630話 二つの書状
「やはは……。どうも、お邪魔しています」
「なっ……!!?」
アリーシャとの訓練を中断し、ルギウスと共に執務室へと向かったテミスを出迎えたのは、気まずそうに肩をすぼめながらはにかむフィーンの顔だった。
テミスは咄嗟に傍らのルギウスへと視線を走らせるが、その顔も驚きに満ちており、仕事の話とやらが彼女とは無関係なのは明白だった。
なにより、正式な客人であるならば、ファントの中枢たるこの部屋に一人で居るはずが無いだろう。それに、この女には拭い難い前科がある。
「お前という奴は……またか……」
「えぇ……まぁ……はい。ですがお察しいただけると、私としてはとても嬉しいのですが」
「ハァ……おおかた、フリーディアの奴の差し金だろう?」
「えぇ。この連絡の邪魔をしたい奴等が、どこに潜んでいるかわからないから……と。現にここにたどり着くまでに三度ほど襲われましたし」
テミスはため息とともに前へ進み出ると、人の良い笑みを浮かべたフィーンと言葉を交わす。
その間にも、テミスの瞳は油断なくフィーンの全身を検め、彼女の装備を確認していた。
「クク……それは災難だったな。知らなかったよ……まさか旧知の顔が暗殺者に転職しているとはな。王都イチの記者とやらはもういいのか?」
「っ……いつになく冗談がきついですね? テミスさん。この時勢です、お疑いになる気持ちはわかりますが……あぁ、成る程」
「――っ!!」
その顔に笑みを浮かべたまま、唐突にフィーンが懐に手を入れた瞬間。即応したルギウスの手が閃いて、彼の腰に下げられた剣の柄へと添えられる。
しかし、テミスはそれを視線で制すると、不敵な笑みを浮かべたままフィーンに身体を向けていた。
「やはは……。これは失礼しました。確かに、こんな物を持っていては怪しいですよね。勿論お預けしますとも。どうぞ」
言葉と共にフィーンが懐から取り出し、鞘に納めたままテミスへと差し出したのは一振りのダガーだった。
しかし、その柄はべっとりと血で汚れており、このダガーが既に使用済みであると物語っている。
だが、テミスが血濡れたダガーに手を伸ばす事は無く、淡々とした口調で言葉を紡ぐ。
「ここまで来て腹の探り合いか? フィーン。知らぬ仲ではないから、二度までであらば大目に見よう。だが、三度は無いぞ?」
「っ……!! ちょちょっ……!! わかりました! わかりましたって!! 全部白状するので怒らないでくださいッ!! 全部フリーディア様の言いつけなんですよぉ!!」
そんなテミスの言葉に、フィーンは早々にその表情を泣き顔に変えると、手にしていたダガーを放り出して高々と両手をあげる。
「太腿に括ってあるナイフを見ていただければわかりますからっ!! フリーディア様から持たされた、白翼騎士団の紋章が入ってますッ!!」
「……。フム……」
「っ~~!!」
ピラリ。と。
テミスは軽く息を吐きながらフィーンに近付くと、無造作にその短めのスカートを捲って脚を検めた。
そこには確かに、フィーンの言葉の通り、白翼騎士団が掲げる紋章が柄に刻まれたナイフが数本収まっており、彼女の言葉が偽りで無いと証明していた。
「確かにそのようだ。それで、フリーディアの奴は何と?」
「いや……確かに見ろと言ったのは私ですが、まさかこうも無造作にスカートを捲られるとは思いませんでしたよ……」
「っ……ンゴホンッ……・」
小さく頷いたテミスが、薄い笑みを浮かべながらスカートから手を離し、ゆっくりと体を離す。すると、フィーンは文句を口にしながら頬を真っ赤に染め、ふんだんに抗議の意図を込めた視線で、咳払いと共に目を逸らすルギウスを睨み付けていた。
「フン……私を試した罰だ。随分と楽しそうにしていたのでな」
「いじめっ子ですか貴女は……。まぁいいです。それも含めて、フリーディア様から言伝とお届け物です。『例え誰であっても疑うように』と」
「……誰であっても、ね」
皮肉気に笑うテミスへ、フィーンは再び大きなため息を吐いた後、一通の書状を意味深な言伝と共に差し出した。
そう呟きながら、差し出された書状にテミスが手を伸ばした時だった。
「あ~……すまない。邪魔をするつもりでは無かったんだけど……少し待ってくれないか?」
それまで成り行きを見守っていたルギウスが進み出ると、フィーンの隣に立って困ったような笑みを浮かべる。
そして、ルギウスもまた自らの懐を漁り、一通の書状をテミスへ差し出して言葉を続ける。
「勿論、そちらの事情も把握しているつもりだよ。でも悪いけど、万に一つでも出し抜かれる訳にはいかないんだ。テミス……今回の件について、ギルティア様からの伝令だ。僕は内容を知らないけれど……ルカからは、悪い話ではないと聞いている」
「っ……!!! 待って下さいッ!! 私だって、受け取って貰わないと困るのですけれどッ!?」
「僕だって困るさ。だから、テミスに選んで貰わないと。そう……平等にね?」
直後。テミスが口を開く前に、ルギウスの言葉に危機感を抱いたのか、フィーンはまるで対抗するかのように、差し出した書状をぐいぐいとテミスへ近付けて言葉を重ねる。
しかし、ルギウスもまた、テミスを押し倒しかねない程の勢いで迫るフィーンと共に、柔らかな笑みを浮かべながらぐいぐいと書状をテミスへと突き付けた。
「っ……!! 平等って言ったじゃないですか!? なんで私の手より前に出すんですか!?」
「君こそっ……! 幼稚な真似はやめるんだ! テミスが困っているだろう!!」
「そんな事言ってッ!! ほら!! また先を越そうとするッ!!」
「……。ハァ……馬鹿共が……。騒ぐな。これで満足だろう?」
そんな二人に対し、テミスは大きなため息を吐くと、差し出される二つの書状を、左右の手で同時に手に取ったのだった。




