思うがお前は、やりすぎなのだ」
「これは異なことを。おだてた豚が木を登っているのです。どうせ落とすのならば、天辺から落とさねば骨身に染みますまい」
「ぶ……豚ッ……? よもや……よもやそれは……」
「酔狂な事だ。私ならば、自らの手間暇をかけてまで縊ろうとも思わん」
「ハッ……。だから他人に始末させると? ……タラウードやシモンズのように」
テミスとギルティアが向かい合い、話しを始めた途端。呆れや安堵で緩みかけていた室内の空気が一気に引き締まった。
その原因は間違い無く、言葉を荒げる事も、自らの威を誇示する事もしていないはずの、テミスとギルティアだった。
「お……おおおおいッ!! その無礼な態度はなんだッ!! この私の話に割り込むだけではなく、コケにするなど許される事では無……い……」
そこへ、怒りで顔を赤くしたブライトが歩み寄ると、声を荒げて荒々しくテミスの肩を掴んだ。
しかし、その怒気はすぐに恐怖へと塗り替えられ、紅潮して赤くなっていた頬も瞬時に蒼白へと色を変えていく。
だが、テミスがそれで止まるはずも無く。怯えるブライトに追い打ちをかけるかのように、テミスは瞳孔の開いた眼を荒々しい目でギラリと睨みつけて言葉を返す。
「お前と話す事はもう無い。遊戯の時間は終わったのだ。わかったのなら豚は黙って引っ込んでいろ」
「ひっ……っ!? ぅ……ぁ……ぁぁ……」
その言葉は、まるで剣を手に向き合ったかの如き殺気と共にブライトへ叩き込まれ、色を失ったブライトは腰を抜かしてずりずりと逃げ出した。
「すまないな。邪魔が入った。ではそれを踏まえて、魔王軍の提案を聞かせていただこう」
「フ……面白い……」
テミスがそれを一瞥すらせず、不敵な笑みを浮かべてギルティアにそう告げると、ギルティアもまたそれに応じるかのように、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて口を開いたのだった。




